人の幸せを考える意識
絵里は穂乃果に告白します。
それは傷ついた穂乃果を癒すため絵里の出来る限りの言葉でした。
「変わる事を恐れないで突き進む勇気」
と表現します。
このセリフ、この文脈は意味が重くてたくさんの要素が詰まっています。
人は変化を嫌います。
変化することより現状維持に価値を見出します。特に経験を重ねたり歳をとってくると変化に弱くなります。今のままをより好むようになります。
これは行動に留まりません。思考においても今までと”同じ”を良しとします。
何か新しい提案をしたとき、否定の理由に”前例がない”というものがあります。
新しい事をするにあたって前例がないのは当然なのですが変化を恐れる気持ちがこう言わせるのです。
でも現状に満足できないで新しい事に取り組むわけなのですから、判断基準を前例に求めることは本質から外れます。
そんな本質をも覆すほど変化を嫌ってしまうのです。
これを打開するには絵里の言うとおり、勇気しかありません。
思いきれる覚悟が必要になります。こんな場合、工夫が要になります。
いきなり変化させないで段階を踏みます。
前述の記事にも書きましたがダウンスケールの考え方により物事を細分化して小さい変化から起こしていきます。達成可能なことから始めます。
最初は受け入れやすくハードルを低く設定して、序々に上げていきます。
絵里に対して穂乃果の存在みたいに賛同者の応援も仰ぎます。
結果的に以前より変化して効果を得られれば成功となります。
物事そんなにうまくはいかないものですが変化を変化に見せない工夫をしないと変化する前に空中分解してしまいます。
改めて言いますが、人は変化を嫌います。この前提で事を運ぶ設計を立てねばなりません。
絵里の言葉は穂乃果の実績を示しています。
かつて絵里が思い悩んでいた時に穂乃果は手を差し伸べました。それが絵里の救いになりました。
お気づきかもしれませんが絵里は全編通して見ると、穂乃果に救われる前と後とでは表情の作画に違いがあります。救われる前はナカを担当している南條愛乃さんの艶のある声とは裏腹な表情に違和感がありました。
救われてようやく声と表情が一致しています。
絵里にとってはそれほどの変化だったのでしょう。
この変化を促したのが穂乃果で、ここでもCEOっぷりが発揮されました。
CEOの意識、トップの意識で重要なもののひとつが「人の幸せを考える」というものです。
この場合の人とは自分以外の「人」になります。
社員、部下、取引先、お客さん、その関係者、その家族も含まれます。
人の幸せが自分の幸せと考えられるかどうかでトップの品質が決まります。穂乃果はこれが出来ました。
この思考が発揮できる立場はトップでしかありません。
社員などの仕える人には求められませんし出来ません。
無論社員であっても個別でミニマムな範囲では人の幸せを考えることはあります。でも一番その役目を担っている人はその組織のトップになるのです。
これは自責の念にも共通する思考です。
「うまくいったのは他人のおかげ」、「成功したのは支えてくれた人のおかげ」、
「うまくいかなかったのは自分のせい」「自分が幸せになれないのは人の幸せを考えていない自分のせい」
こうした考えを持つことで行動すれば他人に感謝されその恩恵は返報して自分に返ってきます。
その仕組みを理解している人がトップになれます。
ですが実際のところこのような崇高な思考を持ち合わせていない人がトップになっています。人の原則を無視して更なる成功は有り得ません。
どこかで必ずボロがでます。付いてくる人もいなくなります。
このようなトップもどきが多いのも現実ですが出来ない人に焦点を合わせても意味がありません。考えてやる価値もありません。
それくらいトップの人は自己の資質と責任を問われています。
その責務を全うしているからこそ会社で一番お金をとっていいとされるのですから。
出来ない人がトップに居座るほど迷惑なことはありません。
出来ないトップはおいといて、我々は美味しい所だけ盗めばいいことです。
人の幸せを考える意識と自責の念は今日から実践できるトップの意識です。
やってみると自分がいかに自己中だったか思い知ります。
これが向上のヒントにもなるのです。
絵里と穂乃果のやりとりはこのようなことも我々に語ってくれるのです。