幼女戦記|シナリオスキル
今回のお題は
「幼女戦記」から読み解く組み合わせの理由、です。
ギャップ、落差がある物同士の組み合わせについて考えてみたいと思います。
まさしくこの作品はギャップの面白さを狙って書かれています。
普通はそのような組み合わせはあり得ない、というものでも組み合わせてみたら面白くなった、というものの典型です。
アニメやラノベではけっこう常套手段でもあります。
常套手段であるのでいつもこのような似つかわしくない物同士の組み合わせは発想されてたくさん売られていますが・・・
正直言って上手く出来ている作品はほんの一握りかと思われます。
それでも絶えず商業出版されていますのでコンテンツとしては有効なものなのでしょう。
ラノベやアニメではどんなシチュでも発想出来れば何でも描けてしまうし、出来上がるものも違和感無く仕上がったりします。
何でも描けてしまうので何でもかんでも組み合わされています。
それは秩序無いほどまでにw
例を挙げようと一瞬思いましたが辞めておきます、意味ないので。
言いたいのは、確かに「オリジナリティ」とは今の時代全くのオリジナルではありません。
既存に存在する何かと何かの組み合わせ、であることは周知の事実であります。
にしても、それにしても何でもかんでも組み合わせればいいというものではありません。
嘆かわしいのが何でもかんでも組み合わせて描かれている駄作が多すぎるのです。
その点今回の「幼女戦記」は上手く出来ている部類に入ると思われますので紹介します。
カルロ・ゼンさんのラノベ原作でアニメ版は2017年に公開されました戦記ファンタジーです。
上村泰監督でシリーズ構成は猪原健太さんです。
この作品を見てみて、率直に原作色が強いと思ったので今回はアニメの監督や脚本家といった視点より原作の着眼点にこだわってみようと思います。
そう、組み合わせで発想されています。
戦争と幼女。
この組み合わせから普通に思いつくのが非情な戦争と被害者たる幼女の構図です。
そこんところを非情な戦争と幼女たる容姿はそのままに、幼女の立場と性格行動だけ変えています。
この物語のヒロインは戦争の当事者、軍人として置き換えられて戦闘を主導しています。
殺される側ではなく、殺す側、です。
アニメ的にはバトル物と萌え要素の組み合わせです。
ただこういった萌え要素を持った可愛い女の子が戦闘の主になる物語だったり、そのような組み合わせはさんざん使い古されているのが現実です。
人物は主に大人か、大人に近い年齢設定において価値観はあくまで大人的に判断して展開しますが、この作品のヒロインは見た目だけ言えば幼女であり、子供です。
ヒロインのターニャ・デグレチャフはどう見ても10歳前後の年齢設定です。
正常な判断がまだ出来ない歳のキャラクターに大人の価値観が備わっています。
年齢設定から言えば戦争被害者的な立場にならざるを得ません。
そこで整合性を整えるための背景設定がなされています。
シナリオ的に「なんでそうなった」といった理由が明示されていないとお話になりません。
この作品はそこにファンタジー要素があります、というかその様にしないと成り立ちません。
私的に組み合わせて物語を作る、オリジナルを創出することに異議はありません。
世の中を見渡してみてもそのように出来ています。
本当の意味でのオリジナルは現代においてあまり存在しません。
“あまり” とは過去に比べてあまり出てこない、という意味です。
仕事、商売、ビジネス面においてもこのような映像コンテンツにしても何らか過去に出たものの組み合わせで利潤や面白さを演出しています。
電話とインターネットの組み合わせでスマホという存在価値がありますよね。
その市場規模たるや、莫大なものになっています。
シナリオ的にそういった組み合わせを考えるとしても「なぜ」に答えがなければ見ている人が納得しません。
納得出来ないはずです。
なんで幼女が戦争の当事者になって指揮官となり、行動するに至るのか、
この疑問に答える背景に説得力や整合性、つじつまがなければ駄作にしかならないということです。
そこが難しいということです。
普通に、常識的に考えたら面白くなりません。
そこでどんな要素を加えたり差し引いたりすれば納得出来るお話しになるのか、
幼女戦記の場合はファンタジーになっています。
架空と現実の、これも組み合わせで出来ています。
ここにも目を付けて欲しい重要な部分です。
問題はファンタジーのさじ加減です。
あまりにも突飛なものではやはりリアリティがなさ過ぎます。
それを創造性や独創性で片付けても構わない、と言えばそうなんですが、実際に組み合わせの妙ということもあります。
昔はそれでもなんとかなりました。
そういう未熟な時代でした。
まだそういった、ただくっつけただけ、組み合わせるだけで今まで見たことない作品が作れました。
今は違います。
単に組み合わせただけではつまらない、もっと深度を要求される時代になっています。
人は常に面白いものを追求する生き物です。
今まで通用していた手法が永遠に面白いとされるわけではありません。
シナリオ的にディテールとして要求されています。
それは「理由」の深度に直結します。
どこまで理由を描けるのか、どれくらい深く事情を考えられていて描けているのか。
それさえ描ければリアクションが描けます。
幼女戦記の場合は “神” に帰結します。
ターニャ・デグレチャフが “ミスターX” と呼ぶ存在はいわゆる神と言うことだと思われます。
“神” という曖昧な存在に意思を持たせています。
シナリオ的に神とはもの凄く便利なアイデンティティです。
それこそ何でも出来るし何とでも解釈できるものです。
それでもやはりさじ加減が要になります。
どこまで神という存在が関与して、どこまで当事者の意思が働けるのか、
曖昧な存在が故に作者のこういったさじ加減が試されます。
全脳である “神” が強すぎても面白くならないし、かといって弱すぎて影響力がなさ過ぎても人の行動に至る理由になりにくくなります。
“神” そのものにもやはり明確な理由が無ければ整合性にブレが生じます。
幼女戦記の場合は神にも感情設定があります。
感情によって後に転生するターニャに対して試練を課します。
面白いのが、例え万能の神ですら不完全な存在にしているところです。
我々と同様に感情によって判断しています。
それは謙虚でもなく、抱擁や慈悲深いものでもなく、我々と同じく合理性や生産性などより感情を優先する様をもって人の普遍性を描いています。
それでいて「崇め従え」と唱えるものだからターニャは反抗します。
いかがでしょうか。
これほど深度の深い設定や展開を持って幼女と戦争の矛盾につじつまを持たせています。
たいがい、このような組み合わせをしてみても必ずどこかで“矛盾の回収”が出来ていません。
「なんで主人公は戦うの?」
「なんでヒロインがそのような非常識な意思を持ったの?」
「なんでそうなったの?」
「なんで学生なのに世界を救わなければならないの?」
このようないわゆる素朴な疑問にすら答えていない作品が本当に多いのです。
だから作者は是非こだわって欲しいのです。
ただの萌え要素と異世界とを組み合わせただけで面白がるユーザーもたくさんおられると思います。
特にアニメ的にはキャラデザや動画やCGなど、シナリオ以外でユーザーを魅了する方法はあります。
声優や音楽でも楽しめます。
でもそれらが載るシナリオに説得力なければいつかメッキが剥がれます。
我々脚本勉強家はもう一ユーザーの視点で満足しては送り手に至りません。
萌え要素だろうが、イチャラブだろうが、ツンデレだろうが、お兄ちゃんだろうが、何を持ってきても構いません。
どんな組み合わせでも構いません。
でも明確な理由付けがなければ、背景設計がなければそれは陳腐な物にしかならないでしょう。
少なくとも私は納得しませんし、続きをみたいと思わないのですが、
あなたはどうお感じになるのでしょうか。