シナリオ、脚本の推敲法U
推敲の意味とは作者の視点を変えることにある。
故に書いたシナリオがダメと思えなければ推敲になっていない。
同じ人が書いても推敲を経ると別物に感じる。
それでいいのだ。
推敲から直しへ
推敲の仕組みについてお話ししましょう。
書かれたシナリオから一旦距離と時間をおくことで、いわゆるアラが鮮明に見えてくるんです。
顕在化というか、ダメなところが表面化するのです。
これって人間の生理です。
人間ってすごい能力を秘めていると感じることができます。
一番簡単かつ確実な向上が望める推敲法って、このように書かれたシナリオから距離と時間をおくこと、なんですね。
つまりは 『熟成』 させることなんです。
熟成とは比喩表現ですが仕組みは同じです。
時間という最大の価値を与えることで意識の変化を導きます。
シナリオの場合はあなたが見える物事に変化を促すということになります。
人って、時間が経過すると自然と視野が広がる変化が起きます。
客観視できるようになります。
シナリオの執筆作業から離れてみると、物理的には離れていても実は頭脳のどこかで必ずそのことについて絶えず考えています。
時間をおいて改めてシナリオに戻った時、夢中で書いていた時点で感じていたものが熟成されて見えてくるものが違ってきます。
その結果が普通ですと「なんじゃこりゃ」になります。
主観だけで書かれたシナリオを客観視出来るようになり推敲作業に使えるのです。
熟成がアラをあぶり出してくれるのです。
下書き本文を書き終えた時点から始めてしまうと、つまり読み返す程度で直しをやってしまうとまったく効果がありません。
いくら読み返してみたところでそのアラは見つからないし気がつきません。
気がつかないのだから推敲になりません。
だから熟成が必要なのです。
ポイントは忘れることです。
故に書いた直後はシナリオに触ってはダメなのです。
アラが見えてから直しに入る
あなたが感じた「なんじゃこりゃ」を直していきましょう。
なんじゃこりゃ度にもよりますがもしかしたらレクチャーのずっと前まで巻き戻らなければならないかもしれません。
修正しなければならない段階まで戻って再考したり削ったり改編したりと、あなたが感じた問題点を直していきます。
納得いかなければさらに推敲を重ねます。
手間と時間も掛かりますがそれでも作者が納得できなければやるしかありません。
理想は熟成を経ても作品の印象が変わらなくなるまで推敲するべきですが、そのあたりはどれくらい執筆に使える時間があるか、にもよります。
良くも悪くも効果てきめんなのが熟成させる推敲法です。
直しの作業に入りますがたぶん直しにも時間がかかるはずです。
テーマに沿っているのか、などのマストな課題もあるでしょうが、同時に熟成させたことで新たなアイディアも生まれてきます。
そうとう直すところが目につくハズですので、それはそれで修正調整を行って頂くとして、
ひとつ提案があります。
感情から導くもっといい表現
下書き本文は手書きにて原稿用紙ペラに思う存分書かれたことと推察します。
書かれている文字もマス目からはみ出ていることでしょう。
私は「感情を込めて書いてください」と申しました。
直しの段階では是非この感情を反映させるような描写を行ってみてください。
同じ文言でも構いませんが・・・
もっといい描写はなかったでしょうか?
他の表現が出来なかったでしょうか?
シナリオ上での感情表現は清書でも書いて構わないものです。
例えば爆発音だと
単に「どか〜ん」
と書くよりも、
『ズドカ〜〜〜〜〜〜ン』
なんて書いてもいいのです。
改めて最適化を図ってみてください。
直しの意味
直しって間違い直しという意味ではありません。
熟成を経て、見えなかった部分が見えてきて、視点も変わって、そして何が最適なのか、どんな描写があなたらしいのか、を検討する最後の工程なのですね。
とうぜん初めて書いた下書きのシナリオの原文とはまったく違うものになるでしょう。
でも、それでいいのです。
それが目的です。
そしていままでたくさんの映画を見られてきた事でしょう。
描写に迷ったとき、なにかいいアイディアがないかと考えあぐねたときに今まで見てきた映画から発想が沸いてきます。
自分独自の発想は、しょせん自分ひとりで、つまりは主観だけで考えられたものです。
それはキャパシティが大きいものでは決してありません。
そのようなときに今までやってきたあなたの行動がものを言います。
具体的なアイディアのお手本が映画にはあります。
だから映画をみようと私は申しております。
推敲も重ねました、直しも終わりました。
納得がいくレベルまで成長した下書きのシナリオができあがれば、あとは本文をPCなどに打ち込んで清書となります。