構想って難しい
シナリオの構想は難しい。
それでも難しい難題を解決出来れば、それはかなり面白いと感じる。満足を得られる。
例えつたないシナリオでも作ってしまえばそこからまた発展できるし、精度も上がる。
だから、諦めないでほしい。どんなエピソードでも面白くすることは可能なのだ。
広がり続ける発想と指針
ファーストシーンは思い付いたでしょうか。別に劇的でなくてもいいっちゃいいのですが、激しい何かがあったほうが今後の発想に貢献し易いのです。
ファーストシーンから思い付けることがあります。そうして発想を広げていきます。
まず誰もが思うであろう事からエピソードが作れます。
1番は、ファーストシーンの ”訳” です。なんでそうなったのか、それとその ”理由” です。
訳と理由は似ていますが、視点の違いと解釈してください。
“訳” とは状況説明です。”理由” とは本人の心情です。
ウサミの場合ですと、ここから発想出来る事は、崖から落とされたであろう事情と 崖から落とされたくないのに落とされてしまった具体的な身上です。
ここまでまとめてみても、もっともっと発想が拡張します。崖から落とされたのではなく飛行機から落とされたかもしれません。
何かしらの事情で自ら落ちたのかもしれません。
実は夢の中の出来事だったのかもしれません。それも脇役のキャストの夢かもしれません。
もういっくらでも考えつきます。こうしてアイディアが洪水のように吹き出します。なんでもアリな混沌とした状況に作者が追い込まれます。
そこで迷ったり見失ったりアイディアにおぼれる前に前述の決めた事を見返します。タイトル、テーマ、骨、太い骨と照らし合わせて どう展開させることが目的に合うのか、この点を選択の条件としてアイディアを選別します。
ダウンスケールの考え方はこういった些細な事象から拡張していく方法なのです。ただバラバラな話にしたくないのでテーマその他の決めごとが存在します。
で、テーマに沿った展開を選択したとします。
ここが重要なのですが・・・状況はその選択に沿った形にすればいいのですが、
行動やリアクションはその登場人物に任せるのです。
もちろん書いただけの架空の人物なので実際には作者が与えないと何もしません。
ここで申したいのが人物に任せる=作者が人物になり変わって、視点、感性を描くことなのです。
つまり、ウサミだったらこうするだろうな、という観点で人格を与えます。それには具体的なウサミのモデルがいると発想し易いのですが、詳細は当サイトの「キャラクター、それが脚本のキモ」カテゴリーを見て参考として下さい。
キャラクターは作者があやつり人形みたいに操作してはいけません。あくまでキャラクター自身に演じさせるのです。
正確にはキャラクター自ら演じているように見せるのです。そうすることで、これまた発想が湧いてきます。
ウサミだったら次の展開はこう来るであろう、ウサミならそこには行かず仲間を助けにいくだろう、などとドンドン膨らんでいきます。
そのようにして膨らんだ作者のイメージは具体的なシーンとして頭に浮かばないと原稿用紙には書けないのです。脚本家のお仕事はこのイメージの文章化なのです。
シーンの抽出
この作業はそれこそ御自身のやりやすい方法で行ってください。管理者のやり方は自分でもあまり効率的と感じていないので、何かいいやり方が他にもあるならぜひ教えてください。ページ下のメールフォームにてご意見お待ちしております。
管理者の場合は、ポストイット攻撃です。
短冊のポストイットではなく、大きめのメモ用紙みたいなポストイットを使います。
やり方は至って単純です。
片っ端から思い付いたシーンをポストイットに書き出していきます。
間違ってようが、テーマと合っていなかろうが、とにかくガシガシと出力していきます。それこそ部屋のドア一面ポストイットだらけになります。
メモ帳でなくポストイットにする理由は 発想する順番はあくまで映像の時系列に沿っているのでそれを崩したくないのと 差し替えてもバラバラにならないように張り付けておくためです。
内容はイメージしたシーンそのものを簡単に書いただけです。それが前後4,5枚と一連になっている事もあります。シーンもほんとにザックリとしたイメージで視点やアングルなんか考えていません。とにかく出せるだけ出します。カッコよく字コンテです、と言いたいのですが 実態はなりふり構わずといったものです。
思い付いたものは何でも書き出しておきます。尺も考えていませんから実際のシナリオに書ける分量をはるかに超えています。逆に足らない場合もあるのですが、そこはがんばってイメージを広げて補います。
かなりアナログな方法です。
でもイメージやアイディアの検証、その組み立てを行う場合に目で見える形にするととてもやり易いのです。
頭の中だけで何かをまとめようとしても、天才以外そんな器用な事はできませんし、ミスります。
これがいわゆる箱書きというものかもしれませんがプロットに従った箱書きよりもっと細かく、良く言えば繊細に、悪く言えば無駄の多いやり方なのです。
ドバ〜っとイメージやアイディアを出力したら精査します。張りまくられたポストイットを腕組みしながら眺めて繋がりを考えたり、描写を想像したり、もちろん人物キャラクターの心情を考察してみたり、面白いかそうでないか検討したりと、ここでやることは多いのです。
シーンのイメージ
管理者的にこの 「ポストイット出し」 が自分のシナリオの根幹と考えています。
このサイトのいっぱい書いてあるうんちくもシーンをイメージするためにどうするか、ヒントは?ネタは?やり方は?の疑問に焦点が当てられています。
見の蓋もない話ですが、シーンをイメージすることでさえ、”とりあえず” なのです。
そしてこの ”とりあえず” はいつまで続くのかというと究極はずっとそうなります。シナリオは終始そうやって出来ています。厳密にはホン読みにて決定稿になった時点とも言えますが出来た映像だって万人が評価するものには成り得ません。それだけ人の価値観は多様性に富んでいるものだからです。
シナリオを書く事で大事なのは 「前に進む事」 なのです。
だからといって適当では書いている作家が面白くありません。面白くなるであろう構想をとにかく出力し続けるしかないのです。
脚本家の仕事は無から有を作ることにあります。品質はその次に問われる部分で何も書かなければ評価もしようがありません。それは最低限完成したシナリオがあっての話なのです。
だから自分のやり易い形を見つけてまずは形にする事が最優先課題となります。
しかもその内容は修正可能です。例えホン読みにかけて誤字脱字で指摘を受けても、面白くないシーンしか書けなくても修正はできるのです。
そうならない為の訓練は もう数をこなすしかありません。
シーンの抽出は考えだしたらキリがありません。1つのシーンでも視点を変えても表現できるし、キャラクター同士の距離さえも変えてしまえばセリフ自体も変わります。その無限大の選択肢の中から 「これだ」 というところに作家のオリジナティが現れるのです。
そしてシナリオの完成度は自身の「これだ」が分かっているほど上がります。