シナリオ技術の構成法をセミナーに応用する
各論に近づいてみよう。
シナリオでも構成に悩むことになるのだがセミナーにおいても構成抜きに設計できない。
構成とは一言で言えば語り口を考える事、ストーリーテラーを決めることなのだ。
有益な情報をいくら所持していてもこの語り口いかんによって効果が劇的に変わってしまう。
人に情報を伝えるにあたってシナリオの技術を応用してみる。
伝える事とは、語り口
誰に、何を、どのようにして、なんて言葉を聞いたことがおありかと思います。
人に伝える事の要点をまとめたものですが本当は5W1Hなんて言われています。基本的な要素は6つですがその中でもこの記事に関することとして 「どのようにして」 にフォーカスしてみます。
「どのようにして」 とはすこぶる曖昧な表現です。
つまりは各論なのですがその意味とは 「伝え方」 なのです。
セミナーの場合、主催者が受講者に与えられる有益な情報を”どのようにして”語るのか、それがとても重要なファクターになってきます。
なぜ重要かというと、この伝え方に上手い下手が存在するからなのです。
上手い伝え方、充実したセミナーとは受講者が理解して納得するという結果が伴うものです。
対して下手な伝え方、残念なセミナーとは講師の言っている意味が理解できず何だかよく分からないまま、いつの間にか販売会みたいに商品を売り込まれた、なんて顛末で終わります。
当然ながら、主催者はバックエンド販売を目論んでいますから上手い伝え方で受講者をある意味支配しなければなりません。
そうしないと成約とはならない訳ですから下手を打てません。
「どのようにして」 は受講者に対して上手く情報伝達しなければ結果が見込めないという危険をはらんでいます。
下手したその結果は主催者講師も、時間を割いてお金を払って聞きに来ている受講者にとっても本望ではありません。避けなければならない状況です。
「どのようにして」 は構成を考えるという事です。
望むべき結果を得るために持っている情報をどのようにして伝えたらいいのか、お話しの組み立てを考える必要があるのです。
総じてセミナー構成を考える事になるのですが、ここにもシナリオ技術が役に立ちます。
しかし、この構成はシナリオの世界でも曖昧かつセンシティブな部分で、一定の仕組みのようなものはあるのですが発信者によるところが非常に大きいのも特徴です。
この条件はシナリオでもセミナーでも変わりありません。
構成ってなに?と聞かれれば、ストーリーテラーを考える事だよ、となりストーリーテラーってナニ?と聞かれれば語り口だよ、となり語り口ってなに?となれば構成だよ、なんて堂々巡りの議論に終始します。
なんだかよく分かりません。
それでもこの語り口を考えて結果を想定しないとどうなるかといえば、話として支離滅裂になってしまいます。
支離滅裂では本来伝えたい情報が受講者に伝わりません。それに加えて前述の記事でも紹介した通り変化を盛り込まなくては受講者の心を掴めません。
ではシナリオではどうしているのかというと、一定の法則に従って作者がアレンジしています。
その一定の法則もその人の捉え方で大きく解釈が違ったりしていて実は一定になっていません。
それがオリジナリティというもので評価されるか、否かということになっています。
シナリオ勉強家はそのヒントを実際の映像から読み取ろうとします。
構成を上手くやりたいのならたくさん映画を観る事が良いとされています。
観て感じるのです。体育会系の理屈みたいですが言葉で理解できそうになければ感じて取り込むしかありません。
セミナー熟練者はそれを場数を踏んで経験して自分の物としています。
難解な反面、面白い所でもありその人の成りというものが如実に出て個性とリンクします。
管理者も正直得意ではありませんが法則性みたいなものはある程度理解していますのでリアルセミナーに当てはめてみましょう。
セミナーで語る”順番”決め
“昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいて・・・・・・“ なんて語りから昔話が始ったりします。
構成とはお話しを組み立てるにあたって、平たく考えるならば時系列に沿ってお話しの順番を決める事であります。
