シナリオ、脚本の【セリフ】書き方|シナリオ教室の劣等生

シナリオ,脚本のセリフは嘘つき

シナリオの価値とはこのセリフによるところが大きいので簡単じゃない。

 

セリフには何を書けばいいのか、

 

一言で言えば、それは 嘘 である。

 

セリフの特徴とは

言葉の裏

セリフにもト書きに表すこと以上の特徴があります。

 

さすが人のしゃべることって人のインターフェイスだけあって面白い特徴がたくさんあります。

 

まずは、セリフには理由が必要なんです。

 

これが大前提。

 

我々の普段しゃべっていることって必ず理由が存在しています。

 

理由というと重いかもですが、何らかの訳とか事情というものがあって、言葉としてしゃべっています。

 

あまり自覚無いかも知れませんが、リアルでもセリフには理由や訳といったものが内包されています。

 

私たちがしゃべることとは、ト書きに書く動作の面でも同じなんですが、出力なんです、アウトプット。

 

これって何かしら入力がないと出ないものなんです。

 

そりゃそうですよね、何もないところからは出力できません。

 

何らかのインプットがあって、しゃべるという動作として出力する、アウトプットが出来るようになります。

 

インプットとは人が見たもの、聞いたもの・・・

 

そしてこれがシナリオ的に一番だと思いますが感じるもの、感じた事、が入力となります。

 

この入力されたものに理由や訳やいきさつや事情といったフィルターがかけられて、しゃべる言葉、セリフとしてアウトプットされます。

 

人がしゃべる言葉って必ず裏があります。

 

裏というとブラックなイメージがありますが、要するに意味とか訳が存在しています。

 

それはしゃべる言葉の本来の意味と比例しません、同じになっていないのです。

 

なぜ同じではないのかというと、その人の理由や事情や訳やいきさつといったフィルターが掛かるからです。

 

人物のセリフとは、考えていることと実際にしゃべるセリフは同じではないのです。

 

これがセリフのリアリティです。

 

同じ場合もあります、例えば説明する時は事実通りでなければ情報伝達になりません。

 

ただ大概セリフは直感的に発せられるのでほとんどのケースで人物のフィルターが掛かります。

 

つまり、セリフを書くときにはそのセリフに意味合いや理由が入っていないと書けない、ということになるのです。

 

裏がないといけないんですね。

 

例え極短い一語であっても理由や訳が内包されていなければ、それはいらないセリフとなってしまいます。

 

シナリオに書くべきセリフではないと判断されます。

 

セリフは感覚的でありますから実際のリアルでは意味の無い言葉でも私たちはしょっちゅう発します。

 

でもシナリオではその一語ぽっちでもそういった意味や訳が求められるのです。

 

映像では我々の日常と違って、限られた尺があります。

 

有限の尺の中では、無駄なセリフの入る余地はありません。

 

そこへ持ってきて、初心者がやらかす事とは、意味のないセリフをわざわざしゃべらせます。

 

シナリオは物語上人物のセリフとして、必要だから役者にしゃべらせるのですね。

 

そしてそのセリフとは聞かせるのではなく、観客に感じさせなければなりません。

 

観客にセリフを聞かせたり知らせたりするのではなく、感じさせるにはどうすればいいのか、というと、

 

考えていることと実際にしゃべることに相違を与えるのです。

 

有り体に言えば本音と建て前ですね。

 

考えていることとしゃべることが一致しているならそれは単なる伝達になります。

 

この相違が矛盾となって「聞く」ではなく、「感じさせる」ことが適います。

 

セリフは嘘をつくことで感じさせる

セリフを感じさせるには違いを見せなければなりません。

 

考えていることと言っていることの相違がなければなりません。

 

その違いは理由や訳といったものがセリフに内包されていなければ違ったものにはなり得ません。

 

ちょっと難しい言い回しですが、要するに考えていることに対してしゃべることが 『嘘』 であることにより、観客が感じられるようになるのです。

 

大概本音に嘘はありません、建前として出力する段階で嘘に変えられてしまいます。

 

セリフは大嘘つき

シナリオに載せるセリフとは非常に大嘘つきであります。

 

セリフと他の2要素、柱とト書きと決定的な違いがあります。

 

柱は場所指定の機能しか持たされていませんから事実だけ、それも3階層までしか書けません。

 

