批判言い訳より行動
穂乃果はなぜ諦めなかったのでしょう。その答えはエンディングで表現されています。
「だって可能性感じたんだそうだすすめ〜♪」
なんですがここでは穂乃果の思考を考察してみたいと思います。
穂乃果は既に散々批判にあっています。それでも気持ちを変えませんでした。よほどA-RISEのビジョンが強烈な印象を与えたのでしょう。
ここで着目したいのがA-RISEのパフォーマンスを見た人は穂乃果だけではない事実です。
他の人も、今まで見てきた人もたくさんいるはずです。もちろん穂乃果と同じような境遇にある音ノ木坂学院の生徒だっていたはずです。
それでも穂乃果だけ可能性を感じました。
送り手であるA-RISEは何ら変わっていません。穂乃果だけに特別なものを見せたわけでもありません。
モノ自体変わっていないにも関わらず穂乃果だけ他の人とは違う結論を得ています。これが穂乃果独自の視点になります。
この事象から読み取れるものは同じものでも人によって見方が変わるということです。
この決定的な視点の違いとは
A-RISEの提供するものを”行動”で見ているか、”思考”で見ているか、の違いなのです。
お客さんは行動を見て楽しみます。穂乃果は人を楽しませる考え方、思考を見ていました。これが最っ高のアイディアに繋がります。
実はこれは双方そんなに難しいことではないのです。
およそ普通の視点は行動を見ているでしょう。送り手も行動を提供する事を売り物にしています。
でもその事象には必ず裏があります。それが思考の部分なのです。
お店に入ってお茶するにしても出される飲み物は行動に属します。
それをどうやって作ったか、どういう食器を使っているのか、どういうサービスで給仕するかが思考の部分になります。
そのお店のいいところを真似しようとした場合、たいがいの人は行動の部分、お茶そのものに目が行きます。そして自分の店で同じようなお茶をお客さんに出します。お客さんは他に店でも飲んだ事があると感じそのお茶の価値を見つけられません。行動は真似してもしょうがないのです。それこそ二番煎じです。
ですが思考の部分は真似して応用ができます。
お茶を提供するに至る考え方を真似るのです。考え方、思考を理解したら行動は自分で考えます。
こうしてオリジナルが作れ、お客さんはそこに価値を感じ評価するのです。
行動と思考は表裏一体です。
思考を考察することは、行動の源が思考である事実を知っていればわかります。知らなければ行動しか見抜けません。
そして今見ているものの裏が見えてきます。穂乃果はそれが出来たのです。
もうひとつ肝心なこと、穂乃果は言い訳や批判をしません。
人は批判すること、出来ない、しない言い訳を考えることに関してはものすごく頭を回します。
逆に出来ることを探す、人を誉める認める、自分を正しく評価するなどは、苦手なのではないでしょうか。
穂乃果は自分を批判する人、却下した人でも批判していません。
何一つ言い訳せずに可能性だけ見ています。この姿勢は大いに学ぶべき点です。
そして条件環境なんかお構いなしに行動しようとします。
管理者も最近仕事の提案をしたら相手からダメだしされました。批判されるのはまあいいとして問題なのはその人が出来ない理由をベラベラと喋ったことでした。
人はなにか自分のなかで理解が出来なかったり納得がいかないと天才的に出来ない理由という言い訳を考えつくものです。
そして管理者は疑問に感じます。その頭をどうして理解に努めようとしないのか、どうすれば課題を克服できるかに使わないのだろう、と。結局、行動しない理由=言い訳をしている人は少なくとも変化なんか期待できるわけないし前進もできません。改善なんてもっと難しいでしょう。
そんな人から問題提起されてもその問題と答えはその人自身の中にある場合が多いのではと思います。
もし問題課題を感じ行動の必要性を感じたならば、せめて「出来ない言い訳」はすべきでないのです。
当たり前な事を言っていますがいい大人の人でも出来ていない人は多いのです。優先順位は行動がNo,1なのです。とりあえず始めてみましょう、始めないことにはそれこそなにも始まりません。
ここで始める前に条件付けをする人がいます。管理者もかつてそうでした。
金がない、時間がない、スキルがない、設備がないetc・・・
ハッキリ言います。全部言い訳です。
よく考えてみてください。すべてお膳立てなんかされているワケありません。
この問題を一つずつ解決していかなければ実現しないのであれば一つずつ真摯に受け止めて考え抜いて行動に移さなければやりようがありません。
もう若くないからとか、あと十年早ければ、なんて「ではあなたは来年死ぬ予定ですか?」とかツッコミ入れたくなります。
それでもハードルが高くてやり難い場合、どうしてもやり難い時ののヒントを提案します。
それは、ざっくばらんに始める、未完成でもいい、後で修正すればいい、小さい規模から始める、完璧を求めない。
これくらいおおらかにアジャストしていいと思います。
大概において完成形を想い描いて、それが行動の妨げになっている場合が多いと思います。それなら今、実現可能なレベルまで調整してみてはどうでしょうか。
シナリオを書く場合もそうです。とかく大きいものから手を付けたがりますが逆です。
実現可能の範囲でやってみてその範囲の最高値を目指します。最高値をクリアしたら次の段階に進みます。初めから完璧を求めてはいけません。
但し不十分な内容でも書き始めたら最後まで書き通す事、これはベテラン脚本家が口を揃えたように申しております。
出来ない言い訳、批判は何も生み出しません。
口にするだけ時間の無駄になります。出来ない言い訳や人の批判をしている人は自分が大きな損をしている事に気付けません。
言い訳批判は思考を停止させるのです。だからしてはならないのです。
穂乃果みたいに可能性を模索してみて下さい。
今まで見慣れたものでも、視点を変えれば目からうろこが落ちるように新しい発見ができます。
そうしてヒントを得て行動を積み重ねていけば経験となり自分のお金ではない財産になるのです。
ざっくばらんに始める、完璧は求めない、可能性を信じよ。
記念すべきラブライブ!第一期#1は穂乃果を通じてそんなことを我々に教えてくれています。