広告の重要性
すったもんだの末、ようやく穂乃果たちは状況の分析に至りました。
問題解決の糸口として入学希望者を集めれば廃校を回避できます。
どうすれば入学希望者を集められるのでしょうか。穂乃果は「学校のいいところをアピールして生徒を集めればいいんだよ」と考えます。
そうなんです。アピールする=音ノ木坂学院を広告しなければならないのです。
広告論については管理者は素人ですが人に知ってもらうことの重要性については理解しています、っていうか知ってもらわなければ何も始まりません。
そして広告は何も駅の看板や街角のネオン、テレビのコマーシャルその他だけが広告ではありません。
例えば就職活動で会社に入るときにした面接選考だって広告行為にあたります。これだって「自分」という商品を会社にアピール(広告)して採用に至るのです。
もともと会社はあなたのことを知りません。知っているわけありません、情報ゼロなのですから。
そこに募集の意志を知り面接のアポをとり履歴書等のツールを駆使して会社にあなたのことを知ってもらい結果仕事を与えてもらえます。
社員募集広告も社員を集めている事実を知らない人に伝える広告手段ですが、面接選考も知らない会社に知ってもらうという意味では同じ行為なのです。
知らない人に知ってもらう為の広告の概念は「世の中広告で成り立っているのか」と思うほど重要なのです。
人は一人では生きていけません。誰もが認識している周知の事実です。
ここでひとつの疑問に至ります。ではどうやったら他の人に知ってもらうの?他の人に知ってもらわなければ結局一人になっちゃうじゃんと。
その解決法が広告なのです。特にビジネスでは必須です。
何を売るかなんてどうでもよくて (売る商品に関わらずという意味です) 重要なファクターは
”どのようにして知ってもらうか” なのです。
そもそもお客さんに知ってもらわなければ売れません。当たり前です。逆にこのハードルさえ克服できればなんでも出来てしまいます。
もちろん音の木坂学院に生徒を呼び込むことだって造作もないことになります。
広告の理屈は簡単ですが、実現には努力が必要です。いかなる広告行為を選択するべきか。それを決めるにはまず物事の本質と相手を知らなくてはなりません。これが問題です。
穂乃果たちは「学校のいいところをアピールすれば」生徒が集まると考えました。考察すると同時に物事の原因が解ります。
なぜ音の木坂学院に生徒が集まらないのか、を知ることができました。アピールに繋がるほど具体的な実績に乏しい現実を理解します。
既存のアピールポイントに頼れません。なにか新しい要素の必要性に気が付きます。相手(受験する中学生)にメリットを感じてもられるような何かを提示しなければ成し得ないのです。
リアルでも同じで広告の善し悪しが(するしないを含め)直接ビジネスの成否に直結します。
このこと抜きには語れないのが商売なのですが、実際にご商売されているオーナーさんでもこのことを軽視している方が多いような気がします。
「業績が悪い」「お客さんが来ない」「売り上げが上がらない」と嘆くオーナーさんはいくらでもいらっしゃいますが、そんな人に限って広告を疎かにしていたり無駄にご自身を過小評価していたりします。そして問題の本質すらも見失って考えず行動しません。考えないので原因も答えも気付けません。
でも実は原因も答えもその人の中に既に存在しているのです。
業績が悪いというのはリアルでも音の木坂学院の経営でも同じなのですが”考えていない”から見えないのです。見えている結果は”さもありなん”なのではないでしょうか。
シナリオを書く場合でも同じことが言えます。
自分のシナリオはどんな人にどんな気持ちのなって欲しいのか、この点を無視して作ってしまうとまとまりません。作品の方向性を決める上でもまず”相手”を知らねば定まりません。どんなに小さい課題でもこの点を意識するのとしないのとでは出来あがるモノの次元が違ってきます。
実際のところ、たいがいこの方向性がユーザーでなく ”自分” になっています。それでは共感が呼べなくて当たり前になります。
自分の書いたシナリオは誰に知ってもらいたいのか、誰を楽しませたいのか、の問いに答えられなくては前に進めないのです。そして”仮に”でも想定して決めてしまえば意外と発想もしやすくなります。ターゲットの相手を思い浮かべて書き進めれば大枠の迷いが無くなってきます。
少なくとも独りよがりにはなり難くなります。
このように相手に知ってもらうための広告の概念は広告だけに留まりません。
その仕組みは人のコミュニケーションに関わる重要なヒントを与えてくれているのです。
既存のコンテンツに頼れない穂乃果たちは、いったいどんな広告手法を用いるのでしょうか。
全くのゼロベースから何をヒントに何を創造できるのでしょうか。