シナリオ的にはそれぞれシーンというパーツがたくさんある訳で、それらをどんな組み立てによって効果的な描写となるのかを設計することなのです。
セミナーでいえば最初に何を話して、次に何を話し、ここで共通性を語って、最後に〆る、ようなことを結果を想定して最適化を考えます。
つまり結果が伴うべき情報(話し)の並べ方を組み立てることなのです。
どのように並べればいいのでしょうか。
シナリオ的にはよく ”起承転結” なんて言います。和風でいえば“序破急”といいます。
実はこの文言、間違いではないのですがとても粗くて実際には使えません。物語もセミナーも、伝えるべき情報はもっと複雑で奥深い物であったりします。
熟練セミナー指南者の先生方もセミナー構成法として起承転結とうたっていますが、実際にはこんな4文字で表す事、まとめる事は出来ません。
管理者はシナリオの構成を起承転結にまとめる事が嫌いです。使えないからです。実用に耐える言葉ではありません。
しかし、あまり形にこだわる必要もないのかな、とも現実のセミナーを受けていて思います。
率直にザックリとセミナーの進行において、こうやったほうがいいという提案をしたいと思います。
ですが、セミナーの規模もテーマも何もかも違うので提案通りがベストという事ではありません。
セミナーも千差万別、講師の個性もいろいろ、状況や集まる受講者も不特定という条件下では、そのコンテンツに合った構成という物は一番セミナーの事を知っているであろう発信する当事者が決めなければなりません。
それを踏まえてどんなセミナーでもこれだけは外さない方がいいという事だけシナリオ技術から引用してみます。
初めは”掴み” です
セミナーが始まってご挨拶したら、またはご挨拶の前から受講者の ”気を引く“ ことをします。
何やってもいいからとにかく受講者の注意を講師に向けるような演出が必要です。
シナリオでもこの導入部は非常に心を砕くシーンになります。
なぜかというと掴みに失敗すると連続テレビシリーズの場合、視聴者はチャンネルを変えてしまうからです。
「後半が見どころなのに」 と訴えても、それは導入部に失敗した犬の遠吠えです。実際に後半が面白い展開になっていても最初でつまずくとそれ以降見てはくれないのです。
故にインパクトは最初でなければいけません。
セミナーもシナリオも同じで観客受講者に 「次はどうなるんだろう」 と感じさせないと後が続かないのです。
これは後でやればいいというものではありません。最初にやるから効果が上がるのです。
よく本の目次のようなテキストをスクリーンに映して進行するセミナーがあります。
その展開は間違いじゃないのですが受講者に影響力はありません。
それは媒体の違いによるもので本の構成をただセミナーでマネしても伝わりません。
本による伝達とセミナーのような時系列に沿った伝達とはまったく性格が違うのです。この件は後述します。
本の構成を模したセミナーはただ、だらだらと始まるような印象です。
実際のビジネスセミナーでは講師紹介がある意味掴みになっています。
セミナーセオリーのひとつに講師紹介は司会者にさせるべき、というものがあります。
それは心理学に基づく構成法なのですが、受講者は講師自身が自己紹介するより他人が紹介した方が権威を感じてしまうのです。
”権威の誇張” が一発目の掴みとなり受講者はその権威やブランドに興味を示します。
「そんなすごい実績のある人は何を喋るんだろう」 と関心を持ちます。
管理者はセミナーではご挨拶のあと、すぐ喋り出さないで一呼吸おきます。そして上着を脱いでネクタイを外しワイシャツは腕まくりをしてから話し始めます。
言葉ではなく、動作としてやる気を見せます。
こんな些細な演出で受講者の興味を引く事が出来ています。
やり方はなんでもいいのですが何らかの工夫がないとインパクトは与えられません。
シナリオ的には最初にいきなりクライマックスのシーンだけ見せてしまいます。とびきりド派手なシーンをわざと冒頭に持ってきたりします。
それは意味の通るものではありません。しかし確実に観客の興味を引き込む事が出来てしまします。
