構成について考えてみる
お話しの構成は誰もが悩むところであろう。
確かに表現方法において物語の構成は善し悪しを左右する。
シナリオスクールの上級生でも構成が1番難しいと言う。
だが、本質に沿っていれば構成は必然的に導く事が出来る。
その本質とはなにか。
構成の要素とは
シナリオを書く時になんだかやたら悩まれると噂される構成について考えてみたいと思います。
その前に構成って、何を構成するのか確認しておきましょう。
映像はシーンの集まりであります。個々のシーンをどうやって組み立ててお話しとするのか、映像の時系列にのっとってシーンの順番決めの事を指しているのだと思います。
細かいところから言えばカット、シーン、エピソード、シリーズ、物語 と徐々に小さいものから大きな集合体になっていきます。大きいもの=物語全体から見ればこの順番の逆になります。
そしてそれらは動画のパーツの集まりになっています。
カットの集まりがシーンで、シーンの集まりがエピソードで、エピソードの集まりがシリーズになり、最終的に物語となります。
それぞれにいくつものパーツが存在して、そのパーツを組み立てることが構成と言われるものでしょう。
さっきから人ごとのように申しておりますが、管理者はあまり構成という言葉にピンとこないのです。
もちろん管理者自身が書くシナリオにおいてもシーンの順番やエピソードの順番は熟慮しますが 他の人が言うような「構成は難しい、構成がわからない」といったストレスは感じていないのです。
無論、知っていますよ、物語は個別のシーンや描写も大事ですが構成も要だという事を。
構成とは見せ方です。パーツを組み立てるにあたって組み立てた結果である見せ方を考えない訳には行きません。その見せ方いかんによって品質も左右されます。
やはりどんな脚本指南書でも構成は難しいとされています。
ケンカ売っている訳ではありませんが、ちょっと構成構成言い過ぎなのではないでしょうか。そもそも構成とは出来あがったシナリオないし映像を見たらこんな感じになっていた的な観測でしかありません。
管理者の嫌いな文言でもある ”起承転結” と同じ意味合いに聞こえるのです。
それは完成したシナリオないし映像を見た時の話で、0から1を作る場合の作家の意識ではないように感じるのです。
もっと言わせて頂くなら、今書いているシナリオの構成はそのシナリオ独自の物である、ということで何かの他の作品から引用するものでなければ他力によるものではないと思うのです。
管理者の自虐ネタはこれくらいにして ”要素” について考えます。
要素とはシーンが何で出来ているかということです。ここでは ”カット” は考えません。それは演出家の仕事だからです。シナリオライター、脚本家はシーンからその上の組み立てをします。
シーンは何からできているか、それは前述のとおり、変化するさまで出来ているはずです。
何かしら変わる様子を表しています。
心理的変化だったり、物理的変化だったり、その変化に対応する登場人物がいます。対応するにあたって葛藤やら気持ちの起伏があります。
それを見せているのがシーンになっているはずです。
もしなっていなかったら点検の必要があります。点検すべきは ”そのシーン、ホントにいるのか” です。
点検については「脚本構築考察」カテゴリーの推敲法のページを参考にしてください。
構成の要素の1つは変化です。これが1番目立つし描写する技術が求められます。
変化の過程はこのカテゴリーページ内でも申した通り、起伏のヤマ谷のセットになります。組み立てるパーツとはこの”ヤマ谷セット”となります。
前述でも お話し、シナリオはこの”ヤマ谷セット”の集まりであると説明しましたが、実は要素としてもう1つあるのです。
シナリオに盛り込むべき ”遊び”
お話しの原動力となるのが変化を描く事なのですが変化を描写した”ヤマ谷セット”だけでは、極論をいえばジェットコースター的な物語になりかねません。
見ている観客もついていけなくなる可能性もありますし、全体を通してつまんなく感じます。
そこで ”遊び” を盛り込みます。遊びとは ”お楽しみ映像” のことです。
映像は時間とともに進行します。その進行に遊びやお楽しみを入れて進行を一時止めるのです。画像を一時停止させるのではありません。物語を止めるのです。
止めるといってもお楽しみも映像としてタイムカウンターは動きっぱなしなので時系列は止まりません。
当然尺を食っていきます。
これは実際の映像を見ればわかります。
ミステリーの謎解きのシーンは物語そのものは動きません。謎解きの答えな訳ですから時間を掛けてじっくり見せていきます。
