観客に面白いと感じさせる

 

 

シナリオ、脚本は映像を作る為に書き、その映像は観客を楽しませるために存在する。

 

裏方1発目の脚本家は直に観客と接しはしないが、シナリオ、脚本の文字文章という形を提示することでお客さんと邂逅する。

 

書いた物語がいいのか悪いかのかの最終結論はお客さんが判断する。

 

その立場を理解せずにシナリオ、脚本は書いてはいけない。

 

 

お客様視点

 

なんかファミレスのウェイトレスに教えている事みたいですが、この理屈はシナリオライター、脚本家にも通じるところがおおいにあります。

 

もう原則論なのですが誰の為に脚本を書いているかというと、お客さん、観客のためであります。

 

脚本家は仕事です。仕事なので利潤を追求するものです。社会貢献やボランティア、奉仕活動ではありません。もちろんシナリオ書く事は趣味としても品が良くて知的でたいへんよろしい御趣味とは思います。

 

仕事として捉えるならばお金を払ってくれる人を無視できません。そしてお金を払うお客さんの目的とは、一言で言うならば ”満足を得ること” です。見て楽しかった、感動した、いい気分転換になった、などそれぞれお客さんによって求めるものが違うことでしょう。

 

シナリオライターだってサービス業なのです。

 

お客さんの求めるものとは満足であります。その満足はどのようにして叶えられるのか、それは見た映像が面白いと感じることであります。

 

つまり脚本家は今も昔も観客に ”面白い” と感じさせることに心砕いてきました。我々脚本勉強家も目的は同じなのです。

 

シナリオを書いているとつい自分の世界に入り込んでしまいこの最も重要な事柄を見逃してしまいます。
そりゃそうです。物語の今後の展開や気の利いたセリフを考えている時にいちいちエンドユーザーの事なんか考えていません。後回しになります。管理者もそうです。そんなに器用ではありません。

 

こうして独りよがりなシナリオが出来あがります。自分だけ面白いと感じる、それだけのシナリオを書いてしまいます。

 

でも待って下さい。

 

それは良いシナリオではないはずなのです。なぜ良くないか、それはお客さんの視点に立っていないからに他なりません。飲食店でいえば頑張って作ったシナリオという料理をお客さんに出したら 「まずい」 と言われるようなものです。

 

 「まずい」 ご飯を出す店に行きたいと思いませんよね。お客さんは美味しい料理を食べることで満足を得ます。それだけではありません。ちゃんと接客されて気分も演出してあげなくては評価は得られません。 

 

シナリオも同じなのです。

 

ちょっと遠回りしました。
それでは何をすれば、何に気をつけてシナリオを書けばいいのか、というと・・・

 

 ”お客さんの目線に立つ事” なのです。

 

つまり、「お客さんがどう感じるか」 の目線で発想せよ、ということなのです。

 

 「自分がどう感じるか」 より 「お客さんがどう感じるか」 なのです。

 

この垣根は視点を変える事、見かたを変えることで解消出来ます。

 

もちろんシナリオを書いた当人が面白いと思って書く事は大前提です。お客さんのニーズに合わせて、下僕の感覚で書けということではありません。
前提としてあくまで書く人自身が面白いと感じていないモノは、それはどこまでいっても面白くはならないでしょう。作られた映像とそれを見せられた観客が不幸なだけです。

 

視点を変える、というか発想する段階で客観性と主観と使い分けるということです。

 

 

 

前提として第三者の目線であるのか

 

映像そのものは、これ重要なのですが ”第三者の視点” が不可欠です。つまり ”端から見て” 面白いかそうでないか、の視点になります。

 

大事なことなのでもう一度言います。

 

 「客観的な視点、第三者の視点」 で面白いか、意味があるのか、を考えてシナリオに書きます。

 

簡単に説明しますと・・・
登場人物が悲しくても、それを端から見て面白いか。登場人物が怒っていても、それをお客さんから見たら面白いと感じるか、なのです。

 

脚本家の描くべきことはこの ”端から見て” に起因して書いています。
作者個人から見て、ではありません。

 

もっと言えば、この ”端から見て” 観客が悲しむか、笑うか、怒るか、要するに喜怒哀楽を感じるかを基準に設計しているのです。

 

脚本勉強家的には 「自分も面白いと感じられて、観客も面白いと感じる」 べき作り方をしなければならないのです。

 

それが管理者なんかも抜けてしまいます。自分が夢中になって、集中すると周りが見えなくて、なんだかスラスラ書けるものだから、観客の目線を無視してしまうのです。

 

いい参考材料があります。
今の若い方は知らないかもしれませんが往年のコミックバンドでドリフターズというグループがありました。音楽のバンドというよりコントグループで管理者の子供時代は一世を風靡した有名なバンドです。

 

今でもCSでは当時の番組を放映していてたまに見るのですが、今見てもとても面白いのです。いや、正確には 「面白いと感じさせてくれる」 のです。

 

およそドタバタ劇ですが演じているドリフターズの面々は基本的に痛かったり、苦しかったり、不愉快だったり、熱かったり、寒かったりでもう自虐的な演技を繰り返します。
でも見ている観客はその姿を見て笑うのです。それも予定調和的に、こうなるだろうな〜と観客が思っていて、その通りになっても笑えるのです。

 

ドリフターズを知らない世代の方はぜひDVDでも借りて見て下さい。今の芸人の見せるものより何倍も面白いのです。

 

そしてドリフターズの演技は、とても緻密に設計計算されています。ここが作家の見るべきポイントです。

 

全ての演出において、一貫して観客が面白い、必ず笑うという視点で作られているのです。無駄なシーンなんて1シーンもありません。

 

