シナリオ、脚本スキル|シナリオ教室の劣等生

オリジナルと独りよがりの境界

 

 

オリジナルが書ければ作家になれます、とは前述した。
オリジナルとは その人固有の個性ともお伝えした。
そして脚本、シナリオに関して個性とは自分が面白いと感じるところなのだ。

 

面白いと感じて自分の作品に反映させるのだ。

 

ここで気が付く事がある。それは

 

「この発想、アイディアは ほんとうにオリジナルなのか」
「自分勝手にオリジナルと錯覚しているのではないか」
「人のパクリに過ぎないのではないか」

 

よっぽど俺様な人でない限り、そう思って然るべきなのでなないか。

 

オリジナルと独りよがり

 

やはり初心者の書く、課題でも練習でも ”自分らしい” 文章を書きたいものです。

 

 ”自分らしい” 文章とはとりあえず 「自分が自分の考えで書いた」 文章としておきましょう
初心者なんだし。

 

 ”自分らしい” を意識するとしないとでは今後の成長に関わってきます。

 

つまり、人のマネか、自分の言葉か、です。

 

将来的な事を今考えても仕方ないといえばそうなんですが・・・
やっぱり 「この脚本はこの人にしか書けない」 と言われたいじゃないですか。

 

まして完成映像としての脚本は ほとんどの場合原形を留めていません。
そこにどれだけ脚本家自身のオリジナリティが残存しているかなんて正直管理者はよく分かりません。

 

音楽みたいに アーティストさんによってフレーズが似ている、とか
声優さんみたいにイントネーション、トーンが似ている、他の作品に登場した時と同じような言い回しを使っている等、なんとなく分かるのですが・・・

 

脚本は完成形からは見え難いのです。

 

アニメ作品を見て印象が深かったとして、そのオリジナリティは

 

脚本家のものか
監督のものか
演出のものか
コンテマンのものか
はたまた音監のものか

 

分かりません。たぶん全部混ざった結果だとは予想できますが。

 

 「この脚本はこの人しか書けない」 とは我々一般視聴者から見て言われるのでなく
映像関係者から発信されるものなのではないでしょうか。ですから制作過程がわからない我々は
なおのこと自分のオリジナルにはこだわらなければなりません。

 

避けたいのが 「あの作品のマネしている」 と思われる事です。

 

日々いろんなアニメや映像をみている我々は、そこで演じられている描写から影響を受けていますが
感動したシーンでも そのまま真似るのではなく
自分のフィルターを通して自分のオリジナルに加工しなければ ただのパクリになってしまいます。

 

本質論から言いますと ”脚本の価値とは物事をどのように見てどのように書けるか” に尽きるのです。

 

普通の人の考えないような切り口でモノが描けるかにかかっています。

 

そしてその切り口は前提として ”ある程度の観客が納得するオリジナル” でなければ使えません。
これが独りよがりにならない条件です。

 

書いた脚本が何かに影響を受けた、ヒントにした作品があったとしても
観客にマネと見られては失敗になります。
自分の脚本を客観視できて 「これなら大丈夫」 という判断ができるのです。
この辺がプロの技といいますか熟練した技術ということになるのではないでしょうか。

 

マネはダメです。
理由は元の作品のクオリティを絶対に越えられないからです。

 

スポーツや仕事でもそうですけれど、最初は上手い人のマネから始めると熟達が早いとされていますが
脚本、シナリオをはじめ創作物はこの理屈は当てはまらない、当てはまり難いのです。

 

ですから自分のフィルターをかける、自分のオリジナルを加えることは最初から意識していないと
もともと通用しないのが脚本、シナリオ、創作物の大きな特徴なのです。

 

こんなことはシナリオスクールでは教えてくれません。
最初からとにかく書け、書け、書け なのです。

 

だから管理者含め、同級生みんな支離滅裂なシナリオを書いてみたり 
何が言いたいのか意味不明なシナリオ、自分勝手なシナリオしか書けなくなるのです。

 

自分のオリジナルなんて抽象的で理解が及ばない初心者でも この原則に逆らえません。
ですから早いうちからオリジナリティというものに慣れていく、近づいていかなければならないのです。

 

 

 

創作の考え方として参考になる方法

 

自分が見て面白いと感じたモノがあったとします。
それが登場人物の変化かもしれません。感情の変化かもしれません。シーンの見せ方かもしれません。
なにかしら”変化”が存在するのでそれを分析してみます。

 

できればメモに書いてどんな要素で何が変化したか、確認しておきます。

 

これから書こうとするシナリオに使ってみたいと思ったとします。
物語の進行と照らし合わせて なにがどのタイミングで演じられたモノなのか、見せられたものかを検証してみます。
そうすることでその作品を客観視できます。
書いた脚本家の特徴(監督の特徴かもしれません)が掴めるでしょう。

 

その作品なりエピソードなりを ”意味合いを変えず” に
「自分ならこうしてもいいかな」 という別ルートを考えます。

 

