アニメシナリオ脚本考察|シナリオ教室の劣等生

シナリオ上の違いとは

 

物語を語る上でいろんな伝達方法が存在する。

 

このサイトはアニメ、実写、実写でもドラマ、映画関連のシナリオに関して書かれたものである。

 

それでももっと細分化すればカテゴリーごとに特徴が違うのだ。

 

一口にシナリオといってもその姿は、究極を言えばそれこそ人の感じる数だけ存在する。

 

とりあえずアニメと実写の違い

 

とりあえず、としたのはザックリとしか分けられないからなのです。

 

実写=キャメラが動けてシーンが変えられる、俳優の演技をフレームの映像を通してフィルムに焼きつけて投影して見せて、場面の変化が楽しめる。音声も音楽も効果音も付いてくる・・・
と定義づけても、日本の連ドラと韓国の韓流ドラマとアメリカのクライムサスペンスとまったく作りも違うし、表現もそれぞれ独特なもの、世界観を持っているのです。

 

それを十把一絡げでは説明できません。

 

アニメにしても細かいジャンルが存在します。
萌えアニメと女子アニメでは全く違うし、コメディとリアルフィクションでも全く違うし、ユリとBLなんて全然違った描き方をします。それこそ絵面が違えばガラッと変わってしまいます。

 

紙芝居調のアニメとロボットものヒーローものと同じシナリオになる訳が無いのです。

 

書き方の原則は同じです。

 

それでもその作品によって、またどのような鑑賞方法が使われるかによってシナリオの書き方は変えなければなりません。

 

シナリオスクールに通っていて疑問だったのが、なぜ、書かせたシナリオにジャンル設定が無いのか、ということでした。

 

つまり、このシナリオはアニメ向けですよ〜、とか韓流が好きでそのイメージで書いたものですよ、という申告が無いままで同一の評価しか受けられません。

 

それはそれは読んでいる講師の方におかれましてはアニメの独特さは理解できないでしょう。
韓流の思いっきりクサいセリフを理解できないでしょう。

 

だからシナリオという一言で片付けられないのです。

 

少なくとも作者の説明が必要なはず、なのです。
それは観客を意識する上で必要な事だとは思いませんか、どうでしょうか。

 

 

 

それでも考察してみます、アニメと実写

 

実写に比べてアニメシナリオは、尺が同じとしたら枚数がかさみます。多くなるのです。

 

それは実写の伝わる物とアニメで描く物との差なのです。
俳優というリアルの見た目やその人の雰囲気までコミコミでフィルムに写せるものと、それらをわざわざ絵で描いて表さなければならない物との物理的な差でもあるのです。

 

要するにアニメの方が描写に手間がかかるのです。

 

描写に手間のかかる分だけ、ト書きに書く事が多くなってしまいます。

 

故に枚数が増えてしまいます。

 

また、展開のスピードも枚数の増える原因になります。
実写に比べてアニメは展開が早めに作られています。それは静止画があまり使えないからなのです。

 

物語を進める事とはアニメの場合、画(え)を動かさなければ一歩も進みません。というか進んでいるように見えないのです。
ですから展開を早くする=シーンを変えることで視覚的に止まらないように工夫しています。

 

いわゆる ”画がもたない” のです。

 

止め絵、という表現もあるのですが何らかの意図がないと勝手に出来ません。止め絵は乱発出来ないのです。

 

視聴者が止まった画に違和感を感じないように画を動かすか、カットを重ねるか、シーンを変えるかしないので結果的にシナリオは多くなるのです。

 

さらにアニメは演劇的な要素を用いて表現することがあります。

 

ここでいう演劇的要素とは、劇の舞台で俳優の喋るセリフに、会話的な要素のほかに、見た目当たり前な状況や説明をわざとセリフに含ませるということです。

 

ちょっと書いていて分かり難いですね。
要するに演劇のセリフにはわざと状況や心情を言葉にして発するという表現法が使われているのです。

 

