プロット出しから下書き原稿まで

いよいよシナリオのシナリオらしい作業に入っていく。

 

自分のシーンイメージを自分の中から出力していく。

 

こればっかりはやり方に答えは無い。

 

自分がやり易い方法を見つけるしかないのである。

 

想像して、出しまくる

 

お話しの大枠は決まりました。シーンを置く位置も決めました。そこから個別のシーンを思い浮かべて、イメージして実際に出力します。

 

そして検証し膨らましていく工程です。

 

管理者がしょっちゅうやる方法はポストイット攻撃です。

 

画用紙に書いた大枠のストーリーを最初から順に思い付いたシーンを簡潔な言葉で書きこんでいきます。

 

○東北自動車道白河I・C
10式戦車を載せたトレーラーが到着、規制をはじめる自衛官・・・

 

なんて思い付きで書いていきます。

 

ポストイット1枚につき、1シーンです。

 

思い付いただけのシーンなのでいきなり原稿用紙には書けません。それはまだまだ後です。

 

一旦簡単なイメージを自分の中から外に出してみます。自分から出してみてシーンの精査と全体の流れまで確認するのがプロットの作業です。

 

ここでも”とりあえず”が続きます。

 

ただファーストイメージでも「これはイケる」と感じたものは忘れないようにプロットに書き込んでおきます。柱でもト書きでもセリフでも閃いたらメモっておきます。

 

そしてここが肝心なのですが、書いたポストイットを部屋の壁に貼り付けます。

 

一目で最初から最後まで全体が俯瞰して見える形にします。

 

できれば絵の方が理解しやすいのですが管理者は絵が描けません。絵コンテは書けないのです。過去に描いてみたところ、下手過ぎて全体像が理解できませんでした。

 

いわば字コンテプロットです。

 

貼り方もあります。ただ並べればいいというものでなく、エピソード別で上から下に貼っていき、エピソードの終端まで来たら改行してまた上から並べていきます。

 

今回の城戸賞の作品は26枚でしたが本編のシーンはもっと多くなりました。プロットなので別に何枚でも構わないものでありますからとにかく思い付いた、イメージ出来たシーンは片っ端からポストイットに書き込んで貼っていきます。

 

出せるだけ出します。出し惜しみなしです。ある程度の時系列に沿っていれば構いません。

 

途中で吟味したりせずに一気に最後までプロットを出しまくります。全部出し切ってから精査を始めればいいことです。

 

とにかく考えつく限り出すだけ出してしまいます。何が使えて何が使えないのか、この段階では分からないからです。その為のプロット出しです。

 

プロットはシナリオにする為の叩き台でしかありません。材料はいっぱいあったほうがいいのです。

 

大枠のストーリーは出来た訳ですからそれに準じてイメージすることができればいいだけなのです。

 

注意点としてはディテールの細かい部分の修正はシナリオの段階でもできますがストーリーの流れや根幹はこのプロットの段階で詰めて決めておかなければならないところです。

 

イメージしたシーンに引っ張られて追加の人物やつじつまが合わない設定を消したり足したりするのはこの段階までで落ち着かせます。

 

その精査が甘いと、いざシナリオに起こしてみて問題が発覚し修正となれば最悪プロット出しからやり直し、なんてこともあります。

 

それではいつになってもシナリオが完成しません。

 

プロット以降の作業では大きな修正は避けるべきです。

 

壁にわざわざ貼る理由(障子でもドアでもなんでもいいのですが)は全体を通して見てみたいからです。

 

アナログな方法ですが確実です。

 

これを頭のいい人や初心者は頭脳の中で行おうとします。

 

ベテランのシナリオライター以外、これは本当に間違い、勘違いの元なので手間は惜しまずにぜひやって頂きたいのです。

 

どんなに大丈夫と思っていても必ずミスが出ます。もう享け合います。細心の注意を払っていてもシナリオの性質上何らかのミスは必ず起こると思って頂いて間違いありません。

 

創作していると夢中になります。どんどん先に進みたくなるものですが、たまに立ち止まって振り返るぐらいのゆとりも大事です。

 

管理者も今回の作品でやっちまったことがあります。結局間に合いましたが発覚した時はほとんど完成していたので頭が真っ白になります。あんな経験は二度と御免です。

 

こうして貼るだけ貼ったら俯瞰して想いに耽る訳です。

 

シーンの繋がりを感じながら読み進めると必ず欠陥が見つかります。

 

細かいところを言えば、親の呼び名を子供は「お母さん」と呼んでいるかもしれませんが、周りの大人たちは「綾ねえ」と昔から呼んでいるとします。大人から「あなたが綾ねえの娘さんね」なんて言われた子供が「綾ねえってなに?」とはならないのです。

 

子供は小さいころから母が周りから「綾ねえ」と呼ばれているのを知っています。

 

こういった整合性をプロットの段階で詰められるだけ詰めて矛盾を無くします。

 

実際のところ、シーンをイメージしているとその場面しか思い浮かんでない場合が往々にしてあるのです。前後の脈略や事情など考えていません。そのシーンに似合う描写とはどういう物か、しか考えていません、管理者の場合。

