期限の設定
何かに取り組むにあたって目標を立てることはもちろんですが期限も設定するべきです。
それは決して大きなもの長期的な期限である必要なありません。
特に始めたばかりだったり初心者レベルであればあまり大きな目標、長い期限は達成困難になりがちです。
実践目標は小刻みに、短期的なスパンで期限設定してそれをこなしていく方が現実的と思われます。
そして期限を無視すると結局自分に跳ね返り思考停止にも繋がってしまいます。
穂乃果は海未ことりに承諾を得ないまま初の講堂ライブの開催を決めました。
勝手に期限を作ってしまいました。
周知徹底されていなければ周囲は困惑はしますが、それでも期限が実現化に大きく貢献します。
しかも絵里と希の前でコミットメントまでしてしまいました。穂乃果のCEO気質が見て取れます。
目標と期限はセットで考えなくてはなりません。どちらが欠けても問題が生じます。目標と期限を決める事により己にカセを設けます。それはあえてストレスとなる要因を抱え込むことにもなりますが、これがないと人の本性である”考えたくないし動きたくない”に従ってしまいます。
そして目標達成は結果論でも片付きますが期限は言い訳がききません。
間に合わないことに理由を付けた段階で言い訳に分類され正当な評価には繋がりません。人はここまでしないと自身も含め動かないのです。
よく「自分を追い込む」なんて言いますが悪い意味で無く、そうしないと実現しないから、そういう特性の生き物がやることだから、そのように対処しているに過ぎないのです。
期限はプレッシャー的なネガティブイメージですが結果を出す為にはなくてはならないソースなのです。
管理者も期限については正直なところあまり自信がありません。ですが利点は理解しています。
期限はモチベーションに繋がります。
残り時間がやる気にさせることもあります。期限は全体の設計に役立ちます。期限を守られれば全体像が具体的に作れます。期限は品質を高めます。取り組みに集中することによっていいものが作れます。期限は人の計画性を養います。
こんなにメリットが盛り沢山でもなぜか抵抗を感じてしまいます。その抵抗を感じつつも、でも期限が無いとシナリオでもサイト記事でも書けるのかというと、書けません。
絶対に書けません。
いくら期限を延ばしても書けなくなります。結論として抵抗感がお尻に火をつけるのです。甘んじて受け入れるしかありません。
少し工夫を提案します。
よく期限に間に合わない時に期限を延ばそうとします。しかし間に合わない時点で見えてくるものは期限設定が甘かった点にあります。
もちろん原因はそれだけではない事情もあるでしょうが、この場合元々の期限はリミットを迎えた時点で終わりにします。
例え途中でも、未完成でも延長はしません。終わりにします。
当然作業を継続する必要がありますから作業を続けるわけですが、その先のいわゆるサドンデスな時間は元の設計より短めに、細かく改めて再設定します。当初の見積もりが甘かったことを認めて細分化するのです。
伸ばすのではなく、コマ切れに短くするのです。これは間に合わなかった実績がその必要性を語っています。
伸ばそうがコマ切れにしようが期限を過ぎてしまえば同じ時間です。なるべく早く仕上げる為にも同じ設定ではまた無理が生じます。間に合わなかったのはその設定が甘かったからなのですから、見直しが必要になるのです。
別に公にすることはありません。
自分の中で”〜〜までに全て完成”から、”〜〜までにここまで仕上げよう”というふうに刻みます。
そうして完成までの具体的な時間を割り出します。
そんな面倒くさいと思われるでしょうが、間に合わなかったのはその人のせいで誰のせいでもありません。出来ないなら出来るスケールまで落とさなくては対処とはいえません。
そうなりたくなければ期限は守るべきなのです。
そして目標は結果論で片付くと言いました。完成度より期限を守る方が重要なのです。
なぜでしょう、それは目標は自分の都合で、期限は相手の都合だからです。
期限に間に合わないと言う事は相手を裏切る行為にもなるのです。
自分が送り手である以上相手を裏切っては本末転倒です。送り手である資格がありません。
ある昔の脚本家が言っていました。作品が中途半端でも期限は守れ、中身は後からでも修正できるが過ぎた時間は取り戻せない、と申しておりました。
だからシナリオを書き始めたら最後まで書き通さなくてはならないのです。
出来上がらないことには周りは進めません。中身より時間内に完成させる事の方が優先順位が高いのです。
このように期限の意味を理解すれば多少なりともモチベーションが上がるのではないでしょうか。
穂乃果たちの練習にも危機感が加わり、初ライブに向けて一層盛り上がることでしょう。