パソコンで清書、更に校正

下書きが終わってようやくパソコンに入力する段階まできた。

 

やっとシナリオが書けるのである。

 

ご覧になられたとおり、シナリオなんてホント、後工程でしかない、物語の仕上げでしかないのだ。

 

既に出来ている物語を写すだけの作業、

 

語ることもそれほどないのだが、コツがある。

 

本番は一気に書く、書き切ること

 

もう少し下書きの話を続けます。

 

下書きというほどの物でとりあえず柱とト書きとセリフに分かれていますが、実際は管理者自身にしか分からないほどグチャグチャです。

 

字下げなんてしません。文脈が整っていない思い付きのようなト書き、余白にはその時々に感じたアイディアや検討課題や問題点が書いてあります。

 

当初は下書きでも書式に準じようとか思っていましたがだんだんと雑になり最後の方は余白もなくぎっしり書かれていました。

 

いろんな意味で下書きなのです。

 

スクールの課題のようなボリュームの軽いシナリオはここまでする必要はないと思いますが、大事にしたいシナリオ、ボリュームのあるシナリオを書く場合には自分のイメージしやすい方法を優先して掛けなければならない手間は惜しまない方が良いのかな、と管理者は思います。

 

さて、そのように吟味したシナリオもどきをシナリオにしていきます。

 

申した通り城戸賞はプリントアウトの様式を指定されていますのでそれに従います。

 

手書きしかできないような環境でもない限り、応募要項には逆らいません。つまらない所で引っかかりたくもありませんので。

 

管理者の使っているパソコンソフトは「O,zエディタ」です。

 

有料のソフトですがあんまり高くありません。¥2000か¥3000だったと思います。

 

複数のプロの方も使っていて安価でちゃんとシナリオの書式にしてくれます。

 

このエディタを使い本番となる訳ですが、クドいようですが清書だけにしてくださいね、パソコン入力は。

 

ついつい楽なので一発目からパソコン入力したくなりますが手書きをしてみて、吟味してキャラクターと対話して、決めたら決まった事だけパソコンで打ちます。

 

キーボードで文字を打っても感じないし、考えません。それはただの単純作業でしかないのです。

 

だから清書だけに特化したほうがいいと管理者は考えます。大事なシナリオならなおさらです。

 

作業なのでただ決めた事をパチパチと打っていくだけなのであまり解説はありません。

 

そこで大失敗談を披露したいと思います。

 

エディタの設定で1ページの構成が指定できるのですが、スクールの設定を変えないまま書き込んでしまいました。というか最初からボリューム自体1ページの分量をエディタの画面と同じと勘違いしていました。

 

スクールでパソコン出力の1ページはB5の20×20で400文字です。手書きペラ2枚分で1ページとされていました。

 

対して城戸賞のフォーマットは1ページA4の20×40で800文字です。手書きペラで言えば4枚分です。応募規定枚数は50枚程度、70枚限度となっています。

 

当然ながら一番最初に応募規定は読んでいたわけです。20×40というのも分かっていたはずなのですがこの時点でもう勘違いが始まっています。

 

 「1ページ400文字か、映画用のシナリオとしては少ないな」とも感じていました。それでもミスに気付きません。「コンクールだから企画書の拡大版シナリオってことか」なんて勝手に理屈を付けて解釈してしまいました。

 

で、実際に書いてみて当然ながら尺が足らなくなる訳です。そこで考えたのが「確かに応募規定はマックス70枚だけど昨年の準グランプリ作品も絶対にそんなボリュームではないから、ま、いいっか」なんて都合のよい解釈までしてしまいました。

 

自分の行いを疑いません。

 

それに気が付いたのが締めきり前日の30日の朝です。プリントアウトして製本する作業を確認した時に気付きました。

 

もう最悪です。どうしようかと一瞬躊躇してしまいました。

 

それまでやはり尺に納まらないと思っていたのでト書きを簡略化してセリフを短い文言に変え、柱の位置をページに合わせて、なんて短文化までやって調整していました。

 

それでも納まらないからそれでもいいや、と清書までそのままでやってしまいました。

 

下書きは調整済みでペラ160枚しかありません。城戸賞のフォーマットに合わせたら40枚程度です。実際に足らないし、ボリュームは発想当時から意識していましたので「短くしよう短くしよう」と考えていたものです。

 

それが前日になって大問題として発覚したわけです。

 

30日の朝から修正作業に追われて翌31日の午前3時までになんとか完成製本まで漕ぎつけた訳です。

 