 

それ故、物語の流れをみないとダメなのです。

 

流れまで精査して変えなければならない所は、ここが最後のチャンスなのでバッサリ切り替えます。これ以降はバッサリはやれませんし、したくありません。

 

こうしてまとまって次の工程に進めるようになります。

 

 

ようやく原稿用紙に着手なのだが

 

プロの方はプロットで決めこんで原稿用紙にシナリオを書くようですが、管理者はまだ詰め切れていません。そう自覚していました。

 

そこで原稿用紙に書く事はするとして柱、ト書き、セリフに分けたものをざっくばらんに書くことにしました。清書は応募規定でプリントアウトとなっていたので本番はパソコンのエディタでやろうと考えました。

 

原稿用紙にシナリオもどきを書くにあたってアドバイスがあります。

 

それは必ず自筆で一回は書いてみるということです。

 

この流れで 「プロット出したんだからあとはパソコンでいいんじゃない?」 と言われるかもしれません。

 

いやいや、自分の文字で書く意味があるのですよ。

 

プロットでは分からない部分、雑な部分は自分で書いてみて調節が必要なのが一点。

 

尺など分量の調整にも役立つのがもう一点。

 

そしてこれが自署する本来の目的ですが、生きた文言を書きたいから、なのです。

 

 「生きた文言」 とはどういう意味でしょう。

 

自分で書いた文字とパソコンで打ち込んだ文字とは似て非なるものだからです。

 

文字は、特に感性を求められるものは打ってはダメです。書かないとダメなのです。

 

それはそのシーンに宿る感情を見つめたいからであります。

 

自署の文字は人それぞれ感情が現れます。そういうものなのです。

 

同じ文字でも全角日本語で均一に整えられた無機質な文字では感覚的にインパクトがない、イマジネーションを刺激しない、工夫をしなくなるのです。

 

それは手間が掛るものですが管理者はやって良かったと思います。

 

同じようなセリフでも似ているような表現は日本語の場合、多数存在します。

 

どれがベストなのか。

 

 「どれがベストなのか」、「ベストはどれだ」、「どれだったらベストになるのか」・・・・・・

 

いくらでも意味が通ります。

 

これを決めるにあたって、キーボードでは役不足なのです。

 

一番肝心な人に伝えるインターフェイスの文字です。それは打たずに書いてみることで物凄く感覚を刺激するのです。

 

どう伝わるかが自分で実際に書いてみないと読めないのです。

 

打った文字はそのままですが、書いた文字はメッセージを返してくれます。キャラクターの言葉が読んで理解するのではなく、実感で感じられるのです。

 

この、理解と感じる、の違いを意識された事がありますか?

 

書いた物語やキャラクターの価値を最大限引き出したいのなら絶対に書くべきです。

 

具体的には書いたセリフが丸いか柔らかいのか、硬いのか、とんがっているのか、受けているのか送っているのか、何を言ってるか分からない人はとりあえず自署で書いてみて下さい。

 

一文のセリフでも感覚で掴める実感があると思います。

 

パソコンが普及する前の時代はみな手書きでした。

 

そこに書かれているものは脚本家の感情までビシバシ伝わるようになっていました。

 

原稿用紙ペラ1枚全体に 「どっか〜〜ん!!!!」 なんて書かれる人も珍しくありませんでした。

 

スタッフはそれを読んで物語の内容もそうですが、作者の感情も感じて演出や演技の道標となったはずです。

 

一マスに留めなければならないなんて規則は存在しません。

 

要はいかにして読み手に感情を伝えるか、なのです。

 

だからシナリオなんて書式にこだわる必要なんて本当はありません。便宜上決まっているだけです。真面目に、初めてシナリオ上に登場する人物に(年齢)なんて本当はどうでもいいのです。

 

そんなところ真面目に書いてもしょうがないのです。真面目に書かなければならないのはキャラクターの感情なのです。それをスクールの人はわかっていない。教えもしない。

 

今回の城戸賞も審査の効率を考えて時代に合わせてプリント化で受け付けていますが、本当は自署の方が審査員への訴求力は格段にあると思います。

 

きれいな文字を伝える事がシナリオの役目ではないと管理者は思います。それより感情を伝えるほうが何十倍もプライオリティが高いと思うのです。

 

それが書き方書式ひとつで変わるのです。

 

こうして管理者は下書きですが原稿用紙に鉛筆で書きました。人生で初めてステットラーの鉛筆丸々一本使い切りました。

 

デスクはパソコンの前に消しゴムのカスが山となりました。

 

プロの作家さんはこれを万年筆でやってのけます。それだけ匠なのです。

 

そうして書きあげた下書きは今見返してもシーンの中の感情が伝わってきます。パソコン文字ではこうはいきません。

 

それが実感できるので下書きペラ160枚程度ですがとても楽しかったのです。

 

この楽しみをぜひ味わってみて下さい。

 

キャラクターと向き合って対話してください。それがシナリオの醍醐味なのです。

 

清書と校正

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