ラーメン大好き小泉さん|シナリオスキル
今回のお題は
「ラーメン大好き小泉さん」から読み解く食の破壊力、です。
タイトルの通り、ラーメンを題材にしたアニメですが・・・
このアニメを見ると無性にラーメンが食べたくなります。
食をテーマにしたアニメや映像コンテンツは数ありますがこれほど食欲を喚起する作品も珍しいので紹介します。
特徴として食をテーマにしていてもその中で「ラーメン」に特化しています。
私の知っている限りではありますが食を題材にしているコンテンツはたいがいカテゴリー別になっている場合が多いと感じます。
和食、洋食、スイーツなどのカテゴリー別でだったり、作る側と食べる側別であったり、はたまた食の使い道や扱う人の違い別であったり・・・
何でカテゴリーに分けられるのかというと、ひとつの個別アイテムだけでは話が持たないから、だと思います。
人は必ずご飯を食べるのですが、食べている状況っていろんなメニューを組み合わせて食事をします。
お米を炊いたご飯、味噌汁、おかずといった主菜と副菜があって一回の食事が構成されています。
だからひとつのアイテムに絞ってしまうと食の形を壊すことにもなってリアリティに適わない、また壊してもいいのですが何らかの理由や事情や背景がなければ描くに足りないためです。
不自然になってしまいます。
それ故、食を描くこととは何らかまとまっている状況にならざるを得ません。
ところがこの「ラーメン」というカテゴリーはほぼ単体で食するもので、しかもメインのラーメン以外はラーメン以上の存在感がありません。
そしてこの「ラーメン」という食は特別なアイデンティティーがあります。
特に日本人的には。
例えばお寿司のマグロが好きだったとします。
マグロを題材にしようとするとマグロの寿司に拡張性はあんまり感じられません。
「マグロにもいろいろ種類があるじゃん」
まあ、そうなんですが描こうとしているのはお寿司のマグロです。
メバチにしてもビンチョウにしても本マグロにしても、見た目の形はそんなに変化ありません。
そして何より、お店を変えても劇的な変化が伴わないのがマグロのお寿司です。
違いが描きにくいので何らかの違いを変化として見せるにしてもかなり複雑な背景を考えないとマグロ単体では話が持ちません。
漁師の話にするか、寿司職人の選手権にするか・・・
結局マグロだけでは足らなくなってイカやハマチやホッキ貝を描いた方が簡単に変化が描けます。
その点「ラーメン」は違います。
同じような形の中でも味やお店によってスタイルはバラバラで、バラバラなので選ぶ余地が生まれます。
その選択肢は日本の場合、すでに文化レベルです。
マグロの寿司では、おいしいですがこうはいきません。
好みもハッキリ分かれます。
好みを人物の特徴としても使えますし、特化したアイテムに絞っているので見ている人に訴求することが出来ます。
つまり食べたくなります。
「ラーメン大好き小泉さん」は2018年に放映されました。
セトウケンジ監督でシリーズ構成は高橋龍也さんです。
正直、この作品に作家性だの物語性だの、はあんまりありません。
ヒロインの小泉さんは女子高生で眉目秀麗な人物です。
性格も至ってぶっきらぼうでラーメン以外興味がありません。
女子高生チックな描写なんかありません。
小泉さんはどう見ても放課後に友達とカフェで紅茶とスイーツをたしなむ、といった印象の女の子で、とてもラーメンをむさぼるように見えません。
ここにもシナリオの基本であるギャップが描かれています。
サブヒロインの大澤悠が遊びに誘ってもことあるごとに
「お断りします」とぶった切ります。
そんな小泉さんはラーメンの事となると目つきが変わります。
おもむろに独りでラーメン店に趣き、食券を買ってカウンターに座ります。
きれいな長い後ろ髪を可愛いリボンでキュッと締めると注文したラーメンが給仕されます。
お行儀良く手を合わせて「いただきます」と言います。