それはプロットの記事でも書きましたが、例えミスでボリュームを増やしたいと思ってもお話しの根幹をいじれる時間はもう、ありません。

 

削った部分を復旧して装飾を施したり、簡単なエピソードを足してみたり、小手先の修正に成らざるを得ませんでした。

 

シナリオとは「完成しなければ意味がない」と申しました。その一点だけ、そこだけしか達成できませんでした。

 

最初からちゃんと理解していればもっと物語を深堀り出来たかもしれませんが後の祭りです。

 

悔やんでも悔やみきれないとはこういう事をいいます。

 

そうして31日、少し眠ってから日本橋の日本映画製作者連盟まで持参して応募してきました。

 

これが管理者のやらかした大きなミスの顛末です。

 

皆さんは「ばっかだな〜」と思って下さい。バカにして構いません。そしてなによりご自身でシナリオを執筆される時には管理者のような愚かなミスの無いように書き進めて下さい。そうして頂けたなら管理者の失敗も報われるというものです。

 

表題にもテーマとして書いた「一気に書き切る」について解説します。

 

本番のシナリオは一気に最後まで書いた方がいいのです。管理者も今回の城戸賞はそうしました。

 

当然、時間は掛ります。この時も朝から始めて深夜遅くまでかかりました。

 

なんで一気がいいのか、それは全体の流れを感じるためです。

 

本番シナリオといっても修正は必要ですしやります。但しその作業は次の段階、校正でやればいいことです。書きながらの修正は簡単なものはやってもいいですが校正という規模の見直しは後にやることなので、とにかく書き切ってしまうことに集中します。

 

実は一気に書き切る事で校正作業にも貢献します。

 

どういうことかというと、まずシナリオを読む人と同じ作業で一通り書いてみることが必要なのです。

 

シナリオを読む人は通勤電車で読む小説とは違います。初めから終わりまで一気に読む事となります。

 

それに合わせて書く方も初めから終わりまで書くようにします。読み手と同じ視点で書く事をします。当然読むより書く方が格段に手間と時間が掛りますが、これを作業が長いからといって数日に分割してしまうと、上手く流れが読めません。

 

小説や実用書みたいに章項序などで区切れないのです、シナリオって。

 

どうしてもお話しの流れというものが書き手であっても確認しなければなりません。必要なのです。

 

それ故大変でも一気に書き切る事をしなければならないのです。

 

分割して書いて最後に読んで校正すりゃいいじゃん、と言われそうですがこの書き切る作業をまとめて一気にすると校正の熟成が進むのです。

 

熟成については後述しますが、何と言いますか、身体で物語を感じる為、とでもいいましょうか。

 

振り返ってみて、これまでの作業の中で発想した物語の完成形を最初から最後まで通してみた事がないのです。

 

プロットなんて未完成にも程がある段階です。下書きもそれぞれ吟味しなければならないので通して書いてはいません。ではどこで通してみるのでしょうか。

 

それが本番で実際にシナリオとして書くときなのです。これまででやっていないからここでやってしまいます。そしてそれは読むより書いたほうが実感できるのです。

 

直しは直しで校正がこの後控えています。だから書くだけなので自分の作品を感じるためにも一気に書き切ってしまうことが重要なのです。

 

お分かり頂けますか?

 

ご自身の作ったシナリオを身体で感じる、それは校正にも役立つやり方なのです。

 

 

校正作業の詳細

 

シナリオ本編は書き終えました。一気に書き切りました。

 

さあ、校正!っとすぐに考える事でしょう。ちょっと待った〜!!

 

校正作業は執筆後すぐに取りかかってはいけません。書いたシナリオには触ってはダメなのです。

 

シナリオを書いたら放っておかなければならないのです。

 

ドンドン進めたくなるでしょう。当たり前です。早く完成させたいですよね、でもいい校正をしたければ触ってはダメ、です。

 

もっというと触ってもダメだし、読んでもダメだし、考えてもダメなのです。

 

つい思い返して「あのセリフもう少し変えたいな」とか「もうちょっとなんとかならないか」なんて考えてしまいますが、メモでも残す程度にしておいてとにかく作品から距離を置きます。

 

時間を置くのです。これが校正の 『熟成』 です。

 

何もやらないで作品から距離を置き時間の経過を待つ。これが自分で校正を行う時のコツです。

 

ご覧の通り、至って単純です。

 

でもその意味と価値を知っていないと当然ながら執筆後即校正に移ってしまうと思われます。

 

実はそれでは校正になっていないのです。

 

由来は人の生理にあります。

 