物語そのもののビフォアアフターを変えないで自分ならこれもアリかなと思う描写に差し替えます。
細かいところでいえば セリフを ”ちょっとだけ” 変えます。
セリフを言わせないで伝わる方法を(ト書きに置き換えられないか)考えます。

 

ポイントは ”ちょっとだけ” というところです。

 

まるっきり取り替えてしまうと整合性を狂わしてしまいがちです。
少しだけ、ちょっとだけ、自分なりの工夫を盛り込みます。
そうすることをくり返していくと 自分のオリジナルとなっていきます。

 

また、そういうヒントになるベース(素材)から自分のオリジナリティを考えていくうちに
全く違った面白いものが発想出来る場合があります。

 

それは加工の過程で生じてくるものなので、とにかくやってみないと分かりません。

 

 

ついでにもうひとつ、逆にしてみる、という方法もあります。

 

よく逆説法なんていいますが、では何を逆にすればいいのでしょう。
ぶっちゃけなんでもいいのです。面白くなればなんでもいいのです。

 

物語のビフォアアフターを逆にしてアフタービフォアにしてもいいですし、喜びの描写を怒りの描写に変えてみてもいいのです。
当然、整合性が取れていないと話として破綻してしまいますから、そうならないように
自分の持てるだけのリソースを最大限駆使して加工調整します。

 

面白い結果になればそれがあなたのオリジナルになります。

 

 

ついでについでにもう1個、紹介します。

 

日々見ている映像はひとつの方向からしか描けていません。
あるシチュエーションを映像で見せる場合、基本的に一方からしか見せられないのが映像特性です。

 

登場人物の視点だったり、第三者の目線だったり、俯瞰していたり・・・

 

そうしてシーンをつなげることで 映像は決められた時間で見られるようになっています。

 

基本、画面を4分割とかでは見せられないので(演出として見せるシーンもありますが)
あるシーンの視点を他のモノと取り替えて面白くならないか、考えてみます。

 

主人公の目線をモブキャラの目線に変えて、客観的な描写に変えてみたりとか
2人会話を3人にしてみるとか、

 

こう考えるとけっこうパターンは無限大に感じませんか?

 

そうして面白ければパクった作品、パクったエピソードでも
まったく別のあなたのオリジナルになっていきます。
過去の名作の焼き直しが現代の映像の正体である由縁です。

 

こうして同じようでも違ったものが 作者のオリジナル、脚本家としてのオリジナルになるのです。

 

 

 

素材はどこにでもある

 

素材はどこにでも転がっています。
前述では見た事のあるアニメや映像を参考にしましたが、元となるベースの素材は我々の日常でもそこらじゅうに転がっているのです。

 

シナリオスクールでも日々メモ帳を持ち歩いて偶然遭遇した 自分が面白いと感じた事象を記録するクセをつけるように指導されました。
管理者はどうしたかというと・・・
リア充の面白い事象があったとして それを自分の書くものにどう転嫁すればいいのか、が分からなかったのでやっていません。
なにせ劣等生ですから。

 

それでもプロの脚本家さんはちゃんとやっています。
さすが、プロだけあってその行動の意味を理解されているのでしょう。

 

基準はあくまで ”自分が面白いと感じる事” と
具体的に知っている個人が面白いと感じるであろう事 です。
自分が王様目線でピックアップしていきます。

 

そうしてストックしておいて いざ脚本執筆となった時に役立てます。
これも そのまま描写として書いても他人の共感は生まれません。
メモ書きした事象は当人が面白いと思っていても他人が面白いと感じることばかりではありません。

 

自分のフィルターにかけて加工して、大勢の人たちが承諾する形に変えてやらなければプロではありません。

 

大勢の人たちの承諾を得るにはまず、知っている人が承諾するであろう形をイメージします。
つまり、他人のなかでも、知り合い、恋人、友達、親など個人的に性格まで知っている人が面白いと言ってくれそうなお話しに加工します。

 

それでも巷の中から切り取った面白いと感じる事象はリアルで起こった事なので比較的共感は生まれやすいはずです。
少なくともアニメ独特の価値観(ツンデレとかシスコンとか)よりは共感してもらえるでしょう。

 

要は ”自分” というフィルターをかけて ”相手” を想像しないと ”面白くない” ということです。

 

自分だけの素材からは共感は生まれません。

 

どこにでも転がっている素材を自分流に変えた見方をすることが出来れば 
そうして見つけた自分の素材に あとは相手を意識したオリジナリティ溢れる身近な”面白い”を加味して

 

 ”自分を出すだけ” 
なのです。

 

コピーするにしてもタダのコピーではダメなのです。

 

先人の脚本家の大先生は説いています。

 

自分はそれだけでオリジナルな存在である、
自分と他人の違いを見ろ、
劣等感はどうでもいい、
優越感を感じ取れ、
自己を表現せよ、
自己主張しろ、
他人に知らせろ、
みんな、ではなく個々の人に対して自分を知らせよ

 

そして 異性と話せ、付き合え、
とも申しております。

 

個別の意味はご覧のみなさまの感性にお任せします。
その感じたことがあなたのオリジナルになるはずです。

 

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