講師不要論|シナリオ教室の劣等生

講師不要論

 

なんとも挑戦的なタイトルなのだが、シナリオの真理を追究するとこうなる。

 

講師だけでない、プロの脚本家だって参考の域を出ないのだ。

 

それが理解できていたか、管理者は出来ていなかったのだ。

 

 

 

シナリオに「教わる」は、ない

 

管理者も、今でも信じがたい事実なのです。

 

恐らくシナリオに興味を抱いている大多数の人は同意しないのではないでしょうか。

 

そして反発して然るべき意見だと思います。

 

その、落とし穴とも言うべき事実を検証してみたいと思います。

 

なぜ、講師がいらないのか、それを紐解くにはいくつかの要素の源を見つけることから始まります。

 

1つ目、発想とはどこからくるものなのか。

 

シナリオスクールに通ってシナリオの勉強をしていると、講師が講義で情報を伝えてくれたり、課題の添削や少人数の生徒のオブザーバー的な役割を果たしています。有料で個別に作品の講評もしてくれます。

 

いわゆる生徒に対する知識等の情報入力と、生徒が考案したアイディアをシナリオとしたものに対して講評やアドバイスなど出力の”補助”を行います。

 

講師自身の個人的な見解も寄せてくれます。
講師の名誉のために言っておきますが、それはそれは親切で口優しいのです。

 

それも物足らないと感じるまでに。

 

ここで感じる問題とは、

 

シナリオのアイディアを考えたのは誰か、という事です。

 

 ”誰の発想” が最重要事項なのではないでしょうか。

 

それは少なくとも講師ではありません。

 

無論、大変有意義な意見を述べられる方も確かに存在します。
存在はするのですが、かなり限られた人、限られた機会でしかないのです。

 

講師になられる方は、それなりに一定以上の経験なり、実績なりの基準があると思います。

 

ですが、生徒側から見た場合、それはとても不透明なものでしかありません。

 

講師の情報なんて基本的に公開していませんし、聞いても完全には明示されません。

 

また、講師が担当している生徒とのマッチングなどはあまり考慮していないようです。

 

ただ、管理者が言われたのは「講師やクラスの変更が可能」ということでした。

 

ちょっと脱線しそうなので話を戻します。

 

発想はあくまで生徒自身から出てきます。
当たり前ですが、それを何らかの代表として講師が講評します・・・

 

そしてその ”何らか” とは誰の代表だと思われるでしょうか?

 

答えは ”観客” だと思います。

 

 ”スタッフ、関係者” との意見もあるでしょう。シナリオは映像の設計図ですので。

 

でもそれはシナリオを ”図面” に例えるのであれば、書式さえ間違っていなければ問題ないはずです。
発想は形骸化できるはずですが、シナリオはその類ではありません。

 

皆さんが書いたシナリオで工業製品みたいにまるっきり同一という事は有り得ません。

 

ここで間違えてはいけないのが、誰の、何のための為のシナリオか、という点と 発想元、クリエイティブは誰のものか、という点です。

 

いずれも”講師”とはならないでしょう。

 

同時にプロの脚本家でもなければ未定の監督でもありません。

 

よって ”観客” がキャスティングボードを握っています。

 

書いた人の ”発想” がキーポイントになるのです。

 

ですから、本来書いたシナリオの講評(善し悪し)は多数の ”お客さん” に決定権がある事が理解できます。

 

お客さんが存在しないから講師だ、という声が聞こえてきそうです。
確かにそうかもしれません。

 

ですが、その”多数”を講師の方が本当に全部理解をしているのでしょうか。

 

していると申される方はエゴイストだと思います。

 

これが講師不要論の根拠のひとつなのです。

 

 

 

”感じる” は最強のオリジナリティ

 

2つ目、皆さんがご自身で発想したものをシナリオとして出力する場合、何を拠り所とするのか、それは自身の ”感性” です。

 

 ”感性” というと才能チックなので分かり易く言えば、”感じた事”となるでしょう。

 

2つ目の講師不要論の根拠は簡単に説明できます。

 

 講師とあなたとは ”違う” のです。

 

そして、違って当たり前なのです。

 

もっというと、自分が面白いと思って書いたものは、他人からとやかく言われるものではない、という事なのです。

 

もちろん、シナリオの完成度という意味では未熟な点は否めないのですが、それでも書いた本人が納得しているなら、尊重されて然るべきなのです。

 

それが人のオリジナリティというものです。

 

ウケるとか、ウケないとか、売れるとか売れないとか、講評の上手下手なんかは二の次三の次であるはずなのです。

 

そしてオリジナリティが尊重される理由は、必ずどこかに価値観を共有できる人間が存在する事実です。

 

他人がどんなにヘボシナリオと評価しても、世界のどこかに必ず共感する人間がいるのです。

 

それくらい人の世は懐がふか〜いのです。

 

それを理解しているかどうかで、その人の世界の広さ、視野の広さ、人間の器が決まります、これだけではありませんが。

 

人の価値観ほど多様性に満ちたものはありません。
現に、管理者が日ごろテレビを観ていて面白くないと思うドラマなんかが世の中に氾濫しています。

 

でも、ちゃんとスポンサーが付いて、莫大なお金が動いて経済を回しているのですから、管理者の理解が狭いのでしょう。

 

でもでも、管理者が面白くないと思うものは、自分に入力したいと思えません、特に地上波は。

 

それが管理者のオリジナルなのです。

 

もし、そんな管理者の書いたシナリオを月9のドラマ好きな講師が講評したら、どうなるでしょう?