ガールズバンドのライブシーンも物語を止めてライブの様子を見せます。アイドル育成ものでもそうです。今まで葛藤しながら変化してきた結果、成果を具体的に見せる、魅せるシーンを入れることで充実感だったり、達成感だったりを描写します。
登場人物はその結果を元にまた活躍します。こんな展開の部分をターニングポイントなんていいます。
一連のお話しの流れの中に折り返しや区切りを入れてお話しの意味合いやテーマを伝える “間” を入れます。それが ”遊び”、”お楽しみ映像” になります。
そしてお話し、物語において原動力と遊びのバランスは映像の目的と作者のさじ加減で決まります。
ぶっちゃけ ”遊び” だけしか見せない映像だっていっぱいあります。女性のユーザーさんには品のない話で恐縮ですがエロビデオなんてその典型です。エロビデオは物語性なんて、見ている観客は求めていません。
さっさと始めろ、が観客の本音です。
ですから、例えエロビデオでも構成の参考になるはずなのです。
観客の目的は何か、それを理解しているはずの作者はどう組み立てるのか、ということなのです。
構成が難しいとおっしゃる作者さんはこのあたりが見えていないのではないでしょうか。
お話しを組み立てる為に参考になること
管理者はシーンの組み立てを考える場合、参考というか引用していることがあります。それは自身のリアルな感情の起伏です。それを物語に与えます。
管理者の話の前に、物語全体からみた 「作られ方」 を考察してみます。
お話しの原動力である”ヤマ谷セット”にも大小があります。ヤマと谷の落差、起伏の振れ幅のことです。
王道は落差の小さいエピソードが何個かあって たまに中規模の落差のエピソードが挟まります。
小エピソード数個見せてから 1個の中エピソードを入れて、また小エピソード数個入れていきます。
このパターンを何回か繰り返して最後に特大の落差のあるエピソードで締めくくります。
もちろん途中の中エピソードで遊びを入れたりしますし、エンディングが集大成としてお楽しみ映像になることもあります。
小エピソードと中エピソードの繰り返しながらもお話しが進行するに従い徐々に大きく成長していきます。
ザックリ申せば仲間が増えたり、課題問題が増えたり、進行したが為にストレスが負荷されたり、最初と比べて何かしらくっついてきます。
そして特大エピソードに繋げていきます。
こんな感じで出来ていると思われます。
最近のアニメなど見ていると一貫して小エピソードの塊で1話終えてしまうものもたくさん見受けられます。
たぶん原作が4コマ漫画とかで平凡な日常を描いたものとかはあまり劇的な展開は求められていないのでしょう。それよりディテールで可愛さ、おかしさを描写することに特化しているように見受けられます。
それはそれで面白いからいいのですが。
上記のとおり、物語全体にも起伏があります。
よく見てみると人の感情に似てはいませんか?管理者は似ていると思うのですが・・・
朝起きるとき、悪夢でうなされたり、叩き起こされない限り感情はフラットな状態から1日がスタートします。そして覚醒したときから感情は変化を始めます。
その気分は徐々に上がったり、いきなり下がったり、テンションが上がったり、突如興ざめしたり、ネコの目のようにクルクル変化します。
そして1日が終わり床について眠るとき、フラットに戻ります。
この起伏に富んだリアル日常をシナリオ作りに応用します。
ファーストシーンの解説で劇的に、としましたが これと朝起きた時とはリンクしませんので応用しません。
でも日中切磋琢磨している状態は小エピソード、中エピソードにあてはめられます。
そして物語として成立させるためには夜寝る状態の前に特大エピソードを持ってくる必要がありますので、お風呂に入ったら事件が起きてやっとの思いで解決して「やれやれ」と言いながら床につくとします。
何が言いたいのかというと、物語の組み立てを ある日の自身の感情の起伏に照らし合わせるのです。
感情が徐々に上がっていって最高潮に達した時がクライマックスで床について眠るときがエンディングとするのです。
クライマックスに至る過程のエピソードはその日の経験から応用します。
ある朝、会社へ行ったらいきなり怒られてへこんだ、とします。
そうしたらシナリオのエピソードの谷の部分を先に入れて、へこんだ自分が立ち直るさまを谷からヤマに登りつめるエピソードに当てはめます。
自身の実体験から応用するので端折らない限り、組み立てに説得力があります。整合性に問題が生じません。
よく見れば日常の我々の感情も ”ヤマ谷セット” で出来ているのです。
