まずは執筆準備から
日本では結構メジャーなシナリオコンテスト、日本映画製作者連盟が主催する「城戸賞」に執筆、応募した。
城戸賞といえば入賞作品で映画化されたもので渡哲也主演の『誘拐』を思い出す。
昔、付き合っていた彼女と観たのでよく覚えている。
まさか自分が応募する気になるなんて思ってもいなかったが、所詮管理者は素人なのでがんばって取り組んでみた。
つたない備忘録でもある。
さあ、何から始めようか
さて、シナリオスクールもアテにならない動機で始めたこのサイト「シナリオ教室の劣等生」ですがサイトを構築しながら理解を深めたところで出力してみる気になりました。
たぶん、ご覧になられているユーザーの方々もプロではないと思われますので、参考になると思います。
他の人が書いたシナリオはなかなか見せてもらえないし、見たところで参考程度にしかならないのだけれど、とりあえず見ないよりはマシなので取捨選択してください。
書く、と決めたのはいいけれどさて、何から手を付けようか、まず管理者が思ったのはマーケティングです。
管理者はシナリオビジネスプロポーザーなのでただシナリオを書く事を良しとせずにどうせならビジネススキルを応用しようと考えました。
この場合のマーケティングとは城戸賞のようなコンクールならば、主催者の思惑を考えることにあります。
何を期待してコンクールを開くのか、答えは映画になるシナリオを一般から集うということになると思いました。
ちょっと言い方に語弊はありますが「有名著名な脚本家に高額なギャラを払わずに新人発掘の大義名分のもとアイディアを集める」という捉え方も出来ます。
映画製作者はコストが掛りません。応募者は名前を売るチャンスです。WINWIN関係が成立しています。
そして集めたシナリオの用途は、ま、それは応募要項に書いてある事そのままなんです。
『劇場用日本映画の脚本に限ります』・・・・・・・
そう、書いたシナリオが映画化されて渋東シネタワーやワーナーマイカルのような映画館の看板になっている前提で書かれていなければなりません。
面白いストーリーとかきれいな描写とか、そのような事はもっと後で考えればいいと思いました。
映画館の看板になるという事は大多数の人が興味を持つであろうネタにしないとダメという解釈をしました。
大多数が了解するネタ
無論マイナーなテーマでも映画の価値はそこだけではないのは言うまでもありません。人の食いつくところはありとあらゆる部分に存在します。それが映画や映像コンテンツの面白いところではあるのですが、こと商業ベースを前提とすると世間の多くの人が感じている事を書くべきだ、と思いました。
題名から何から、共感されなければ絶対に観てもらえないだろうと考えました。
大多数の人が共感するテーマとはなんでしょうか。
よく分かりません。もう少しマーケティングが必要です。とりあえず条件として上記の事が分かりました。
過去の作品を読んでみる
城戸賞に入選した過去の作品を読んでました。どんなシナリオが優秀と評価されたのでしょう。
ビジネス的にはリサーチです。
審査員が何を良しとしているのかが分かりませんでしたので過去の入賞作から読み取ろうと考えました。
めいっぱいたくさん読んでみようと思っていましたが、昨年2016年の準グランプリと選考作を何作か読んでみてなんとなく合点がいってしまいました。
城戸賞はここ2年、グランプリが出ていません。キャリーオーバー状態です。
読んでみて率直に感じ、そして数作だけ読めばでいいや、と思った根拠は自分の感じた事、映画館の看板になるような大多数の人の了解が得られるような形になっていない、と感じたからであります。
ご覧の通り、いの一番に管理者がやるべきと感じたマーケティングのガイドラインにおいて、去年の選考作以上の作品に認められなかった、感じられなかったからであります。
もっと簡単に言うと『管理者が渋谷に行って、時間があるから映画でも観ようと思い、渋東シネタワーの道玄坂の通り沿いに掛ってる準グランプリや選考作の看板を見て、観てみたいと思わない』ということです。
まあ、好きな人は観るよね、と思ってしまいました。
入選者の方の名誉の為に言っておきますが、決して面白くないシナリオだった訳ではありません。とてもよく考えられたいいシナリオだったと率直に感じました。さすが入選作と思いました。
でも、それを自分が観たいと思うか、については感じられませんでした。だから数作読めばいいという結論に達した訳です。
シナリオの出来はいい、でもマーケティングは考えられていない。なんとなくそこに劣等生の管理者は稚拙ながら勝機を見出した訳です。
なら自分はどうするか
具体的なアイディアはなかなか思い付きません。大多数の人の了解を得られるネタってどんなものでしょう。これが一番時間のかかったセクションです。
マーケティングだのゴチャゴチャ書いているのも全ては 『テーマ』 を決めたいから、どうしたらテーマがはっきりするのかを自分に問いかける為の、管理者にとって必要な作業だからです。
テーマはブレたくありません。「脚本をかいてみよう」カテゴリーでも書きましたがシナリオ執筆(シナリオに限りませんが)一発目に決めなければならない事は「テーマ」です。ここが根幹なので後で決めればいいや、というものではありません。