 

完全に偏った評価しか得られなくて当たり前になります。

 

これがもし多勢の都合に飲み込まれたとすれば、飲み込まれなければ評価してもらえないとしたなら、シナリオに芸術性も想像性も何もありません。

 

無価値です。

 

ここまで話すともう哲学チックになるので辞めますが、2つ目の根拠は感じるモノの基準が全く違う、理解を求めるにもかなり浅い、よって不要なのです。

 

講師と作者は根本的に違う価値観の上に存在します。講師は客観的な視点を持って講評しておられるでしょう。

 

それでもその原則を超えるまでにはならないし、なる訳が無いのです。

 

 

他人軸と自分軸

 

3つ目は、講師の責任以外の部分にも考察しなければなりません、不平等になってしまいます。

 

その対象はズバリ、我々脚本勉強家なのです。

 

創造主である我々のスタンスに原因があります、これを抜きに語れません。

 

これは管理者の経験において大いに反省すべき所でもあるのです。

 

そもそもなんでシナリオスクールに通ったのでしょうか。
それは理解を得るためなハズです。

 

理解してその世界に身を置きたい、あの脚本家みたいに素敵な物語を書いてみたいという欲求からなのではないでしょうか。

 

では、ちゃんと理解が出来たのでしょうか。
どこまで”知らない”を ”知る” に至れたのでしょうか。

 

答えは人それぞれだと思います。

 

言われるがままに課題を提出して、それを繰り返して慣れてきて、何を感じたのでしょうか。

 

管理者は、そのひとつがこの ”講師不要論” です。

 

勘違いされないよう言っておきますが講師の存在が悪い、ということではありません。
前述通り、講師の方々はとても親切で優しい言葉で最大限助言をくれます。

 

問題は、「頼リ過ぎていないか」 ということです。

 

見出しの通り 「自分軸」 で物事を発想しているか、という事なのです。

 

 『他人軸』 で生きてはいないか、という事です。

 

管理者は一番最初シナリオスクールの門をたたいた時は完全に「他人軸」でした。

 

いままで経験も無かったし、何も知らなかった、ちょっと勉強すれば本質も見抜けていたかもしれませんが、入校するまで追求しきれませんでした。

 

そこまで積極的になっていなかったんだと今、思い返します。

 

そして時間が過ぎてしまいました。

 

管理者の話はどうでもいいとして、やはり高みを望むのであれば、出来るだけ早くこのスタンスに気付いて欲しいと思うのです。

 

あくまで発想は自分の中からしか出てきません。
誰も人の感性=感じたことに口を挟む余地なんて存在しないのです。

 

シナリオを書いていて、優先順位の高い事とはなんでしょう。
シナリオの場合、クリエイティビティの求められるファクターの場合、自分の感じる事が一番のプライオリティなのではないでしょうか。

 

シナリオスクールは、出来ればこのような本質を伝えて欲しかった、例えスクールを離れるリスクを冒しても正確な情報を伝えて欲しかったと思います。

 

 ”感じる事” といっても芸術家のような完全なモノでなくても構わないのではないか、とシナリオを考察していて感じます。

 

その為に制作上 直しとか決定稿とか、コンテや演出が入る余地が存在します。

 

シナリオにおいて、ピカソの絵画みたいに完全版で無くても映像は出来てしまうのです。

 

日々、気付かない事を気付けるようになるだけで十分シナリオとして通用すると思います。

 

プロの脚本家は、自分なりのその要領を会得しています、それだけなのです。

 

ですが気付かない事を気付けるようになる・・・
これが難しい。

 

そもそも気付けない訳ですから、行動のしようがありません。

 

それも他人の ”気付き” を利用して行動、表現は出来ません。それがパクりというものです。

 

自分なりの ”気付き” を得る方法を自分なりに見つけなければオリジナルにならないのです。

 

つまり、桜の花びらが舞落ちるさまを見たとしたら、自分なりの言葉で、感じたことで表現しなければならないのです。

 

そして、自画自賛できるまでに表現を見出さなければならない。
 「この表現が私だ」 と思えなければならないのです、とどのつまり、納得です。

 

それが出来るようになるには訓練が必要なのですが、その各論はシナリオスクールの講師では指導できません。

 

出来ないとは言い過ぎかもしれませんが、よほどメンター級のお付き合いでない限り無理だと思います。

 

ただし、この本当の意味での課題に自分なりの答えが見つけられれば成功するはずです。

 

自分が主役です。
その大切なポジションを他人に譲ってはなりません。

 

シナリオに限りませんが 『自分軸』 で物事を見れるように、自立することは発信者、想像者としてとても大切なスキルなのです。

 

もし、あなたが理解していなければ考えてみてください。

 

管理者みたいに時間だけ経つと、志が遠くなるのです。

 

これが3つ目の 「講師不要論」 の根拠です。

 

 

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第一章 シナリオ構築の全体像
  • 参考に過ぎません
  • 必要な作業とは
  • 小から大へ向かう
  • この作業に取り組める人とは

第二章 実作業に取り組みましょう
  1. テーマの設定
  2. ログラインの決定
  3. お話しの骨格を設定する
  4. キャラクターを作ってみよう
  5. プロット出しでアイディアを量産する
  6. 箱書きで構成を検討する
  7. 下書きシナリオ執筆
  8. 推敲と清書

第三章 お話しの作りはお手本からマネをする
  • 現実的な“マネ”とは

第四章 コンクールに応募する場合
  • 応募要項は鉄板ルール
  • スケジュールに気をつけよう
  • 添付するあらすじについて


※PC画面で23ページ、16075文字



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