成功者の条件
この#1だけでも穂乃果はさんざん却下されまくります。
絵里と初めて話したときも・・・「あなたたちが気にすることじゃないわ」と却下され
家に帰れば雪穂に・・・「おねえちゃんがどうにかできる問題じゃないよ」と却下され
海未に提案したスクールアイドル案も・・・「アイドルはナシです!」と却下され
有能な真姫には一刀両断・・・「なにそれイミわかんない!」と却下され
生徒会室では再び絵里に・・・「自分のために何をするべきかよく考えるべきよ」と却下されます。
リアルでこれだけ否定されたら間違いなく心が折れてしまいます。挫折してしまいます。それでも穂乃果は諦めません。
成功している人、うまくいっている人は、どうしてそうなったのでしょう。管理者も長年謎でした。
そしてこう思うのです。
「そのうちよくなるだろう」「そのうち転機が訪れるだろう」と。
そうして生きていくうちに鏡の中の自分に年齢を感じるまでに至り結局行動しませんでした。
いいえ、幾度も行動してきた事を、幾度も途中で止めてしまったのです。諦めた結果だったのです。ある一定のとても低いレベルでこんなもんかと勝手に解釈して成長を止めてしまいました。
これではイカン、つまらない人生で終わってしまうという危機感から学んだビジネス論を通じて見えたものとは複雑怪奇と思っていた成功のロジックは意外にもシンプルな理屈であるということでした。
それは 「うまくいくまで、成功するまで諦めない」
この一言に尽きるのです。
そしてそれは穂乃果の姿勢にも現れています。
つまりいくら周りから否定されても信念を持った以上成功するまで、うまくいくまで諦めない。
これだけ、これが全てだという事実なのです。
ですが人生単位で諦め慣れていると諦める決断にも正当性を感じます。
”諦めが肝心”という言葉が示すようにダメだと思う事に継続の意味はないように思えるのです。
ですがこの考えがそもそも間違っていました。
成功を望むとはこんな低い次元で成就するほど甘くはないのです。
このことを理解していないと簡単に諦める選択をして結局堂々巡りになってしまいます。
成功を望むならまず諦める選択を排除しなければなりません。
”諦めが肝心”は間違った考えと悟るのです。
始める以上成功するまで考え、成功するまで行動しつづける覚悟がなければ成し得るわけがないのです。
うまくいかなかったり失敗や穂乃果みたいに批判にさらされることもあるでしょう。それでも諦める、止める理由にしないことが前提条件になります。
それは己の信念によります。
果たして本当に成功を望んでいるのかという問いに答えられなくてはなりません。
動機が曖昧だとモチベーションも保てなくなります。ここでふるいにかけられます。そもそも何かを始めるにあたってその動機はどれだけ真剣なのか、と言うふるいにかけられるのです。
もし成功を望むなら真剣程度では足らないのです。必死がなければ、やらなければ必ず死んでしまうくらいの危機感がなければ成し得ないのです。
その動機は本物か、ということです。
ふるいにかけた結果およそ落とされます。つまり取り組む覚悟そのものが出来ていないのです。そのまま実行すれば結局挫折して失敗します。これは必然です。
もっと細分化して考えてみましょう。
何かに取り組む場合にどの程度の時間が割けるのでしょう。生活や仕事、育児や介護をしなければならない人もおられると思います。
ですが条件的に何かに取り組み成功を目指す場合、その取り組みを阻害する全ての事象の優先順位を下げなければなりません。
成功することのみの取り組みを最優先にしなければならないのです。
ただし何かに取り組みプラスを得ることとは、現状の何かを失うことマイナスが生じることでもあります。
失うものの覚悟も無いならその取り組みに成功は有り得ません。
そして成功するためにはどれだけその取り組みに人生の時間を与える事が出来るかに左右されます。
残念ながらその取り組みに貢献しない いかなる事情や事柄を優先させると努力が足らない結果となります。どんなに正当な行為でも、そのせいで出来なかった理由にならないのです。
極端な話、ご飯を食べていたから何かが出来なかった、とします。これは理由とはならず言い訳になります。すっごく厳しいのですがこれが成功の覚悟、事の本質です。
実際に世の成功者はこのような血のにじむような取り組み努力を継続できて今日の立場を築いてきました。一日1時間だけとか週に2日だけとかそんなものでは勝ち取れないレベルなのです。
管理者はシナリオを書きたいと思い仕事をしながらスクールに通った経験があります。本過程は修了しましたが上のクラスに昇級した時にとてもモヤモヤしていた記憶があります。それは自分の書いている、訴えたい事って何だったんだろう。それに何の意味があるのだろうと感じていました。その答えを出せなくて結局筆をおいてしまいました。
振り返るともったいないことをしたなと思いますが、当時管理者の覚悟はその程度だったのでしょう。今そう思います。本気で成功を望んでいなかったと言わざるを得ません。
学校に通っただけでは到底プロフェッショナルにはなれません。本気で脚本家を目指すなら自分の時間を全て差し出すくらいの覚悟が必要なのです。
他に仕事している、そんなの関係ありません。仕事しなければ生活できない、そんなの関係ありません。休みで遊びに行きたい、そんなの関係ありません。親の面倒を見なければならない、そんなの関係ありません。
すごく理不尽でむちゃくちゃな事を言っていますが、成功したければこれくらい出来て当然なのです。どれだけ取り組めるか、それしかないのです。
あるプロの脚本家さんに聞いたことがあります。
どのくらい時間を使ってプロになったのかと伺いました。その脚本家さんはシナリオコンクールの優勝者だったのですが実際に脚本で生計が立てられるようになるまで4年かかったそうです。勉強してコンクールで入賞して仕事が回るようになるまで足掛け6年だそうです。勉強中は会社勤めをしていたそうですが入賞してぼちぼち仕事がもらえてからは専業で脚本を書き、親元に帰り暮らしを支えてもらいながらほとんど無収入の日々だったそうです。生計が立てられるまでの時間、お金はどうしていたのかというと会社員時代に貯めた預金で暮らしていたそうです。
このように成功する人は成功すべき取り組みを経て成功します。
見ての通り、生半可な覚悟ではできません。何カ月も何年も収入も無くひたすら取り組んでいます。
しかもコンクール入賞者でもこれだけ徹底しないと成功しないのです。
この現実に自分を照らし合わせてみて覚悟の程を聞いてみて下さい。
その覚悟は本物でしょうか。本当に成功したいと思っているのでしょうか。