独学の限界
海未はμ’sのレッスンを指揮していて「自分たちのレベル」を確認します。
初めて自分たちのやっている事に具体的な客観性を用いて改めて評価しようとします。
結果、何度やっても「感動出来ない」事実に気が付きます。
μ’sは今まで独学でここまでやってきました。作詞作曲振付衣装とそれぞれエキスパートの存在によりなんとか成長してこれました。
目標としてA-RISEがいいお手本なのですがA-RISEがμ’sの指導をしたわけではありません。
あくまで独学です。
そして海未は世界レベルの絵里の演技を知って自分たちと比べて不足を感じます。
この「不足」を海未は放っておけません。そこに限界を感じます。
何か行動を起こしている時に自信を無くすようなネガティブな要因となりうる事柄と「比べる」ことは避けるべきですが、向上が確実な要因に対しては「比べる」ことを起爆剤に使わない手はありません。
比べるとは「客観性」を持つことです。
客観性を意識すれば自分の現在位置がわかります。
迷ったときや迷う原因を見つけたい時、気付かないこと解らないことなどの障害は客観性を持って視点を変えることにより解決の糸口が見えてきます。
実際のところリアルでもこの客観性が欠けていて失敗することが珍しくありません。
このあたりはもろ刃の刃でハタから自分を見つめて「やっぱり無理」とかつての花陽みたいに行動停止、思考停止になっても困りますが、かといって全く自らを省みず「独りよがり」なってしまっても生みだすものが少なくなります。
バランスが大切なのですが客観性には方向性を与えると間違えません。
総論ですがポジティブ、ネガティブならばポジティブな方向を選択してメリット、デメリットであればメリットな方向を前提として客観視します。
やる、やらないであれば「やる」方を選択します。
オタの世界では高額の商品、レアものの商品を購入検討する場合「買わずに後悔するなら買って後悔しろ」という格言(?)があります。
半分おかしな例えではありますがなんとなく物事の本質は突いているかと思われます。
客観性は良くも悪くも自分の位置を知らせてくれます。
ここから好ましい方向性でヒントを得ます。それが判断の手助けをしてくれるのです。
で、客観性はなにも自分だけが判断出来る要素ではありません。
他の人から見てもらうことにより現在位置を教えてもらったって構わないのです。
「自分の世界は極々狭い」「自分のやることは間違っている」という意識があれば必然的に人を頼ります。
そして自分にないもの、自分より上のものを持っている人ならば学ぶ(盗む)チャンスが生まれます。
見るべき所は、行動も参考にはなりますが「思考」の部分です。
その人が自分よりうまくなったのはどんな考えで行動に至ったのかを見なければなりません。
行動を真似しても効果薄です。でも思考は真似すれば自分なりに拡張ができます。
ここが美味しいところなのです。
ただし気を付けたいのが自分にとってネガティブな要素は排除しなければなりません。
他人はそんなに自分の事を知ってもいないし考えてもいません。相手は良かれと思っていても自分に合わない場合だって十分あります。
取捨選択する意味でもいい方向性での客観性は持ち続けたいものです。
そして独学ではすぐ限界に達します。
知識にしろ経験にしろ人間ひとりそんなになんでもは持てません。たかが知れているのです。
それが現実です。
世の中には「自分中心」で世界を回している風な口を利く人がいますがその人は”知らない”からそんなことが恥ずかしくもなく言えるのです。
無知なのです。
成功している人、うまくいっている人は知識も持っていますがこういう仕組みを理解して拡張する術を知っている人たちです。
そんな人をもし知っているのならぜひ「思考」を読み取り自分に当てはめて見てください。
きっと人生変わりますよ。