柱の記述に有機的な要素は必要ありません、そのまま、ありのまま書くだけです。

 

柱にウソはありません。

 

ト書きには動作や様子を表しますが柱みたいに無機質なものではなく書かれることとは描写であり有機的にはなります。

 

見たまま、聞いたままを棒のような文言に変換して、これもありのまましか書けません。

 

映像制作者に向けられたシナリオは設計図、指示書なので嘘なんて書けません。

 

ト書きに嘘なんて書いたら撮影が出来なくなってしまいます。

 

ところがこのセリフに関してはセリフを制作者に伝える、という意味では真実をそのまま書いていますが・・・

 

書かれていることとは物語に登場する人物の思惑前提の嘘なのです。

 

お分かりになりますか?

 

セリフには嘘を書いていいんですね。

 

というか事務的な情報伝達以外ほとんどが嘘であるのがセリフの特徴です。

 

セリフの全部が全部嘘というわけではありませんが、こういったセリフの特徴についてこんな格言があります。

 

面白いシナリオは 『99%の嘘と1%の真実』

 

これってシナリオを面白くするための比喩です。

 

極端な比率ですが、それくらい人を描くこととは嘘があってあたりまえだよ、ってことなんです。

 

人物から発せられる言葉、しゃべることとは必ず思惑があって、つまり理由や訳があって事実真実そのまま言葉にしていないよ、ということなんです。

 

こういったことって我々リアルの人間がそうなっているからそれに準拠しています。

 

心情や感情を表す場合、リアルの人は感情そのままダイレクトに言葉にしていません。

 

思っている通りにはしゃべらないのです。

 

例えば嫌いな人に向かって直接アンタ嫌い、とは言わないじゃないですか、そんなこと言ったらケンカするかも知れません。

 

ケンカなんかしたくないから他の言葉に置き換えたり他の方法を考えて行動します。

 

このケースであれば、本音は「アンタ嫌い」です。

 

その感情に掛かるフィルターとはトラブルは避けたい、関わりたくない、という思惑なんです。

 

結果、しゃべることとして出力されると、全く反対のことを言ったりするのが人間です。

 

もしかしたら微笑みを浮かべて尊敬するようなことを言うかも知れません。

 

認めたくない相手をあえて認めるようなことを言うかもしれません。

 

いずれにしても嫌いという感情を表には出さないようなセリフになります。

 

これがシナリオで描くべき人の心情、感情というものです。

 

この差が、この相違が、つまりは考えていることと、しゃべっていることやっていることに 『違い』 が見ている人に分かると、感じさせる、ということができます。

 

間接表現になるのですね。

 

そしてその片っぽは嘘なんです。

 

しかもシナリオに書くような物語であるなら、大嘘を書かなければならないのです。

 

嘘の事例「ツンデレ」

このシーンを思い浮かべてみてください。

 

タイトル、告白、私の場合
○海辺の砂浜(夕)
並んで立っている男の子と女の子、間を空けて海を眺めている
女の子が男の子に振り向いて、
女の子「あの、私」
女の子を見る男の子
女の子「あなたのことが好きです!」
目を見開いて女の子を見つめる男の子

 

こんなシーンがあったとします。

 

これってよくある告白のシーンですが、ここから伝わってくる女の子の感情とは、正直さ誠実さマジメさ、なにより嘘がない気持ちだったりします。

 

女の子のセリフに嘘がないので純粋さというものも伝わってきます。

 

対してもう一つのシナリオを見てください。

 

 

タイトル告白、私の場合
○海辺の砂浜(夕)
並んで立っている男の子と女の子、間を空けて海を眺めている
女の子が男の子に振り向いて、
女の子「ふん!アンタのことなんかなんとも思ってないんだからね!」
目を見開いて女の子を見つめる男の子
男の子「え〜〜っと」
女の子「でも、優しくしてくれるなら付き合ってあげてもいいわよ」
女の子、腕組みしてそっぽを向く
男の子「え〜〜っと、なに?」

 

このようなやりとり、私はアニメ好きなので引用しましたがいわゆるツンデレってヤツです。

 

このやりとりから見て取れるのは、

 

同じ告白でも二つ目のシナリオでは最初の女の子のセリフで彼女はあえて嘘をつきます。

 