興味を引けさえすれば掴みはOKです。意味が通らなくても、観客が訳分からなくても、それでいいのです。
その理由やいきさつは本編でじっくり見せていけばいい事です。
このような導入法を張り手形といいます。
とても効果的な演出なので商業エンタメでもよく使われています。
セミナーで応用するのならクライマックス=セミナーで導ける結論のさわりを誇張します。セミナーのキモをもったいぶって最後の方に公表するのではなく、いきなり受講者に浴びせかけるのです。
受講者は意味なんか分かりません。でも「凄い」とさえ感じてくれればいいだけなので多少脚色を施してもインパクト重視でセミナーのクライマックスを最初に見せます。
このようにして最初に受講者の気を引きつけることしないとセミナーが締まりません。
そうしなければいけない理由は主催者が訴えることを円滑に素直に聞いてもらいたいが為の工夫なのです。
受講者に退屈して欲しくないのです。
それ故シナリオでもセミナーでも導入部は考えておかなければならないのです。
シナリオ的には “張り手形” と対照的に ”撫で形” の導入法もあります。
読んで字の如し、スロースタートで始まる導入法です。ただ撫で形導入法は導入した直後、なるべく早い段階で光るシーンを持ってこないと観客が飽きてしまいます。
セミナーでも落ち着いて演出なんかしないで静かに入っていっても間違いじゃありません。ただなるべく早い段階で光るシーンを持ってこないとシナリオ同様飽きられてしまいます。
本の構成でもいいのですが、その構成では光るシーンなんて想定していない場合がほとんどです。セミナーという手法も光るシーンがなければセミナーである意味がないのです。
セミナーにおける光るシーンとはなんでしょうか。
ひとつは受講者の感じている悩みや問題に対して明確な各論で応えることだと思います。
しかし、それって大勢の前で立つ講師には構造的に難しいような気もします。
撫で形導入は話しの起伏がおとなしいだけに少々難しい構成というか工夫が必要になると感じます。
ただ、実直な講師の方であれば、ある種奇をてらうような張り手形を好まないということもあるでしょう。
そのような時には撫で形でゆっくり落ち着いて入っていけばよろしいとは思いますがなるべく早い時間で光るシーンを要所要所におかないとすぐに飽きられてしまいます。
その点をお忘れなく。
共通性が受講者の心を揺さぶる
輝かしい経歴、たくさんの成功事例、権威者の評価、成功した体現者の経験談など、セミナーを飾るコンテンツは必要不可欠でしょう。
でもそれらだけで受講者の心を動かす事は出来ません。
前述したようにそれらは所詮 “他人事” なのです。
そうでない受講者もおります。それは事実でちゃんと成約してくれます。
勝手に買ってくれる人は勝手に買ってくれるのだからほっといても構わない受講者です。
問題は買うべきかどうしようか、迷っている受講者です。
自分でも出来るのか、現実的なのか、セミナーを聞いていて疑心暗鬼に陥る事は普通にあります。
世の中のセミナーも含め教育コンテンツは出来る人に対してだけ作られているケースが本当に目立ちます。
学校でも ”よくできました” と評価します。
でも本当は出来ない人を出来るようにするために教育があるのであって、出来る人は勝手に出来るのだから評価したとしても手をかける必要の無い人なのです。
フォーカスすべきはこの ”出来ない人” をどうするか、に本質があります。
学校では出来ない人は切り捨てればいい、それでも済みますがビジネスセミナーは違います。
お金を貰っているのですから、お金を貰ってセミナーを開いている以上受講者にはメリットがなければなりません。これは至上命題です。
それは出来ない人を出来るようにする、やれないと思っている事をやれる気持ちに変化させなければ本末転倒なのです。
そのような出来ない、やれない受講者をポジティブに変化させるにはその人に目線を合わせなくてはなりません。
受講者に近づく為の共通性はセミナーのどこかで必ず盛り込まなければならない必須事項です。
セミナーという制約の多い環境の中でどこまで受講者にベネフィットできるかが成約率に直結するのです。
セミナーではクライマックスはいらない
