シナリオ、脚本の清書と完成
シナリオは完成して初めてシナリオになる。
シナリオを書き切ればあなたはシナリオライターになる。
例え稚拙なシナリオでも完成させたのなら、
シナリオを書いていない人との差は歴然となる。
シナリオの清書
今回からは最終工程、清書についてお話ししましょう。
そして熟成と直しを重ねた結果、シナリオ本文完成版ができあがりました。
あとはそれをPCなどに入力して清書します。
昔はペラに手書きでも公の場に提出することも出来ましたが最近はコンクールでもプリンタを使った書式にて提出を求められますし、実際の制作現場でもシナリオをデータとして提出するということが一般化しているようです。
それでも柱ト書きセリフのシナリオ書式、書き方自体は変わりません。
この場合、インデントにしても改行にしてもなかなかWordではやりにくいと思います。
私はOZエディタというソフトを使っています 有料のシェアウェアですがそんなに高くないのでオススメします。
シナリオ書式が簡単に設定できます。
OZエディタ
http://ospage.jp/
本文ができあがれば、あとはシナリオの本としての体裁を整えればシナリオは完成します。
表紙、人物表、本文を挟んで裏表紙をつければシナリオのできあがりです。
この要領はデータの場合も同じです。
チェックは必須
ただ、いま一度、もう一度チェックしてください。
入力ミス、誤字脱字、書式間違えなどはコンクールでは見つかった時点で内容品質如何に関わらずNGとされることもありますし、
なによりそんなケアレスミスでいままでの苦労を台無しにされたくないじゃないですか。
だから推敲とまで行かなくてもできあがったシナリオは再度、再再度チェックします。
なんだか知りませんけど私の場合はチェックしたらチェックした分だけ間違いや直しや修正が見つかります。
だから自分の書いたシナリオは何度も何度も読み返します。
これ、ミスは許されないと思って必ず行ってください。
シナリオに付けるあらすじとは
ここであらすじについてお話ししましょう。
語り口のレクチャーで「シナリオの場合のあらすじはみなさんが承知しているあらすじと意味が違う」と申しました。
特にコンクールに応募する時、あらすじの提出を求められます。
この場合のあらすじとはいつも我々が目にしているあらすじと違います。
何が違うのかというと、シナリオに付けるあらすじには「全部」書きます。
そして余計なことは絶対に書いてはなりません。
全部書く、とは種まで明かす、という言うことです。
結末まで、謎解きがあれば正解まですべて書く、ということです。
ちまたで売られている小説や映画のあらすじでは購買意欲をかき立てる目的で書かれています。
シナリオに付けるあらすじの目的はどんなシナリオかを説明するためのものです。目的が違います。
つまり「このあと怒濤の展開!」とか「乞うご期待」とか書いてはいけないと言うことです。
必要なことだけ、簡潔明瞭に具体的に伝わりやすく書くのがシナリオに付けるあらすじです。
余計なこととは「全米が泣いた」のようなセールストークもそうですが「数奇な運命を辿る」とか「渾身の力作」のようなあいまいなことも書けません。
個別の感情表現も書けません。
作者の制作意図なども書けません「構想10年」とか書いてはダメです。
あくまでそのシナリオって何が書いてあるのか、どんなお話なのか、を説明するためのあらすじです。
もちろん語り口で書かれた粗い筋とも違います。
なんか、全部書いてしまうとシナリオの価値が落ちてしまうような気になりますが、
それでも必要なことだけ簡潔に全部書きます。
これはシナリオが完成しないと書けないと思います。
設計段階のあらすじと完成してから客観視したあらすじとは当然ながら違うはずです。
私はこのあらすじを考察してみて、気がついたことがあります。
それは、シナリオの価値ってお話の筋にあるのではなく、やっぱり描写にあるのだと感じました
筋はあくまで筋でしかありません。
そこにどんな描写が載せてあるのか、それが価値になるのです。
筋だけ明かしたところであなただったらあなたの描写、私なら私の描写は誰にも真似できない、ということです。
だからすべて明かしてください。
恥ずかしいこともありません。
至って事務的なあらすじです。
必要なことを書いて、余計なことは書かない・・・
それだけで作れてしまいます。