と、いってもやれば誰でもすぐに納得できます。理屈よりやってみてください。

 

これはシナリオに限りません。人が自ら何らか発想して表に出す行為において、出したばかりの物は得てして自身でも理解できないほど完全でない場合が本当に多いのです。

 

小説、マンガ、アイディアなどもそうです。このサイトの記事などもそうです。

 

執筆時、本人は完璧と思っていても時間が経ってから見返すとほぼこう感じるものです。

 

 「なんじゃ、こりゃ!!」

 

まるで自分の出力した物で無いかのように感じてしまうのです。他人の作品みたいです。

 

書いた作品から距離を置き一定の時間が経過すると己に対する客観性がものすごく鋭敏になるのです。

 

鋭くなった感覚は一気に書き切った作品の欠陥や表現したい本質をえぐるように見せてくれます。

 

一気に書き切ることで身体に浸みこんだ作品は勝手に熟成を重ねて促進していきます。知らない間に、無意識のうちに磨かれていくのです。その為に一気に書くのです。

 

直しが無いように、なんて一気に書かず分割してしまうと熟成が進みません。書く時は書く。直す時は直せばいいのです。

 

分かっていない人ほどわざわざ難しい事をやろうとします。

 

校正を書いた直後にやると 「どひゃ〜」 とはなりません。「ま、こんなもんか」と感じてしまいます。

 

それでは校正の意味がありません。

 

校正は欠陥を見つけて直しをするのが目的です。必ず存在する直す所を見つけなければ、それは校正とは言いません。

 

時間はどれくらい必要かというと、城戸賞のような大きい物なら1週間はほしいところです。

 

実際には管理者は正味2日、48時間ぐらいしか与えられませんでした。

 

それはスケジュール管理が甘かったせいなのですが、それでも製本当日に書き終わる事のないように努力しました。

 

1週間から10日、最低これくらいかけると自分が見えてきます。

 

そして最適な校正作業ができます。

 

他にも他人に見てもらう、という方法もあります。

 

この時に気を付けたいところは 「シナリオが読める人に頼む」 ということです。

 

ハリウッドのシナリオライターは道行く不特定の人に声を掛けて感想を聞く、なんて猛者もおられますが、日本のシナリオの場合、書式が一般の人に馴染みがありません。

 

シナリオを読んだ事も無ければ書いた事もない人に感想を求めても、シナリオの翻訳をしなければならなくなります。

 

シナリオを読ませてシーンがイメージ出来る人に頼むべきです。

 

そしてシナリオを読める人にしても、これが肝心なのですが 『批判しかしない』 人に頼まないでください。

 

絶対に批判しかしない人に読ませてはいけません。批判でなく 『自分ならこう表現する』 という主体性のある意見を言える人を選んでください。

 

校正は批評されるためのものでない事は言うまでもありません。

 

その目的を理解しようとせず自論に終始する人は今、いりません。余計な行為です。

 

シナリオスクールの生徒などは典型です。

 

スクールの人でもあなたの事をちゃんと考えてくれる人に頼みましょう。

 

何でもかんでも人に聞けばいいというものでない事はお分かりになられたと思います。

 

他人に聞くより自分で時間を掛けて距離をおいて改めて感じて直しをする事だって十分効果があります。

 

プロにお金を払って見てもらうという方法もあります。

 

あまり現実的ではないかもしれませんが尊敬する先生がいるならアプローチしてみても面白いと思います。

 

どうやってプロに辿りつくか、そのプロがちゃんと教訓を与えてくれるか、あなたの事をちゃんと考えてくれるか、それは未知数です。

 

ですがうまい具合に相性がよく、(作者のあなたが)シナリオが書けるというアピールに繋がる可能性があればやってみても損はないと思います。

 

せっかく頑張って書いたシナリオじゃないですか、コンクールだけしか使わないのはもったいないのです。管理者はそう思ってしまいます。

 

こうして校正作業を経て決定稿となります。

 

あとは期日に遅れないように応募するだけです。

 

結果はごろうじろ。

 

 

城戸賞後記

 

最後の方は理想論で終わってしまいました。

 

実際、管理者は分かっていて、やろうとして出来なかった事の方が多かったと思います。

 

そして書きながら感じた事は「こりゃ絶対に入選しないわ」でした。

 

でも書いてみたからこそ理解が進む、やってみたからこそ次は気を付けると思えるものです。

 

そうして回数を重ねれば誰でも必ず脚本家には、なれるのです。なれていない管理者はそう実感した訳です。

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