シナリオであればクライマックスは必ず必要なセクションになります。
主人公が劇的に変化する場面です。
しかし、リアルではそんな極端な変化は出せないし、求められていません。
人間はどんなに変わりたいと願ってセミナーにお金を払ってまで受講しに行っていても、実は変化を嫌う生き物です。特に極端な変化ほど敬遠します。
それ故ビジネスセミナーでは受講者に対して、例え劇薬があったとしても与えられないのです。
映像エンタメでいうところのクライマックスは必要ありません。
でも何らかの変化は感じてもらわなければなりませんし、そうしないとバックエンドを買ってくれません。
それはホンの些細な変化でもいいのです。
実際のところ、セミナーを受けてみて変化を感じないで帰る事の方が多いのです。
精神的な変化を感じられて、ベネフィットした対応があってあらゆる面において面倒見てくれるという意志が感じられれば、受講者は借金してまでもバックエンドを買いたいと思う事でしょう。
そんなセミナーを受講してみたいものですが、安いセミナーでは適いません。
コストは正直です。
ビジネスセミナーを通じて本当に利のある講義を受けたいのなら、メンター級の人に出会いたいならお金をかけるべきです。
高級セミナーは確実なメリットを受講者に与えてくれます。
リアルのビジネスセミナーではクライマックスはいりません。ただし、変化を感じさせられなければそのセミナーは本物ではありません。
瞬間の演出
お話しには起伏が必要という話です。
教科書や用意したレポート用紙を読んでいるだけのようなセミナーは受けていて辛いものです。
そんなことにならないようにするためには語るお話しに起伏を作らなければなりません。
起伏?山と谷?よく分かりません。
意外にもそれは極簡単な方法で解消出来ます。
ひとつは 「自分の言葉で話す」 ということです。
台本に書いた文言があったとします。
それをそのまま読まないで一旦自分の言葉に変換して、それこそ “語る“ ように喋るのです。
自分から発した言葉にはいろんな感情語や ”間” やテンポというものが含まれています。
その時には当たりまえですが聞いている人の立場になって、受講者を感じて喋って下さい。
講師の個性が出ているほど受講者は何かを感じ取ります。そういうものなのです。
セミナー経験者は同じようなことをみな、言っています。
上手く喋れた時より失敗したと思ったセミナーの方が反響が大きかった、と。
上手く喋れたセミナーとは台本通りつつがなく滞りなく喋れた、噛まないでスムースに話が出来たというものです。講師は内心成功したと感じます。
しかし受講者はなぜか話に失敗したケースの方を評価するのです。
これっていったいなんなのか、それは喋るお話しに起伏が含まれているか、そうでないかの違いなのです。
講師の地を出す事は正確でスマートな喋りを凌駕してしまいます。これは現実です。
あまり砕けてもいかがなものかとは思いますが、それにしても通り一辺倒な喋りには魅力がないのです。
上手くいかなかった喋りにはその人の個性が出ています。感情が滲み出ているのです。それが受講者に付加価値として写るのです。
求めるべき精神的変化とは感情によって促されます。それはデジタルチックな正確さとは相反する要素です。
簡単にいえば 「地を出して、自分を出して下さい」 ということです。定型に縛られる必要の無い事を理解するべきです。
もうひとつ、変化を伝えるにあたりなるべく一気に伝えた方が同じ情報でも受け手は感じます。
たいがいセミナーに行くと変化の過程を長々と説明します。
シナリオ的には禁句の説明セリフです。
伝えたい意志は伝わるのですが、どうせ変化を見せて受講者を納得させたいならもったいぶらず一気に瞬間で見せるのです。
瞬間の演出はスポーツでも見て取れます。
大相撲では実際にぶつかり合うまでかなり長い ”間” をとります。
そして勝負は一瞬です。
その結果に観客は歓喜します。
これが例えばプロレスみたいに長い時間かけて勝負を決めていてはあの歓喜は起こりません。
一瞬だから目を凝らすのであり、一瞬だから感動します。
それ故、セミナーでもこと変化を表現するなら一瞬で見せる、語ることが受講者の心を動かします。