アニメシナリオ脚本スキルBlog|シナリオ教室の劣等生

ARIA|シナリオスキル

今回のお題は

 

「ARIA」から読み解く演出、です。

 

またまた古い作品です。

 

天野こずえさん原作のファンタジーでアニメは2005年に放映されました。

 

監督、シリーズ構成は佐藤順一さんで、脚本は主に吉田玲子さんが書いています。

 

のんびりした佐藤順一監督らしい落ち着いた作品です。

 

今作ったらもっと色のきれいなクオリティで見る事が出来ますが、当時もかなり頑張って作り込まれている作品です。

 

最近では天野こずえさんと佐藤順一監督の組み合わせで、

 

「あまんちゅ」

 

があります。

 

あまんちゅもテーマこそ違えど今回紹介する「ARIA」と共通点があって、昔から佐藤順一監督の作品を見ている人はデジャブに見舞われます。

 

作者の共通するキャラクターやモチーフといったものは何も毎回変えなくてもいいのですね。

 

自分のトレードマークとして同じようなデザインを設定することも一興かと思われます。

 

さて、

 

佐藤順一監督は激しいよりのんびりで、殺伐よりも情緒的で、急よりも緩い作品を作るのが得意な監督です。

 

昨今、どの作品も激しく派手で起伏の大きい作品が目立ちますが、なにもそれだけが映像表現だけじゃ無いことを教えてくれます。

 

むしろ人間的で人に由来した“ペース”で書かれています。

 

「ARIA」はお仕事アニメです。

 

人類が開拓した未来の火星、アクアの都市ネオ・ベネチアでゴンドラによる観光ガイドのプロを目指すヒロイン、水無灯里(みずなしあかり)の奮闘を描いた物です。

 

“ネオ・ベネチア”というくらいですからイタリアのベネチアがモチーフになっています。

 

ベネチアのゴンドラってありますね。

 

本場では観光ガイドとして男性が漕いでいたりしますが、ネオ・ベネチアでは女性の漕ぎ手である“ウンディーネ”という職業が発達しています。

 

現在の火星は砂漠の不毛な星ですが、未来のアクアは水の惑星になっています。

 

水上交通で成り立っていて、そんなわけでベネチアになったのでは、と思われます。

 

灯里はマンホームと呼ばれる地球からウンディーネに憧れてアクアにやってきます。

 

何かに憧れて舞台設定に登場する手法は佐藤順一監督の作品によく見られます。

 

当然、最初からプロになれるわけでも無く見習いから始まるわけですがその過程を灯里の人生の時間に沿って描かれています。

 

この作品は恋愛ものでも無く、何かと戦うわけでもありません。

 

いたって牧歌的で灯里の心情がメインに描かれています。

 

こんな感じの作品では観客の度肝を抜くような書き方は出来ません。

 

フラットで常識的な展開の中で魅力を付けていかなければなりません。

 

作品通して一貫しているのは灯里の成長だけで各話では個別のエピソードで構成されています。

 

とにかく見ていて起伏が少なくのんびりしているのですが、何が魅力付けされているのかというと、

 

“光るシーン”

 

が毎回存在します。

 

光るシーンとは至って抽象的です。

 

私が勝手に命名していますが、要するに素敵なシーンが必ず出てくる、といった感じです。

 

第一期第一話ではアリアカンパニー(灯里の所属する観光会社)の象徴であるネコ、“アリア社長”がうっかり海に流されます。

 

灯里たちはゴンドラで追いかけますがなかなか追いつきません。

 

そんな時に灯里の先輩で水の三大妖精のひとりでもあるアリシアのゴンドラに救われるのですが

 

小さなボール(調理器具のボールです)に乗って漂うアリア社長を華麗なオール裁きで空中に舞いあげて救ってしまいます。

 

アリシアのその姿はゴンドラに立ったままとても美しく描かれています。

 

こういった点はシナリオと言うよりは演出の力が大きいのですが佐藤順一監督の成せる技でしょう。

 