ましてや実写です。アニメなどはまだいろんな価値観が存在しますが老若男女に対応する実写は真っ向勝負です。アニメライクな実写映画も最近多いですがアニメの描写はアニメでなければ面白いと管理者自身が感じません。
とにかくテーマを決めなければダメということは分かります。管理者がいいと思える事、伝えたい事、自分の意見とマーケティングを合致させないと到底入選は見込めないと感じました。
約半月はかかったと思います、テーマが見えてくるまで。
プロの脚本家であればクライアントのオファーがあるわけで、そこには一定のガイドラインが存在します。その方が楽だと思いました。素人コンクールはそこが自由な分難しい、そう感じていました。
テーマの各論
そろそろ各論をお話しします。これはどなたでも、なんでもそうですが、『情報発信は自分の感じたものからしか出ない』という事実です。
管理者は管理者が感じた事しか書けません。皆さんは皆さんそれぞれ同じにはなりません。誰ひとり同じものは書けないのです。それがオリジナリティを生み出します。
だからケーススタディでしかありません、とお断りをした上で辿りついた結論を書きます。
ある日、ボーっとテレビを見ていた時に福島県の風評被害についての番組がありました。NHKだったと思います。
東日本大震災後、この記事を書いている時点で既に6年が経過していました。にも関わらず未だに風評被害等で福島の人は苦しんでいます。特にインバウンドといわれる外国人観光客は福島=放射能汚染という固定概念のもと絶対に行かないそうです。
ご存知の通り、現在の福島県にはそんな事実はありません。昔の話です。でも一旦レッテルを貼られた福島県は間違った解釈を拭えないでいます。
どうすれば状況を変えられるのか、を学生かな?若い人にアイディアをだしてもらい発表してディスカッションするといった番組内容でした。
若い人たちはそれなりにアイディアを出してそれはそれで面白かったのですが、やはり若いだけあって世間を知りません。
そんな中、管理者がほ〜と思った意見がありました。
それはそのディスカッションを企画した地元のホテルリゾート経営者のアイディアでした。
星野リゾート代表の 星野佳路氏 です。
どうすれば状況を変えられるか、その答えが 『福島という名前を変える』 でした。
ディスカッションの聞き手には地元農家の方もおられました。当然反発を買ってしまいます。自分の生まれ育った地域の名前を変える事はどうしても許せないということで、それは気持ちも理解できるし、変えて欲しくない部分だと思います。
でも、でもですよ、この意見はとてもビジネス的に的を得ていて、とても共感してしまいました。
人は何で物事を判断するのか、直接知らない事や物でも何を基準に是非を判断するのかといえば、それは 『ブランド』 なのです。
ヴィトンのバッグの事ではありません。人とは何かしらのブランドや肩書きや名前以外に付いているもので判断するのです。
例えば管理者が「外科医」というブランドがあれば世間の人は外科医に付随する価値を見出します。ゲガすれば診てもらえる、処置を施せる人と解釈されます。
弁護士、となれば紛争の解決に精通していると相手に分かります。
福島に付いたブランドは 「放射能」 です。それは一旦付くと離れるまでには時間が掛ります。ならばその名前を変えてしまえばいい、というアイディアです。
目からうろことはこういうことを指します。画期的かつ利に適った方法だと思いました。
そしてこのアイディアをパクれないか、考えました。
もちろん反対もあるでしょう。反対されて当然です。でも福島の現状を打破するにはもう震災前の福島と違うという事を認識しなければなりません。もう昔と違うのです。
福島で苦しむのなら、良かった時代に戻そうとするのではなく、今から未来をどうするのか、これからどうするのか、どうアジャストするかしかないのです。
苦しむ方々ご自身で調整して今に折り合いをつけなければ未来は変わらないのです。それが名前を変えるだけで実現するのです。
そんな想いが管理者の中にビシバシ湧いてきました。大枠のテーマはこうして決めました。
「よし、福島について書いてみよう」と決められました。
そしてもうひとつ、福島について管理者には心に引っかかる事がありました。
その昔、お世話になったお客さんで福島県須賀川市の方がおられました。震災当時、もうお付き合いが無くなっていたのでお世話になっておきながらお見舞いの電話一本も出来ませんでした。どうなさっているか、今も引っかかっています。
もし、万が一でも城戸賞に入選して映画化出来れば、それはその方や地域に報いられるのではないか、そんな想いもあり、モチベーションポイントも作れると判断しました。
こういった個人的ないきさつを重ね合わせて福島県の震災後の被害について書こうと決めました。
テーマは 『福島の傷をいやす』 です。
城戸賞の応募要項には企画趣旨のような項目は無かったので、本当はこのような事も訴えたかったのですが出来ませんでした。
物語そのものは架空の設定でもありフィクションですが、どうすれば福島の傷をいやす事が出来るのか、の提言と、風評被害のような社会問題をどうするべきかという管理者の意見も盛り込むことにより問題提起をしようと考えた訳です。