それも本当は告白したいのに、あなたが好きですって言いたいだけなのに全く逆の感情をセリフとして伝えています。

 

さらに女の子はセリフとして、あえて自分の立場を男の子よりも高い位置付けをしています、高飛車に見せているのですね。

 

そしてそのあと「でも、優しくしてくれるなら付き合ってあげてもいいわよ」という譲歩を入れます。

 

女の子が言いたいのは、はじめのシナリオ通りの好きです、付き合ってくださいという趣旨というか目的です、告白ですからね。

 

でもあえて嘘をつく感情とは、そこから何が伝わってきますでしょうか。

 

一つは恐れです、却下される恐れです。

 

勇気を出して告白して、誰だって振られたくありません、傷つきたくないがためにあえて嘘を言います。

 

もう一つは確実性を上げることです、付き合ってもらえる、成就する可能性をあげようとしています。

 

さらに破綻した場合のリスクを回避するための施策も打っています。

 

女の子は好きという感情を伝えるにあたり、男の子と同じ立場で行わず、あえて相手よりも高い位置づけをセリフで示します。

 

こうすることで、もし破綻したとしても立場が上ならば再チャレンジの可能性も出てきます。

 

依頼とはお願いを承諾してもらって初めて成功となるじゃないですか。

 

でも却下されたらその先はもうありません、一度断られたらもう一度お願いするためにはまた理由を作らなければなりません。

 

立場的に、仮にでも上であれば却下されたとしても、それは譲歩に対しての却下であると解釈することが出来ます。

 

お願いを断られるのとは訳が違います。

 

立場を上にすることだけではアンタのことなんか嫌いといっているのと同じなので、その後に別のセリフとして譲歩して相手の承諾を得やすくしています。

 

好きです、付き合ってくださいと、お願い、依頼としてではなく、付き合ってあげてもいいわよ、と譲歩として気持ちを伝えています。

 

本来女の子の告白は男の子に対する依頼になります、お願いしてる下の立場なんですね、でも真っ正直に言っても断られるかも知れません。

 

そこでわざと立場的に高くした位置づけを譲歩して低くすることで男の子から承諾を引き出そうとしているのです。

 

男の子にしてみればお願いを聞き入れるにしても譲歩に乗ることにしても承諾することに変わりありません。

 

本当にこのツンデレって描写はよく考えられているな〜と感心させられます。

 

ちなみに前段のセリフ「アンタのことなんかなんとも思ってないんだからね!」がツンで、

 

後段の「でも優しくしてもらえるなら付き合ってもいいわよ」がデレです。

 

相反する表現の組み合わせです。

 

このやりとりから感じられる女の子の感情とは、必死さ、作為的な賢さ、こんだけ回りくどい言い回しをしてまで望むべき結果に着地させようとしているコミカルさ、かわいらしさというものも伝わってきます。

 

女の子は単に好きです、付き合ってくださいと言っているだけです。

 

それだけを伝えたいがためにこれだけ入り組んだ演出をしています。

 

そこから伝わるものとは最初のシナリオみたいなマジメさ誠実さというものに加えて、なによりこの女の子の個性というものが伝わってくると思います。

 

この二つのシナリオでどっちが面白いと思われますか?

 

どちらがより人物の感情を表していると思われますか?

 

私はツンデレの方がたくさん伝わってくるし面白いと思います。

 

それは何から始まったのかというとやっぱり嘘なんです。

 

嘘を突いて真実を語っています。

 

このシナリオに書いた嘘は女の子の意思を成就させるために嘘も嘘、大嘘をついています。

 

こういうのをはハッタリと言います。

 

仮にセリフを使った掛け合いに真っ正直な気持ちだけでやりとりさせてしまったら、それは確実につまらないシナリオになってしまいます。

 

セリフに嘘があってその嘘がなにを意味しているというのが観客に伝わると、とっても面白いシナリオ、面白い物語となるでしょう。

 

セリフはト書きを上回る究極の間接表現です。

 

何を間接させるのか、といえば嘘の先にある真実なんですね。

 

こう言ってしまうとわかりにくいかも、ですが

 

セリフとは嘘と嘘で真実を伝えるものなんですね。

 

ですからセリフには嘘を書かなければなりません。

 

そうしないと面白いシナリオとはならないでしょう。

 

シナリオ脚本のセリフ書き方実践編


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