つまりはオーバーリアクションです。

 

泣いている描写をする場合、俳優が涙を流す所でセリフで 「私は悲すぅい〜!」 と喋ります。

 

演劇を観ていて気付く事ですが、状況や心情をセリフにして表現します。これはキャメラの入る映画や実写のドラマでは有り得ません。

 

演劇は観客の目線が一方からしか見えません。舞台に対して観客席が向かいあっている構造です。
観客も最上段から最前列まで舞台との距離が全く違います。

 

実写のようにキャメラでシーンやカットを変えてセリフの方向性を表現できません。なので一部の表現をわざわざセリフにして観客に伝えます。

 

 「ああ〜ロミオ!、あなたはなんでロミオなのおぉ〜〜〜」

 

こんなセリフ、実写で使えません。ですが演劇ではそうしないといけない事情があるのです。

 

それもなぜか劇場で聞くと違和感がありません。これが戯曲の凄いところです。

 

アニメにも同じような現象が起こるのです。

 

実写と同じようにカットやシーンの展開は問題ありません。問題なのはキャラクターがリアリティに欠けている点なのです。

 

写っているものは絵、画なので基本的にキャラクターのトーンは統一されています。
同じキャラデザがキャラクターを造形しているのでぶっちゃけみんな同じように見えます。

 

アニメを見慣れていない人は特にそう思うのではないでしょうか。
 「みんな顔が同じ・・・」

 

その道に精通しているとゼンゼン違うのですが、一般的にはそういう風に写るのです。
無論、それを避けるために同じタイトルでキャラデザを変えて見せようなんて事はしません。映像的におかしくなりますので。

 

実写の俳優はそう言った意味で観客に伝わるバイト数が見た目より格段に高いのです。観客は感覚でその人と分かります。

 

アニメキャラはそこんところが疎いのです。だから・・・

 

 「原画担当にして売れっ子同人作家にして幼馴染の澤○・スペンサー・×梨々」・・・
なんてセリフがまかり通るのです。

 

キャラクターに限りません。
絵や画で描くものはリアルに比べ説得力に欠けるので環境や状況や事情といったものにいわゆる”補足”が必要になるのです。

 

それでも前述の通り、シナリオの説明セリフは避けた方がいいし、説明の描写は違和感しか生みません。それでも説得力がどうしても足らないので最低限の使用に留めるか、演出の一部として脚色してあえて説明を入れたりするのです。

 

 「N」とか「M」もそうなのです。

 

アニメは実写に比べてナレーションやモノローグといった副音声が多いのも特徴です。その事情とは上記のような映像表現上の問題に対処するためであり、違和感を残さないために演出の一部として面白く見せているのです。

 

実写ベースの評論で、アニメの「N」や「M」の使い方をしたら間違いなく落第でしょう。アニメという媒体だから格好がつくのです。

 

いつも思いますが映像において、絵づらで表現しきれなければセリフにするしかないのです。

 

逆にセリフで表現しきれなければ、ト書きで行動で表すしかないのです。

 

アニメはそう言った意味でも、もともと説明が必要な媒体なので、当然シナリオにしてもボリュームが増えるのです。

 

そしてそれはアニメに限らず媒体によって、そのジャンルによって暗黙のルールが存在するのです。

 

演劇でもオペラと現代劇とバレエでは戯曲でも全く違うはずです。詳しくないので曖昧なのですが。

 

映像から伝わるものの特徴を表現するのがまず第一であり、シナリオはその為に存在します。
ですからシナリオの執筆にはまず ”どの媒体の何のジャンルか” を決めて書かねばなりません。全部共通ではないのです。

 

送り手とお客さんと、その関係性を絶対に無視できないはずなのです。

 

前にも書きましたが脚本家、シナリオライターはサービス業なのです。

 

脚本家、首藤剛志氏を想う

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