輪るピングドラム|シナリオスキル
今回のお題は
「輪るピングドラム」から読み解く独創性とバンクシーン、です。
2011年に放映されたオリジナルです。
監督はウテナの幾原邦彦さん、シリーズ構成は幾原さんと伊神貴代さんです。
キャラクター原案は星野リリイさんでキャラクターの美しい家族モノファンタジーです。
デザインが秀逸で星野リリイさんの絵や辻田邦夫さんの色彩だったり、アイコンやピクトグラムを多用した絵面など目を見張るところがてんこ盛りな作品です。
山崎みつえさんや中村章子さん、原画でも後藤圭二さん、馬越嘉彦さんなどバリバリ演出も監督も出来る実力者が参加されています。
シナリオ的にはかなり独創的なお話しです。
決して実写化、リアルドラマ化出来ないような表現です。
2クール24話ですが前半はコメディタッチで後半シリアスな展開になるパターンは、アニメではよく見る形です。
この形はトレンドでもありシナリオ的に要チェックです。
前半ではコメディタッチで和みながら観客の意識を楽しませます。
後半でシリアスなお話しに変わっていきます。
前半と後半のタッチを変えることでより後半、2クール目が際立ちます。
けっこう2クール6ヶ月は長いのでこのような工夫が求められます。
後半からクライマックスは幾原ワールドで推移します。
ネタバレはしませんがリアルドラマや常識的な作品しか見てない人は理解が難しいと思います、この作品。
シナリオ的に注視するところを見た目から紐解けば、まずはバンクシーンが特徴的です。
バンクシーンってご存じでしょうか。
カンタンに言えば仮面ライダーやウルトラマンの変身シーンです。
ロボットものの合体シーンやプリキュアの変身シーンなどがバンクシーンと言います。
使い回しで繰り返し同じ展開で使われるのシーンのことを言います。
輪るピングドラムではヒロインの高倉陽毬(たかくらひまり)の別人格であるペンギン帽、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルに変身するシーンでバンクシーンが使われています。
この作品のキーワードでもある「せいぞんせんりゃく〜!」の掛け声とともにバンクシーンが始まって、派手なイリュージョンの世界の中で推移します。
けっこう長い時間使っています。
これがとても面白い映像でこの作品の特徴でもあります。
スタッフもかなり気合い入れて作ったそうです。
シナリオ的にキャラクターの登場シーンはかなり重要です。
このようなバンクシーンを置いておくとお話の途中でもハッキリ区分けが出来ます。
もうこれ以上無いほどバッチリ区別が付きます。
このような演出で登場したシーンは格別に際立ちます。
昔のアニメや特に子供向けでは顕著でした。
登場シーンだけで無く、決めシーンや敵を倒す場面など、シリーズ物で毎回見せられていても、展開が予想出来ても、それでも飽きずに見てしまいます。
逆にいつものタイミングでバンクシーンが無いと違和感を覚えてしまいます。
ヒロインや主役が登場する場合、ただなんとなく登場させてはもったいないのです。
ドカンと一発花火を打ち上げてから登場させた方がより人物を魅せる事が出来ます。
映像の緩急にも使えます。
それくらいインパクトがありますのでぜひ使って頂きたいのがバンクシーンなのです。
輪るピングドラムのバンクシーンはここ最近でもここまで作り込まれている作品は見受けられません。
このように幾原邦彦監督作品はとてもドラマチックに設計されています。
とにかくベクトルが複数絡んでいて芸術派なら要チェックな監督です。
たまにしか作品を発表しませんがアニメ監督では異端児ながら複雑なお話しを得意とする個性的な人です。
百合もの、宝塚歌劇のような人物、破天荒なストーリーテラーでありながら品があります。
個性の強いシナリオを書くことは初心者では難しいものですが、どういったモノを描けば独創的、個性的なのか、
その中で普遍性とは何か、
そのあたりを見たければ輪るピングドラムをオススメします。
ちなみに輪るピングドラムの描く普遍性とはごく普通な家族愛です。
シリアス面ではネタバレしたくないので一つだけ紹介します。
後半で“こどもブロイラー”という設定が出てきます。
こどもブロイラーとは「いらない子供達が集められるところ」とされています。
いらないとどうなるのかというと、透明な存在になる、とされています。
殺すとか、死ぬとかの表現で無く、透明になる、としています。
このあたりは私の印象でしかありませんが、多分世の中でさげすまされている子供達がたくさんいるという事実を描写されているものと解釈します。
現代のこの平和な日本においても守るべき立場の親が虐待などで自分の子供を虐げることが珍しくありません。
この現状を社会のゆがみとして問題提起しています。
親からいらない認定された子供はこどもブロイラーに集められて消されてしまいます。
描写ではそれが容認されている社会が描かれています。
その世界で陽毬たちの物語が作られています。
社会の理不尽さ、親の無知、無責任さ、理想と現実の乖離、いろんなリアルの問題を総じて比喩、揶揄しています。
全くリアルライクに描かずにこの輪るピングドラムのような世界観を使って訴えています。
このような問題提起をシナリオに盛り込むと、表現手法はともかくガッツリリアリティが出てきます。
もし、書いた物がなんとなく面白くないシナリオならばリアリティを何かに変換して表現することで物語に深みと“意味”が付加されるのです。
この作品の前半で描かれている日常が尊いモノだと言うことが表現出来ます。
輪るピングドラムはこんなことも感じさせてくれるのです。