演出とシナリオは基本的に分野が違いますが、それでもシナリオとは切っても切り離せない存在であることは間違いありません。

 

それ故、いつもシナリオばっかり見ていればいいのかという事ではありません。

 

むしろシナリオだけではとっても不完全で、アニメ的に作品をコーディネートしようとするなら演出を理解しているか、絵コンテが切れるくらいの技量が無いと本当は完成しません。

 

シナリオにしても演出にしても分業化されている意味も当然あります。

 

それぞれ専門性が高いのでエンドロールのクレジットには監督と同等に脚本、演出、絵コンテの名前が載るのですね。

 

普通にシナリオの書き方くらいまで慣れてきたら是非、演出の指南本を一読してみてください。

 

アニメに興味あるならサンライズの富野由悠季監督の著書で

 

「映像の原則」(キネマ旬報ムック)

 

があります。

 

映像製作を取り巻くものに併せて演出やコンテマンの実情が示されていて勉強になると思います。

 

で、

 

“光るシーン”について、

 

作品の導入部でも似たような原則があります。

 

つまり、ツカミですね。

 

一番最初に観客が目にするシーンです。

 

この部分の出来不出来によって観客はこの先みたいと思うかどうか、を判断する重要なパートなのですが、それはクライマックス同様の価値が存在します。

 

それくらい重要です、オープニングって。

 

導入部の入り方には大きく分けて二通りあります。

 

なで型と張り手型です。

 

張り手型とは一気に観客の興味を引き込む見せ方です。

 

興味さえ引き込めればいいので、そのシーンには脈略や意味合いなんて存在しません。

 

張り手型で見せたシーンの各論は物語の進行に従ってじっくり魅せていきます。

 

対してなで型とは、意味や脈略を、時間を掛けて順序よく整合性を考えて見せていくやり方です。

 

だいたい初心者の人ならばこの形を好みます。

 

ちなみに私は張り手型が好きです。

 

なで型はゆっくりしたテンポから始められます。

 

「ARIA」はなで型の導入になっています。

 

ゆっくりしていて順序よく物語に誘う場合において重要なのがこの、

 

“光るシーン”

 

を早急に見せなければならないところです。

 

およそ初めての人がシナリオを書くといつまで経ってもお話しが進みません。

 

状況説明や背景などを延々と語ってしまいます。

 

商業アニメでもそんな作品がありますが、第三話までお話しが動かずに人物の姿だけしか見せていない作品は三流アニメです。

 

それも何らかの意図が感じられればそれもそれ、なんですがあまり見ていて面白いとは感じないと思います。

 

佐藤順一監督や桜美かつし監督の作品などは遅くとも第1話のBパートまでに何らかの

 

“光るシーン”が必ずあります。

 

理由は単純でそれが無いと観客が

 

「飽きる」からです。

 

張り手型で見せるなら意味なんて通らなくてもビジュアルでド派手に見せてとにかく興味を引く事だけに重きを置きます。

 

ですが、なで型を選ぶなら絶対にこの“光るシーン”を置かないとダメなんですね。

 

観客が飽きてしまう展開は避けるべき、と思われます。

 

そんなときに具体的なシーンイメージとして何が武器になるのかと言えば、

 

それが“演出”なんです。

 

私はいつも思うのですが、シナリオばかり勉強していてもシナリオは絶対に上手くはなりません。

 

シナリオが上手くない私も実感としてそう感じています。

 

実はシナリオ以外の部分の方がシナリオ執筆に役に立つ事の方が多いとさえ感じています。

 

あなたも既存の作品を見てみて、どこが“光るシーン”なのか、確かめてみて下さい。

 

その魅力や置き方をみて下さい。

 

「ARIA」はそんな素敵なシーンが毎回必ず出てきます。

 

やっぱり映像は演出なんだな〜

 

それが分からないとシナリオにならないんだ〜っと感じさせてくれる作品なのです。


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