ラブライブ!ビジネス論 高坂穂乃果はCEO

このサイトの記事は 『c2013 プロジェクトラブライブ!』 よりビジネス論比較研究の為に引用させていただきました。

習うより慣れろ

 

穂乃果は人前に出る事を嫌がる海未に対して「慣れちゃった方が早いよ」として半ばスパルタ式にアキバの駅前でチラシ配りを断行します。

 

海未は結局対応できませんでしたが、考える事より行動する事の優位性を表している描写でもあります。

 

 ”習うより慣れろ”とはよく言ったもので実際のところ穂乃果の言うとおり慣れちゃった方が物事を早く自分のものにできます。

 

習うとは自分のために自分で勉強、または他の人から教わって学び知識を身につけるものです。
学びは知識をインプットする以外に判断の材料だったり分析に役立てたりと多岐にわたり自分を助けてくれる無くてはならない、やっておかないといけない行為です。

 

でもこれだけでは不十分です。実際に行動するための知識である事を忘れてはなりません。

 

リアル社会人が勉強する目的は行動するためにあります。
試験に合格するための勉強ではないのです。本で読んだ知識、著者の経験、セミナーなどで教わった事はすべてその後に行動する前提があります。

 

学んだ知識を紙に書いて採点されていい成績がとれたら報酬が発生するわけではありません。あくまでその人の行動するヒントでしかないのです。

 

行動に移した結果学んだものが自分のものになります。
そして継続的な行動が経験となり学んだ人に利益をもたらすのです。学生が勉強する意味と社会人が勉強する意味は同じ勉強でも大きな違いがあるのです。

 

そんな大切な学びではありますが、これを凌駕する方法が”慣れる”ことなのです。

 

 ”習うより慣れろ”は勉強より行動の優位性を表しています。
上記のとおり勉強は必要です。でも社会人のメインは働いてお金を稼ぐことにあります。勉強する事はメインではありません。
されど行動を継続していけば勉強も出来てしまいます。勉強だけして得られた知識は実経験を伴うものではありませんが、一方経験は行動をとおして知識も与えてくれるのです。

 

それも自分の行動というフィルターを通して伝わってくるので、単なる知識がより現実にマッチした形に変換されます。知識を「知恵」に変換できる最強の勉強法が経験なのです。

 

知識は他人からでも授かれますが、「知恵」は自分で獲得するしかありません。
それには自身の行動が不可欠です。

 

 ”習うより慣れろ”は行動し継続すれば勉強以上の利益をもたらしてくれるという意味なのです。

 

学生は勉強してその出力先が試験となり答えが用意されています。
でも社会人の勉強においてその結果の明確な答えは存在しません。答えのない勉強をしています。

 

社会人の勉強の成果は抽象的です。成功した、報酬が上がった、社会的地位が上がった、上司に、クライアントに評価されたなど結果という形を目指しています。
これらは知識もさることながら行動による経験、その過程での実績がモノを言います。

 

この仕組みはこうして文字情報として読めば当たり前と感じるのですが、実際のところ勉強しただけで全てを悟った気になっている人も多いのです。

 

上記のとおり社会人においては行動する為の勉強だったり知識だったりします。勉強で得た知識そのものは利益を生みません。

 

自分の行動するためのツールでしかありません。

 

そのツールは獲得するのに大変な努力を要するものもあります。大変なモノなのでつい依存してしまいます。
知識ばかり取り込んで行動していない人を揶揄してよく”ノウハウコレクター”なんて言います。
大変な思いをして勉強したのだから、その苦労に価値を見出す気持ちも分からなくはありませんが、本質は使わなければ意味のないものなのです。

 

もっと切実なのが勉強にお金と時間をたくさん使った人です。

 

資格修得者、士業、弁護士さんとかお医者さんは稼ぐための勉強に物凄い努力とお金を使います。
そのような優秀な人でもこの本質からは逃げられません。
資格試験で合格してもだれもお金を払ってはくれません。その資格をとった後の行動が肝心で自己の利益に直結します。
その理屈を理解できていない人がいます。

 

つまり、資格修得=稼げると思う勘違いです。

 

資格習得はツールでしかありません。資格自体に収益構造はありません。資格を駆使してどのような行動するかに価値のあるなしが発生します。

 

うまくいかない人、稼げない人、資格がなければダメだと思っている人は、”習うより慣れろ”の意味、社会の仕組みを理解していない事になります。
 ”習うより慣れろ”の”習う”ことしかしていないのです。慣れる、行動する、経験を積むことに価値があるのにそれを解っていません。

 

なので弁護士さんが食っていけません。コンビニより多い歯科医が経営に苦しみます。社会に出たら学生や資格修得専業者とは全く別のロジックにさらされてしまいます。

 

試験の為の勉強と、食っていくための勉強は意味も内容も全く違います。
もっといえば、学問的な専門知識と商売、マネタイズとは全くカケ離れた分野なのです。物を売る事とも全然違います。

 

社会人はどんな勉強したか、どんな資格をとったかより、どんな行動したか、どんな経験と実績を残せたか、これに尽きるのです。
よって資格なんて関係ありません。評価基準になりません。資格をとってもとらなくても関係なく、何をしたかに価値があります。社会は学校ではなく、お客さんは先生ではないのです。
こんな超肝心なことを日本の学校では教えてくれません。

 

学生と社会人のロジックの違いについて、シナリオを勉強することに当てはめてみます。

 

脚本家は学校に通ったからなれるわけではありません。資格も存在しません。
ですが全くのノーアイディアでは判断のしようがないのでお金を払って学校や講座に通います。

 

この時点で自覚しておかなければならないのが学生と社会人の違いです。
会社勤めしていてアフター5に通学するとします。会社では当然社会人として利益を追求し給料を得ます。会社が終わって学校に行くとそこは学生の領域に入ります。

 

学生の領域ですので学んだ結果は社会とリンクしていません。

 

例え社会人でも一旦学校に行ったら社会人ではなくなるのです。そこで得られるものは学生としての評価でしかありません。

 

つまり”習うより慣れろ”で言えば”習う”ことしかしていません。

 

いくら講師に評価されてもあまり関係が無いのです。
もちろん講師だってプロですから一定のレベルを評価基準としているのでしょう。
ですがシナリオの場合は特にそうなのですが、普通の学生の明確な答えのある世界での評価ではありません。

 

具体的な答えのない上での評価になるのです。

 

ですから学校で習ったことはあくまでその後の行動のヒントにしかならないということです。
その人が脚本家として成し得るか否かはその後の行動に掛っているのです。

 

それが解っていないといつまでも学校に依存してしまいます。上級生になっても一向にプロになれません。習うことしか知らない為です。
どうすればプロの脚本家になれるのか、はリアル脚本家にヒントがあります。

 

管理者が感じたのはいつまでも学校に居てはいけない、というものでした。

 

出来る人、プロの脚本家になる人は”習うより慣れろ”の ”慣れること” に重点を見出しています。そして行動しています。

 

これはシナリオスクールに限った事ではありません。
社会人が何かに取り組もうとした場合、社会人の感覚で学校に行っても学校の考えは社会人の求めているそれとは似て非なるものなのです。

 

このあたりが解らないといつまで経ってもお金を払う立場から脱却できなくなります。

 

行動前提でなければスクールに行く意味がないのです。

 

習ったら終わり、にしてはいけないのです。

 

今、スクールに通っている社会人の方は、どこまで学べば ”慣れる” 行動を始めるのでしょうか。

管理者著書

『シナリオ技術とビジネスセミナーの融合〜売れるバックエンドのストーリー〜』



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