思考停止の恐ろしさ
穂乃果はいきなり衝撃の事実を知って気を失ってしまいます。
あまりにインパクトが強いと人間は再起動するために強制終了するらしいのです。
でも海未とことりは大丈夫でした。同じ事柄でも受け止める重要度に穂乃果と海未ことりとの間に温度差があったのではないでしょうか。
この激しい(?)温度差が物語を進める上でキャラクター個々の主体性の違いとして描写されています。
穂乃果は「輝かしい高校生活が奪われる」と切実に感じ海未ことりは事実を受け止められるだけの「ゆとり」がありました。
似た者同士のグループの3人でも穂乃果は他と違うリアクションによって”他とは違う”という個性の演出になっています。
対して海未ことりは倒れる穂乃果を支えました。この穂乃果を”支える”役割は本編通じて海未ことりのアイデンティティになります。
穂乃果は動作も含め究極の思考停止=気を失ってしまいました。
気絶こそしませんが、この思考停止はリアルでも頻繁に起こる現象です。
解決が困難な障害を感じたときに人は考えなくなります。本当は考え続けてなんとか活路を開かなくてはならなくても、考える事を止めてしまいます。
たぶん防衛本能の一部なんでしょう。人は理解が難しいと感じると楽な選択を好みます。
つまり「考えない」のです。
そんな人間は基本何もしたくない生き物です。出来れば考えたくないし行動したくありません。誰かに考えてもらって、誰かにやってほしいのです。
その代償がお金で、お金持ちの人はお金を使って自分は考えなくても結果を得られます。お金を使って少ない労力で成果を出します。我々お金の無い人は他人の考えたくない事を考え、他人の動きたくない事を代わりに動く事でサービスを確立し、それを提供することで生計を立てることが可能になります。
それでもサービスを提供する側も人間である以上基本的に何もしたくありません。
仕事だからやっているのです。
このように人はデフォルトで考えませんし行動しません。何かの要因が無ければ積極的に考え行動することはしないのです。
特にネガティブな事柄に直面するとその反応として難しい、めんどくさいと感じ活動を停止します。更にその状態を頑固なまで維持しようとします。これがやっかいなものとして結果の妨げに働きかけます。
特に”いきなり”とか”突然”とかに弱く”頭が真っ白”になってしまいます。
自動車の事故でもそうです。ぶつかった事実は同じでも当たるとわかっていて当たるのと、不意打ちに食らうのとではケガの度合いに雲泥の差がでます。追突事故で当てた方と当てられた方では、当てた方が軽く、当てられた方が重傷になりやすいのです。
それでも思考しなければ動けません。思考停止していては何も始りませんし幸せでありません。
それに闇雲に行動しても全く考えなしに動けば「慌てる、混乱している」ことにもなり結果は遠のきます。
リアルでも思考停止は日常茶飯時的に起こりうる事柄なのですが、逆に言うと「考える」ことさえできれば結果が出し易くなり解決が早くなります。
肝心なのは「今自分がどういう状態」か理解することから始まります。
もし思考を止めていたら早急に再起動しなくてはなりません。自分のために考え尽くして行動しなければならないのです。
思考停止している場合ではありません。
仮に命の危険が迫っているような緊迫した状況でも人の頭は本能的に楽しようと思考を止めたがります。当然それに従ったら命がありません。
困難な状況下で考え抜いて行動して生き抜くストーリーは王道です。パニックになって思考停止する本能に、勇気を持って抗って考え行動した結果、成功する事に感動があります。
出来ない思考停止から、出来る思考に切り替えられる決断勇気が共感を呼ぶのです。なので”王道”となります。このような人の仕組みを知れば自分が思考を停止しているかどうか客観視できます。
もし思考が停止している現実に気付けたなら、少し”間”をとる事をおすすめします。慌てて次を急ぐとロクな結果にならないことを大人は誰でも知っています。
「落ち着け」とよく言われますが具体的には”間”をとって客観視せよ、と言う意味になります。
思考停止は恐ろしい生理現象です。ですが物事なんでもかんでも考えればいいというものでもありません。
優先順位は行動の方が上になります。
でも行動しているからと安心してしまって思考停止すれば、それは”慢心”になり結果は伴いません。
せっかく起こした志が無駄なものになってしまいます。こんな無駄は御免被りたいと思いませんか。だから考える事を止めてはいけないのです。
考える事はメンドクサイ、カッタるいと感じるものなのです。本能には逆らえませんが本能を知っておけば対処のできる余地はあります。
そしてメンドクサイ本能を凌駕するものはモチベーションだったり欲望だったり目的だったりするのです。
穂乃果の行動の源は他要素からの刺激(廃校の事実)でした。
なんとかしたい穂乃果の”欲”が意志になりました。
そしてこれからの穂乃果の行動には多大な拡張性が秘められているのです。