そこからが戦闘状態になります。
形容するなら “ガツガツガツ” です。
そして最後にスープまで飲み干すと・・・
「プァ〜〜」といって小泉さんの周りに花が咲きます。
これだけ、たったこれだけのシーンがシチュエーションを変えながら繰り返されます。
至ってシンプルな構成になっています。
ただ、そのシーンを見ると無性にラーメンが食べたくなります。
そう感じさせてくれるのです。
私もこのコラムでゴチャゴチャ言っていますがそんなことなんか本質じゃない、と言わんばかりのシンプルさです。
食べたくなる、そう感じさせるんですよ、この小泉さんは。
シナリオってやっぱりシンプルに、見た人がどんな気持ちになって欲しいか、そしてどんなお話しがそれに適うかどうか、だけなんですね。
言葉で言えばその様に書くしかありませんが、実感が伴いませんよね、読むだけじゃ。
だから「感じる」ってどういうことなのか、それをこの作品「ラーメン大好き小泉さん」は見せてくれます。
構成もシンプルで勉強になります。
ラーメンが好きな小泉さんの目線と、それを第三者目線でサブキャラクターたちが語っているだけ、それだけなんです。
サブヒロインの悠は可愛い女の子が好きで半ば病的な部分もありますが、可愛い小泉さんと仲良くなりたくていちいち誘います。
いつも断られますが、断られてもつきまといます。
中村美沙は見た目勝負の女子高生でラーメンなんかバカにしています。
委員長の高橋潤は常識的見地から小泉さんを見ています。
サブキャラクターそれぞれの個性で小泉さんとラーメンを表しています。
そしてラーメンの魅力が最大限伝わるシナリオになっています。
私も「ラーメン大好き小泉さん」を一通り見終わってからラーメンを食べに行きました。
それも普段食べないコッテコテのラーメンが食べたくなって地元で探して背脂チャッチャ系を食してきました。
コテコテ系を普段食べない理由は、もう中年になって油について行けなくなったからです。
案の定、帰り道に気持ち悪くなるほどで、多分この先の人生でこのようなコテコテ系のラーメンは食さないと思われます。
それでもこの作品を見たときには本気で食べたくなったのです。
見ている人を感化する、
夏の暑い昼下がりに気持ち悪くなりながら切実に感じたのでした・・・。
小泉さん、恐るべし。
この作品について、もうひとつ覚えておきたいことがあります。それは・・・
「美人にはメシを食わせろ」です。
スミマセン、これって私が昔から常識的に刷り込まれた言葉でして、誰がいつ言ったのか憶えておりません。
意味は物語に登場する美人さんには必ず食事のシーンを取り入れるべきだ、ということです。
つまりお話しに登場する人物ってたぶん美人さんや可愛い女の子やカッコいい男の子が主役になっていると思われます。
そんな人物を設定したら必ず何らかの食事シーンを入れるべきというものです。
つまりつまり、食べているシーンを入れなさいということです。
これは人物に人として説得力を持たせる意味があって、いろいろ描写するより一回食べているシーンを入れるだけで効果を発揮する方法として私が憶えていたことです。
意外と食べているシーンって象徴的な立場ほど書きにくくなるものです。
きれいな人ほど食べている場面というのは難しくなります。
人の食べる行為とは美と対極にあります。
美しくありません。
でもそれをあえて取り入れることにより感情移入出来る余地がたくさん生まれます。
親近感やリアリティも演出できます。
だから美しい登場人物には食事のシーンを描くべきであり、また描かなくては観客を本当に引き込むことが出来ません。
澄ましていても何も伝わりません。
様々な感情、喜怒哀楽なんか考えなくても一回食事しているシーンを入れるだけで強い訴求が適うわけです。
それだけ食とは人の普遍性の中でも強いのですね。
それはもう、普段は嫌っているコッテコテのラーメンを食べる気にさせるほど、強烈な影響力を秘めているのです。