まおゆう魔王勇者|シナリオスキル
今回のお題は
「まおゆう魔王勇者」から読み解く専門分野との組み合わせ、です。
あなたは何の専門家でしょうか?
「なにもない」という事は無いはずです。人は誰でも何かしらの専門家であります。
例えば学生さんであれば “学生”の専門家です。
あなたが社会人であるなら学生さんのマネはできませんよね。
お仕事をされているならば熟練度はありますがお金を稼いでいる以上その携わるものの専門家であります。
現在過去においてあなたの携わった経験で培われたもの、これを“リソース”と呼びます。
自分のリソース、いわゆる専門分野をシナリオに落とし込む事が「面白さ」に繋がります。
今回ご紹介する「まおゆう魔王勇者」もそういった専門分野に長けた作品です。
まるでRPGのタイトルみたいですが、まあ設定はそのような世界観です。
中世の欧州のような世界観に魔法とか魔物族とかのファンタジー性を加えたお話です。
ただこの「まおゆう」、お話しに引用されている専門性はそのタイトルに見合わないほどリアリティに溢れている作品なのです。
橙乃ままれさんのネット小説原作です。
橙乃ままれさんといえば、「ログ・ホライズン」のほうが有名かもしれません、NHK配信だったし。
「まおゆう」のアニメ版は2013年に発表されました。
監督は高橋丈夫さん、シリーズ構成は大ベテランの荒川稔久さんです。
ちにみに高橋監督と荒川さんのホンと、声優の小清水亜美さん、福山潤さんなどの組み合わせは「狼と香辛料」の布陣と同じです。
この作品「まおゆう」では登場人物に固有名詞がありません。
魔王は「魔王」で、勇者は「勇者」と命名されています。
他の登場人物も「メイド長」とか、「女騎士」とか、いわゆる肩書きでネーミングされています。
ヒロインの魔王の使うセリフもいわゆる戯曲言葉で構成されていたりします。
そして最大の特徴、それはお話しに「経済」を取り入れている事です。
ゲームのような、オタクチックな世界観にバリバリ現実感のあるリアル経済を組み合わせてあるのです。
かなりミスマッチな感じがしますがこれが実に面白い。
高橋丈夫監督はこういったリアリティをモチーフにした作品を作るのが得意な監督さんです。
ドメスティックな描写だったり、エロティズムも得意な印象があります。
絵面の世界観こそ架空のゲームのようですが、描かれているものは我々のリアルでも営まれている“現実”の経済です。
魔王の率いる魔界と勇者の人間界とは長い事戦争していました。
たいがい人側が“善”、魔王側が“悪”とすれば単純な勧善懲悪話が出来あがりますが、この作品はそんな稚拙なものではありません。
我々人類は今までもたくさん戦争をしてきましたし、今もどこかで何らかの戦争や紛争が起き続けています。
人とは基本、人同士で争う生き物なのです。
ここで質問します。
人はなぜ戦争をするのでしょうか?
この問いに、的確に答えられますか?
答えは・・・
それは究極の経済活動だからです。
戦争は経済効果がなければ生じません。本当です。
戦争の目的はいろいろあると思いますが、単純な動機は領地の拡大です。
自分たちの領土が広ければ食べるものをたくさん作ることもできます。
人は食べなければ生きていけません。
だから他人の領地を奪うことで自己の利益を求めるのです。
戦争という人同士の争いと経済とは密接に繋がっています。
ただ、やはり戦争という形ではサスティナビリティに適いません。
悲劇や破壊では人は幸せになれません。常識があれば分かる事です。
人は恐竜ではありませんので知恵があります。
破滅につながること、それは人間のやることでは本来ありません。
人は継続することに価値を感じます。
そうすると“共存”が適切な判断になるはずです。
そんな現実も反映されてお話が始まります。
「まおゆう魔王勇者」の主人公の勇者とヒロインの魔王は一番最初に手を結ぶことをします。
一つの目的を達するため、共有するために敵対関係を解消します。
その目的とは「戦争の無い世界を作る」、平和による双方の繁栄のためです。
本当は闘ってナンボ、の魔王と勇者が志同じくして道を辿りはじめていきます。
そして世界の直面している問題を「経済」という視点で対峙していきます。
この作品で提議されているのは「経済」にとどまりません。他にも・・・
食糧問題、貧困問題、宗派や派閥、思想の問題、グローバル経済、金融マーケット、政治、それらを学ぶための教育、そして人としての尊厳、人としての愛情が鮮やかに、時にコミカルに描かれています。
デノミネーションも出てきます。
だからこの作品を見ると本当に考えさせられます。そして日本の平和を感じる事も出来るのです。
「人として豊かさとはなんだ」そんなことを感じます。
魔王は博学で民に経済の観念を説いていきます。
そして経済を通じて何を語っているのか、といえば人の愛情です。
人として愛情をもって豊かになっていくこと、これが「まおゆう」のテーマになっています。
さて、
原作の橙野ままれさんは経済の専門家ではないと思いますがこのような組み合わせはシナリオ的に面白くなります。
世界観という舞台に似つかわしくないエッセンスを加えて発想すること、これがクリエイティブにつながります。
あなたの専門分野はなんでしょうか?
