ラブライブ!ビジネス論 高坂穂乃果はCEO

このサイトの記事は 『c2013 プロジェクトラブライブ!』 よりビジネス論比較研究の為に引用させていただきました。

何が出来ますかの問い

 

 ”あなたは私に対して何が出来ますか”の問いに答えられなくてはいけません。

 

 「なんで?」と言われそうですが、この問いかけに的確に応えられなければ相手を納得させられないからです。

 

例えばシナリオの受注が取りたくて営業をかけた場合、クライアントは聞いてきます。

 

 「あなたはどんなシナリオが書けますか」と必ず聞いてくるはずです。その答えが・・・
 「私はシナリオスクールで経験を積みさまざまな課題も高評価を受けました。いろんな作品も見て日々勉強しています。実績はありませんが面白いシナリオを提供できると確信しています」
と言います。

 

これってその通りかもしれませんが確実に不採用になるでしょう。
なぜか、それは専門性に欠けているからなのです。

 

 にこはスクールアイドルを続けています。
その理由は「好きだから」と端的に表現します。さらになぜ好きなのか具体的な部分にまで言及します。

 

それは穂乃果への当てつけに使われますが使い道はともかく にこの専門性、プロフェッショナル性を表すことで穂乃果に反論の余地を与えません。
納得させられます。

 

セリフにはありませんが、にこは「あんたもそうだったでしょ」と言わんばかりなエピソードです。

 

人を説得したり、納得させたい時に総論的なバランスの取れた抽象的な表現はあまり相手の心に刺さりません。人を説得、納得させるにはより具体的なアプローチが必要になります。

 

ちなみに説得、納得とはお客さんにモノを売る場合でもシナリオのプレゼンする場合でも同じです。

 

上記のシナリオ受注のケースではどうでしょう。
 「私はシナリオスクールには通いました。その中で課題をこなしているうちに自分の得意分野を見つけました。私は人がバッタバッタと死んでいくシーンや血がドバドバ流れる所がとても好きでその描写は他の誰にも負けません。特にその中でも時代劇の殺陣のシーンに自信があります。凄惨な状況をお望みならばぜひ使ってください!」
とするとかなり相手に対して自分の出来る事、提供できる事がハッキリクッキリします。

 

自分の専門性、プロフェッショナル性を訴えることにより説得力が増します。

 

意外かもしれませんがユーティリティな”何でも出来る”は何も専門性が無いことを意味します。

 

それでは人に伝えるには不十分なのです。
より具体的に、その中でもさらに具体的なものに焦点を絞り例題や経験などを交えながらアピールすると、それが例え相手が求めている事にドストライクでなくともキチンと伝わります。

 

ここまで出来てようやくスタートラインに並べるのです。

 

管理者はよく人の紹介で使われる肩書きで”マルチなんちゃら”に疑問を持ちます。
マルチクリエイターって何屋さんですか?
 「一体なにができる人なの?」と思います。

 

頭のいい人である事はなんとなく理解できますが少なくとも権威性は感じられません。
自分より上か下かも分かりません。カッコいい肩書きは実は格好も何も伝わっていないのです。見る人がみれば「なんじゃそれ」となります。
さらに”ハイパー”が付くともう、何が何だか分からなくなります。

 

実際のところ人はなんでも出来てしまいます。
その仕事や特定の世界に長期に渡り経験を積んできた人、人生経験の長い人等は人のやる事の共通項を感じるでしょう。

 

人間社会に生きている以上、ものの考え方捉え方、判断基準、常識などはどこに行っても何をしても共通するものがあります。

 

その共通項にはもちろん価値はあります。
経験が長いほど出来る事も多くなります。
声優の堀江由衣さんもミスモノクロームのキャラクター原案を作ったりできます。

 

でも人に対して何かを説得納得させようとするなら”何でも”は嫌われます。特定の部分に絞り込んで伝えなければ論点がボヤけます。

 

ハッキリさせないと相手は何が言いたいのかが解りません。
そこで自分の中の専門性をあぶりだします。

 

他にも出来ることをアピールしたい欲求をグッと抑えて相手の求める事で自分に出来る専門性、プロフェッショナル性だけを訴えるのです。

 

その話が拡張したら他の部分も自分の付加価値として言えばいいでしょう。
そしてそんな専門性は自分で勝手に設定できます。

 

勝手に専門家になってしまうのです。

 

専門性はその人の持っている知識や経験の中に既に宿っています。
しかし大多数の人は宿っているものに価値を見出しません。見て見ぬふりをしています。気付いていないという事もあるでしょう。

 

その原因のひとつが日本人の美徳とされる謙遜です。

 

この感覚は本来人が持っている知識、経験、知恵という最高のスキルに蓋をしてしまいます。

 

この謙遜という意識が根付いている為に「何ができますか」の問いに戸惑います。
 「私には何も出来る事なんてない」と早合点してしまいます。世の中で成功している人を見るとこの点だけは図々しい人が多い気がします。

 

たぶんこれまで仕事をこなしてきて謙遜していたら始まらない事実を身をもって知ったのではと推察します。
それは本当に専門性のあるものから、とてもじゃないけど素人考えの域を超えないものまで等しく図々しく主張します。

 

でもそれくらいで丁度いいのです。
プレゼンにしても、面接にしても、商談にしても、相手が欲するものは謙遜や遠慮ではないはずです。
相手が望むもの以外は要らないものになります。貴重な時間を要らない事に費やすだけ無駄と捉われます。

 

こちらは謙遜をすることでなんとなく人間性だったり常識性だったりをアピールしたいのでしょうが相手はそんなことより大事なことを聞いています。

 

相手はあなたの”奥ゆかしさ”なんて聞いていないのです。
謙遜はスキルの蓋にしかなりません。使う時と場所は考えなければいけません。

 

そして「自分の出来る事」は極々単純なものでも専門性、プロフェッショナル性を付加できます。

 

多少人より詳しい程度で構わないのです。
専門性、プロフェッショナル性に境界はありません。どこからがアマチュアでどこからがプロフェッショナルかなんて基準はないのです。

 

よくお金を稼いでいる事を基準とする人がいますがそれは間違いです。
学生だって幼稚園児だってある種の専門家なのです。

 

肝心なのは本人が”自分はプロフェッショナルである”自覚だけなのです。

 

それをアピールしない手はありません。

 

 にこはアイドルの専門家です。
その根拠は「好きだから」でしかありません。

 

このように「好き」なだけでも「好きでも何でもない人」から見れば立派な専門家、プロフェッショナルなのです。

管理者著書

『シナリオ技術とビジネスセミナーの融合〜売れるバックエンドのストーリー〜』



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