しかも理屈ではなく、観客がいちいち考えなくてもいいように直感的に、超短期的に笑えるように構築されています。

 

そのためにドリフターズは身体を張って演じます。
よくお話しの終わりのオチで天からタライが降ってきて人物の頭を直撃しますよね、あれってかなりの高度から落下させていますから いくらタライが軽くても相当な重力加速度がつくはずです。かなりの衝撃を人物は受けていて痛いはずなのですが、見ている人は なんだかわからないタライというものが天から落ちてきてタイミングよく人物の頭に 「カン!」 と当たる音と当たった人物のリアクションを見て、笑わずにはいられないのです。

 

これが第三者の目線です。目的は第三者(観客)が笑うことなので、痛かろうが苦しかろうが関係ないのです。本来、「大丈夫?」と声を掛けたくなるシチュエーションでも第三者が見れば笑ってしまうのです。

 

優先すべきはこの ”お客さんがどう感じるか” その為にはシナリオはどういう描写をするべきか、ということなのです。

 

ドリフのコントはとても参考になります。

 

管理者も観客が直感的に感じるシナリオが書けたらいいな〜と切に思います。
だって面白いんだもん。

 

    

 

客観性と主観の使い分け

 

第三者の視点に対して主観的な描写も考えてみたいと思います。

 

我々脚本勉強家も含め、つまんないシナリオ、つまんない劇、飽きる番組というのは このあたりの使い分けが不十分なのではないでしょうか。

 

ドリフターズの場合はコントなので観客の笑いが主たる目的ですが、シナリオ、脚本の守備範囲はもう少し広いモノなのです。

 

そう、シナリオに求められる大事な要素 「感情移入」 です。

 

シナリオスクールでは観客の感情移入を促す方法として、人物に困難や試練を与えると言っていました。つまり主人公を困らせまくることです。困らせて困らせて観客に「どうなるんだろう」と感じさせて物語の先行きに興味を引き出す手法を提唱していました。

 

それは間違いないと思います。

 

そこで管理者も自分のシナリオの登場人物を困らせまくった事があるのですが・・・ぜんぜん面白くなりませんでした。

 

なんでそうなったかを考えている内に前述のお客さん視点にも種類があるのでは、と気付きました。(つい最近になってですが)

 

結論から言いますと、登場人物の描き方に主観が足りていなかった、ということになると思います。

 

シナリオを書く場合、第三者の視点は必須です。でも端から見た客観性だけでは人物の感情まで入り込めません。かといって第三者の視点を無視したらシナリオとしての完成度は上がらないのです。あくまでキャメラは端から撮っている訳ですし。

 

これってジレンマなのですが実感として 感情を移入させたいキャラクターがいるとして、そのキャラクターの目線に入って、しかもかなりキャラクターの主観を強力に描写しておかなければ、いくら困らせようがどうしようが観客は入り込んでくれないように感じるのです。

 

つまりシナリオを書く場合、物語を見せる客観的視点とキャラクターの主観的視点のバランスをとらないと感情移入は起こらない、と思うのです。

 

もう少し具体的に考えます。
キャラクターの個性付けが足らないとも言い換えられますが、それをもっと前面に押し出す描写がないと、もっと観客に伝えるべきバイト数を増やさないとダメなのではないでしょうか。

 

管理者が過去に見た映像で感情移入で影響を受けたシーンを思い出してみます。

 

ヒロインが主人公の男の子との別れを惜しむ描写で ”ここで終わり” という期限が設定されています。物理的な期限ではなくヒロインの心の期限です。

 

物理的だと出発する飛行機や列車の発車時間で汽笛が鳴る・・・とか心拍停止の画面とかなんてよくありますが、管理者が感動したシーンはヒロインが自ら決めたケジメ的な期限です。

 

ヒロインは最後に公衆電話を使って主人公の男の子に電話します。ケータイは思い出を断ち切るために解約してしまいました。最後の電話、その迫る期限の描写を公衆電話のカード残高によって秒読みさせています。電話を掛けているヒロインと、それを思い留まらせようとする主人公の様子を描写していく中で カード残高が減っていく公衆電話のデジタル文字の画面をカットバックで1度数ごとに見せています。1度ごとにカットを切り替えますので このシーン、かなり長いのです。最初のまだ度数に余裕がある時は強がってみたり、他愛のない話から始まって、度数が減っていく度に緊迫感が演出されます。そして想いを告げる直前で度数が”0”になってしまいます。無情な電話の切れた音とヒロインの気持ちが痛いほど伝わってきました。

 

こうして感情移入させるためには思いっきり人物の主観的な描写を ”これでもか”というほど与えてはじめて実感されるのだと思います。それに利用できるものは時間の長さから、カットの多さから、セリフの長さから、演技的、演出的、心情的、制作で出来る事、その内容もしかり、なんでも使います。

 

感情移入を促す為には人物の主観は徹底しなければならない事が分かるのです。その上で困らせます。上記ですとヒロインは想いを告げられなくて未練という絶望感に支配されその場にうずくまります。

 

   

 

 

管理者のシナリオが面白くならなかった原因は主人公なり他の登場人物なりの、この主観です。主観が足らなかった、強力な描写を引っ張っていけるような個性が思い付かなかった事が悪いのです。

 

第三者の視点が欠けていればシナリオとして成り立たず、キャラクターの個性と描写が足らなければ物語として面白くなりません。

 

シナリオは、マクロでは客観性、ミクロでは主観性が必要で、その使い分けは考えて書かなければ、

 

観客はたぶん、納得しないことでしょう。

 

面白く感じないはずなのです。

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