その専門知識や経験がシナリオに生かせるのです。
ただですね・・・
これって私もやったことがあります。
結果的にあまりうまくいきませんでした。
私の発想力に問題があった、それもそうなんですがやり方、視点の取り方が間違っていたと今さら思います。
例えばサラリーマンの方で経理のリソースがあるとします。
これをそのまま勤めている現実の会社という舞台で経理がらみのお話にしてもちっとも面白くなりません。
どっちかというとつらい記憶しか出てきませんw
それは書いている人が主観でしかそのリソースを見ていないからです。
自分の仕事としてやっていることなのでそりゃ主観になりますよね。
でもシナリオって第三者の視点で見てみて「面白く」しなければならないのです。
“端から見て”それが面白く見えなければならないのです。
つまり、自分の姿を他人から見て、どうなるのか、これがシナリオに必要な視点というものです。
「視点」については語ると長くなりますのでまたの機会にしますが、ぶちゃけ自分のリソースを自分と同じ舞台においても「足らない」のです。
足らないし、どうすれば面白くなるのかさっぱりわかりません。
その足らない部分とは、もしかしたらコメディかもしれません。
ドキュメンタリーかもしれません。
「まおゆう」ではこの部分をファンタジーに求めています。
まったく世界観の違う、それも極端に違う舞台でキャストに演じさせたらどうなるのか、
魔王と勇者みたいな架空の物語で現実感のあるやりとりが、ミスマッチだからこそ“意味を伝える”格好の設定になるのですね。
このような手法は決して珍しくありません。
最近見たドラマなどを思い返してみてください。
何かと何かが組み合わさってお話が作られているはずです。
このように2つ以上のエッセンスを組み合わせるとクリエイティブな作品が書けます。
そのうち片っぽはあなたの専門分野にします。
専門というだけあって、これが重要なのですが、
あなたが「面白くない」と感じていても他人は専門ではありませんからそれが「面白く」映る場合があるのです。
だからあなたのリソースには価値があるのです。
ただ、視点があなたのリソースそのまんまではなかなか発想自体もわかないので、もう片っぽのほうは思いっきり変えてしまいます。
例えば「けものフレンズ」のサーマルが会社の経理課みたいに金勘定していたら面白くなりそうな気がしませんか?
耳とシッポつけてw
そういうことです。
「まおゆう」で経済を通じて結局のところ人の思いやる気持ち、愛情というものがよく描写されています。
メイド長がメイド姉妹に向けた慈悲であったり、人としてプライドを持つように諭すシーンには心が動きました。
特筆するべきはやはりメイド姉のエピソードでしょう。
「紅の学士」を名乗る魔王は先祖の霊を鎮めるため魔界に一旦帰らなければならなくなります。
メイド姉は魔王の留守を任されますが、その後“紅の学士”は教会から弾劾されてしまいます。
紅の学士に変身したメイド姉は教会に逮捕され拘束されて鞭に打たれるのですが、傷ついたメイド姉が奮起して集まった民衆に訴える、というシーンがあります。
そこで叫んだものとはメイド長に教えられた「人としての尊厳」でした。
人の営みとは人の尊厳なくして成り立たないこと、力だけで支配できないことを説いています。
まあ、けっこう感動するので見てみてください。
私は主役やメインヒロインよりもこういった脇役が光るシーンにすばらしさを感じてしまうのでどうしても書きたくなってしまいます。
世の中は何らかの組み合わせでできています。
決して特別な発想だけで成り立っていません。
問題は「何と何を組み合わせたら面白くなるのか」です。
その片っぽはあなた自身に、既に備わっているのです。