コミットと行動
「コミットメント=しゃべる」事と行動の重要性についてお話します。
海未は、ついさっき穂乃果のスクールアイドル提案を却下したにも関わらず全く逆の意識に目覚めます。
海未はとっても恥ずかしがり屋さんなので当初はスクールアイドルみたいに人前で歌ったり踊ったりすることは考えられなかったのでしょう。でも穂乃果の具体的な言葉と行動により海未の深層意識にあったアイドル願望に火がつきました。
自分と対極なモノ、出来ない事に憧れることってよくあります。こういう矛盾が物語を面白くします。
このような描写はラブライブ!ではよく使われます。海未のほか花陽もそうだし、凜もそうです。穂乃果のコミットにて海未の深層意識が覚醒したのです。
このように穂乃果は「コミット」にて結果を得る事ができました。穂乃果が誘わなければ(コミットしなければ)今でも海未は矢をちゃんと”的”に当てていた事でしょう。
コミットメントと行動の生みだす波及効果は自他共に影響を及ぼすもの凄い機能が備わっています。
海未や真姫に却下されまくった穂乃果は独り校舎の裏で練習してみます。うまく踊れずコケまくります。それでも繰り返し試してみます。
穂乃果の行動は気持ちを表しています。
そんな姿を見て察し、ことりは賛同したと推察します。これも穂乃果の行動の結果といえます。
更にその想いを海未にも伝えます。ことりは過去の穂乃果との経験、思い出を回想し海未を誘います。
行動の効果は人をも動かします。コミットは人を動かす強力な力を秘めているのですが意味や気持ちを伝えるにはテクニックや頭を使った言い方やら考えねばなりません。
身体を動かした行動はコミット以上に説得力があり手っとり早く効率的に人を動かします。
時と場所と場合の使い分けは必要ですが、穂乃果の発信したコミットと行動は確実に波及し海未とことりに影響を与えました。
海未は過去の穂乃果のハチャメチャな行動にエラい目に遭いながらも後悔がなかった思い出に辿りつきます。その記憶が海未の気持ちを変えたのです。
もう少しこの一連の事象を検証してみましょう。穂乃果のコミットメントと行動による効果は人に宿る心理学の”社会的証明の原理”でも説明ができます。
社会的証明の原理とは人の思考や行動を心理学で説明したもののひとつです。
心理学でわかる事は人の意識とは関係なく自動的に反応して結果をもたらす、もたらしてしまうもので基本誰でもこの心理には逆らえません。人間である以上意志や考えなども凌駕して反応してしまうのです。
キャラクターのリアクションはこのような人の心理に応じて描写されているのです。そして例え心理学を知っている人でも逆らうことは出来ずにその通りに考え行動してしまいます。
社会的証明の原理とは簡単にいうと”人は自分の行動を決める場合に他の人の行動を真似る”というものなのですがシーンを引用して解説します。
穂乃果の行動にてことりの気持ちはもう決まってます。ことりはスクールアイドルを穂乃果と始めることを決めました。
ことり「海未ちゃんはどうする?」
ここで海未に”社会的証明の原理”が働きます。
「どうする?」 とは”自分と同じ行動をとらない?”という意味ですが、言われた瞬間、海未の心理に”同じでもいいかも”という意識が自動的に生まれます。なぜ、否定にならないかというと、その布石として的を外した自分が描写されています。つまり ”嫌いじゃない” のです。
そして同調しない事、断る事に強い抵抗感が発生します。つまり断り難い気持ちになるのです。
しかもことりのコミットに「海未ちゃん」と入っています。このいわゆる”名指し”が最強のコミットメントとして海未に向けられ社会的証明の原理に拍車をかけます。
海未は、ことりから指名されたが為に明確な返答を今すぐしなければならなくなりました。
この場合、ことりのセリフが「みんなどうする?」とか「やってもいいかなって思うんだ」的な曖昧な表現だと海未は自分以外に向けられたコミットと解釈し社会的証明の原理から逃げ出せてしまいます。
ことりの誘いは、ことりのほんわかしたキャラに反して海未に対し問答無用に決断を迫るけっこうシビアなものなのです。
海未は社会的証明の原理により「どう行動すれば正しいのか」を決めるに当たって「ことりと同じ行動を選択することが正しい」と思いやすくなります。
逆に違う選択をし辛く感じてしまいます。
そして駄目押しの一手、親友の穂乃果が独り努力している姿を目撃します。
そして海未は承諾に至るのです。
これってアニメキャラだから、とかストーリー的にとか、フィクションだから、ではありません。我々リアル人間の持っている基本性質のひとつです。
簡単に言うと「つられる」ってやつです。
ですがこの心理による反射が必ずしも好ましい結果に繋がるわけでは無いものでもあります。結果には関係なく、よくも悪くも影響を及ぼしてしまうのです。
もうひとつ例を見てみます。UTXのオーロラビジョン前のシーンがありました。ここでも社会的証明の原理が働いています。
A-RISEのパフォーマンスで人々が熱狂します。誰かの行動が他の人の行動に働きかけます。その連鎖で人が集まります。
ファンであろうとなかろうと、好きであろうとなかろうと関係なく集団が形成されればそれを見た他の人は集団と同じ行動を行おうとします。
いわゆる野次馬も同じ原理で人が集まるのです。
パフォーマンスを見て気に入った人がファンになり、それが膨らんで人気が確立されます。
この社会的証明の原理は人が多いほど訴求が強くなります。つまり人は自分以外の多くの人が行っていることは「正しいこと」と錯覚してしまうのです。
さらにUTXの場合A-RISEを媒体として広告するにあたりちゃんと価値を持たせて”本物”にしています。
本物とはこの場合、お客さんに楽しんでもらえるレベルのエンターテイメントという意味になります。
そして社会的証明の原理を応用して生徒を集めているわけです。A-RISEがきっかけとなって小さい集団が出来さえすれば後は雪だるま式に人が集まり結果生徒も集まる・・・
とても戦略的なのです。
たぶんこの仕組みが音の木坂学院に足りていない、やっていない事と穂乃果は感じたはずです。架空の音の木坂学院でもリアルでも広告ひとつとってもこの原理を抜きには語れないのです。
そして何を隠そう穂乃果の行動に至る心理も簡単に説明できます。
「きらきらしていてかわいい衣装着て輝いている」A-RISEを見て「私もやりたい!」と社会的証明の原理が働いた結果なのです。