そしてお話しの組み立てで肝心なことは・・・終わりよければすべて良し、ということです。
肝心なのはクライマックスであり、エンディングなのです。
そこまでに至るエピソードは変化する前、アンチテーゼさえ書けていればどんなエピソードにしても面白ければ何でもいいのです。
物語のクライマックスは最後にくるのが常識です。ですからお風呂で事件が必要で、それを克服して感情がフラットになるとき、床につく時に物語の終焉を迎えるのです。
管理者はこの仕組みでいわゆる構成を発想していますので、あまり困っていません。感情の起伏はその人それぞれなので実体験はその作者さん独自になります。そこから導くので作者さんのオリジナリティが反映されて、自分の書いたシナリオとなります。
脚色したくて構成を良くしたいとお考えならシナリオ論では限界があります。コンテ、演出の勉強が必要になりますが結論は似たようなものになるのではないでしょうか。
結局、考えた人以外に答えを持っている人なんていないのですから。
作者自身が考えたシナリオなので作者の行動からヒントをもらえばいいだけのことなのです。
だから構成は必然なのです。
あと難しいとされる原因は、筋が通っていないからなのではないでしょうか。上記の組み立てでもシナリオを描く時同様、タイトル、テーマ、骨、太い骨に従っています。
組み立てる段階では 既にシーンのアイディアはあるわけで、それが目的と合っているか検証しながら組み立てなくてはなりません。
組み立てて意味合いがテーマと合ってなければ差し替えるべきですし、シーンの視点を変えてみたり演出的手法を試みたりするべきです。
それでも不足を感じるなら、シーンが的を得ていないことになります。
それは構成が難しいのではなく、シーンのイメージが固まっていないということです。
だから出せるだけシーンのアイディアを出して ”とりあえず” にしておいてフレキシブルに丁寧に調整していきます。
ごちゃごちゃ書きましたが、要点は、ファーストシーンは劇的に、クライマックスとエンディングの位置は決まっている、これ以外はどうにでもなるのです。
管理者の1つの提案でしかありませんが・・・
実際の映像を見ればわかる通り構成といわれるものはこれだけ守っていれば展開しやすいはずなのです。
よく映像をみてください。
構成の形はシナリオのネタみたいに無限大にあるものではないし、パターンが決まっていて選択肢も少ないものなのです。
サカサマもアリ
このエントリーページ、少し長くなりましたがもうちょっとお付き合いください。
シーンを組み立てる場合、逆から組み立てるのも大いにアリなのです。
逆、サカサマから組み立てるとは最初にクライマックスとエンディングを発想することです。
1番おいしいところから考えます。1番の見せ場を決めておいて、そこに至るエピソードを導き出します。
変わった発想法ですが意外とバカに出来ないのです。
最初にお話しを考えた時にまず頭に浮かぶのがこのイメージになるのではないでしょうか。
それはとてもフレッシュでなにも縛られていない時点でのアイディアなので素直に従います。
先に作ってしまいます。
目的地が先に明確化されていれば、それより大きなものを発想する必要もなくなりますし、なにより路線から外れにくくなります。
テーマを決めてから、そのテーマは最終的にどんなシーンで終わるのか、シーンそのものがテーマを訴えるものになるはずです。
道を歩く時と同じです。
目的地を確認しておいてから歩き出します。
実際に歩く場合は迷わない為に目的地を確認して道筋を確かめながら間違えないで早く確実に到着するための知恵ですが、物語の場合はクライマックスに行きつくための障害をあえて与えていきます。ファーストシーンから直線でクライマックスに向かわせずに わざと迷わせる事象や出来事や事情を与えまくります。
逆算していますのでお話しの筋が脱線しません。これがメリットになります。
なんでもそうですが、迷ったり、わからなくなったら視点を変えろ的な事を言われます。でも逆からの発想もかなり有効なのです。
物語は最後に結論が来るように出来ていますので、1番のキモから導き出すことがとても役立つのです。
そしてこの方法はけっこうなんにでも応用出来るのです。
車で移動する際、目的地までの道筋を決める場合に 合っているか間違っているかを選択して出発するわけですが、もし自信が無ければ目的地から出発地までの道筋をイメージしてみてください。地理に精通していないと出来ないかもですが、逆ルートでもこの道を通るべきとなったらその道の選択は正解になります。