ラブライブ!(第一期)|シナリオスキル
今回のお題は
「ラブライブ!」から読み解くシナリオに書けることとは上手くいかなかったこと、です。
先日、私の家の裏に西武ドームというのがありまして、ラブライブ!のライブをやっていました。
ファンは早朝から集まりだしてライブも数時間ドンチャンやっていました。
今、この原稿を書いている時点では第二シリーズのサンシャインの2クール目が終わっていて来春劇場版の封切り前といった時期です。
多分ライブ自体は第二シリーズのサンシャインがメインじゃないかと思いますが今でもラブライバーは健在で相当コアな支持を受け続けています。
そんなラブライブ!は私もけっこう造詣が深かった作品です。
今回はラブライブ!第一シリーズについてお話ししようと思います。
残念ながらサンシャインの方はあまり見ていません。だから言いようがないのですが、
やっぱり第一シリーズの方、μ’sの完成度が本当に優れているのでどうしてもサンシャインのAqoursと比べてしまいます。
今回は世の中に初めてラブライブ!という名前が出た第一シリーズ1クール目について考えてみたいと思います。
第一シリーズは2013年に放映されました。
一応、公野櫻子さんが原作ですがアニメとして出されていますのでオリジナルコンテンツです。
監督は京極尚彦さんでラブライブ!は出世作となりました。
脚本シリーズ構成は当代の大御所、花田十輝さんです。
キャラデザは西田亜沙子さんです。
最初私はこの西田さんの甘い表情が苦手でしたが、知ったら逆にはまりました。
制作はサンライズです。
シナリオについては分かりやすくてシンプルで受け入れやすく考えられています。
どのような経過を辿るのか、簡単に列記すれば・・・
- 外的要因で問題が発生する
- 主人公が(または主人公に近い人が)問題を解決しようと考えて行動し始める
- 一人では問題解決に至らないので仲間を集める
- 具体的な目標設定がある
- 失敗する
- そこから這い上がる
- 成果を勝ち取る
こんな感じで推移しています。
ご覧のお通り、特別な事なんてありません。
およそリアルの我々でも人生の中で経験することです。
そのようなストーリーテラーに一定の法則を持って表現されています。
流れの中での法則性とは、
それぞれのエピソードは1話で終わることも数話使って終わることもあるのですが “ライブ”を行って締めくくられています。
特筆したいのが初めてのエピソードです。
廃校の危機に瀕した学校を救おうとスクールアイドルを結成して、講堂でファーストライブを行うまでの件です。
そんな大事な晴れ舞台において大失敗しています。
それでもライブを敢行してみれば、その完成度は目を見張る演出がなされています。
これがフィクションの使い方だ、というような感じに仕上がっています。
ラブライブ!はメディアミックス作品なので音楽も売っています。
著作権者の中にランティスがいます。
そしてそうとうお金が掛けられています。
そんな楽曲、常識的に高校生が作れません。でもフィクションで載せることが出来てしまいます。
ファーストライブの楽曲「START:DASH!!」はオープニング楽曲とは違ったテーマ曲です。
コンセプト曲になっています。
曲そのものもそうですが、ダンスの振り付けから声優のキャスティングまで計算されています。
このように数話でも完結してライブをやって終わらせてから次のエピソードに向かいます。
見ていてとても分かりやすい区分けの仕方です。
またライブシーンはシナリオ的に言えば遊びの時間です。
一旦物語を止めて観客を楽しませるシーンを置くとメリハリが生まれます。
ダラダラと話をしません。
こういったことも見逃してはダメですね。
メンバーの集まり方にも特徴があります。
それは1+2=3で1セット、ということです。
μ’sの構成メンバー、物語のメインヒロインは高坂穂乃果で2年生です。
2年生グループは穂乃花を中心として園田海未と南ことりが脇を固めます。
1年生は小泉花陽を中心として星空凜と西木野真姫が固めています。
3年生は絢瀬絵理を中心として東條希と矢澤にこが固めています。
各学年3人の内訳は核となる人物1人と支える2人になっています。
メインのグループが2年生で1年生と3年生が支える構造になっています。、学年別3人で計9人です。
それぞれポジションがあり、役割が違います。
ただのサブキャラクターだからといってキャラ造形に手抜きはなく、それぞれのキャラクターに明確な個性付けがなされているのは言うまでもありません。
故にラブライバーには “推し”が必ずいます。
私がサンシャインを見て感じるのは、この点を比べると弱い気がします。
ちゃんと見ていないのでいい加減なこと言っているかもしれませんが、サンシャインは個人より集まって何かを表す事に重きを置かれているような気がします。
だから見ていてやたら誰かといるシーンしか見られません。
間違っていたらゴメンナサイ。
そして、ラブライブ!の最大の特徴、それが・・・
もう放映されてから時間も経過したのでネタバレしますが、
“ラブライブ!”とタイトルにあるのにラブライブ!に出ていない、という事実です。
私がこの作品を見て「この演出凄い」と思った表現がこれです。
普通、青春ものや甲子園や天下一舞踏会でも大会を目指して参加を果たしてからのドラマがあります。
でもラブライブ!は違いました。
それどころか出場すらしていないのです。
高坂穂乃果たちμ’sは廃校を免れるために「ラブライブ!」というイベントを目指していました。
にもかかわらず入賞どころか出場も果たしていません。
では出場しないで何を表現したのかというと、それが人の普遍性なんです。
具体的には友情です。
ライブがひとつのターニングポイントになっていると申しました。
そしてクライマックスに向かう直前に穂乃果は致命的な失敗を犯します。
その失敗はラブライブ!出場辞退、μ’s活動休止に収まらず破滅的な波及していきます。
その経過はキャストにはどうすることも出来ません。
穂乃果は物理的にも精神的にも窮地に立たされます。
そして何もかも投げ捨ててしまいます。
こういったことも我々リアルとリンクしています。
諦めたくなかったものでも、どうしても諦めなければならない事情というものもリアルには存在します。
それが現実だと思います。
ラブライブ!の物語はラブライブ!というタイトルを投げ捨ててまで何を表したかったのか、それはもっと人としての原則的なこと、
「人の繋がり」
だと感じました。
穂乃果の失敗によって表されているのは日常にある友情でした。
仲間、友達、友情、そういった普遍性がこの作品のテーマです。
そんなやこんなを乗り越えて、そして改めてステージに立つのでした・・・。
こんな感じが第1シリーズ1クール目の概要です。
ラブライブ!を見てみると、本当に上手くいかないことしか描かれていません。
それも極自然な「上手くいかないこと」なんですね。
誰でも直面する上手くいかないこと、失敗した話なんです。
でも人間は失敗が必要なんですね。
そうしないと価値に気づけない生き物なんです。
だから人の活躍するシナリオには上手く行ったこと、成功談なんて書いてはいけません。
上手くいく見込みのある環境、境遇で上手くいった話なんて、面白くもなんともないのです。
天才が勉強できたからといって、それは当たり前であってドラマにはならないのです。
そうではなくて、
面白い話というのは上手くいかなかった話、失敗談が中心になるのです。
ラブライブ!からはそんなことも読み取れるのです。