一面だけではない価値
人の価値基準は、なにげに一方方向からしか見ていないことがあります。
価値を魅力としてもいいでしょう。他人の評価、会社の評価、そして自分自身の評価は時に偏った形で影響を与えます。
絵里と亜里沙は同じμ’sでも全く違った評価をしています。
これは視点の違いで、絵里はエンターテイメントをプロフェッショナルの視点で”完成度”を見ています。
一方亜里沙は難しい事を考えずに素直に自分が感じたものに魅力を見出しています。
ここで見るべきは同じソースであっても見る人が違えば、例え姉妹でも意見が分かれるという点です。
ですが我々リアルではなぜか評価を行おうとするときにある一点しか見ません。
そしてその一点が全てと思ってしまいます。
他人の評価なんかは開き直って無視することもできますが、会社の評価は基準が明朗です。
売上高とか顧客獲得数とか、幅はあれど会社の利益に沿ったもののはずです。
問題提起したいのが自分自身の評価です。
何かを行おうとする場合、自分がやれるか考えます。実際に行った時を想定します。そして経験や持っている情報、人からの情報などと照らし合わせてやるか、やらないかを判断します。
よくやらない選択をしたときに多いのですが〜〜だからやらない、〜〜だとできない、なんて言い訳したりします。
でも管理者は「ホントにそうなの?」と思います。
人に断ることをする場合でも「なんでやらないの」の問いに対してよく聞くと物事の一面からしか評価していないことが解ります。
やる気もない話をとっとと切り上げたい気持ちもあるでしょうが、額面通りに受け取ると説得力なんておよそありません。
人からどうこう言われる分にはお茶を濁す程度で済みますが、こと本当に自分がやりたい、成し遂げたい時には困ります。
行動不能と判断してしまうと思考も停止してしまいます。
「やっぱ無理」となって自分を封印してしまいます。
こんなときにはもう一度自分の評価を再検証することで打開ができるようになります。
自分が下した評価はちゃんと多方面から導き出したものなのか精査しなければなりません。
これをやらずに下す結論には欠陥があるはずです。
意外と単純な障害を過大評価してはいないでしょうか。
そして一面だけでなく多方面から検証すると一定の結論にたどり着きます。
それは「やってみないとわからない」です。
絵里は亜里沙の部屋を訪れμ’sのライブ映像を見返します。
さんざん否定しているにも関わらず亜里沙の持っている動画を見ています。絵里は口ではμ’sを否定しながらその見解がμ’sの一面だけしか見ていないことに気付いています。
もちろんレッスンを引き受けた以上責任感で情報を仕入れているという見方もできますが本当にμ’sを否定していたらレッスン自体も引き受けないし動画なんて見ません。
とどのつまり絵里はμ’sに興味があるのです。
そしてその魅力(価値)を探しています。
亜里沙の意見はトドメでしょう。
この思考はリアルでも有効です。人はとにかく一面しか見て判断しません。
でも誰しもいろんな”顔”があります。
ダメな部分もありますが見る人が違えばそれが魅力になったりするのです。
出来ない、しない結論は簡単に出来ます。
でもそれでは進化できません。
積極的に何かを行い答えが見つからなかったり壁にぶつかり折れそうになった時には物事を多面的に捉えて見て下さい。そうすることで本質が見えてきます。
先日、管理者の知り合いのお店のオーナーさんから「売上が上がらないので値下げしたほうがいいか」とのお話しがありました。
商売上値下げは禁じ手なのでその理由を簡単に説明してその時は納得していました。
でもそのオーナーさんは切実だったのでしょう。後日他のお客さんにも同じ質問をしたそうです。
そのあとそのオーナーさんは他のお客さんの意見を引用して再度聞いてきました。
「他のお客さんに聞いたら”このご時世だから値下げもしょうがない”って言われた」と・・・
ぜんぜん解ってないと思った管理者はどうして値下げをやっちゃいけないか、なんでそのお客さんがそのようなことを言ったのか、について書面にして解り易くこんこんと解説しました。
この場合、オーナーさんが質問を向けた相手が悪すぎました。
たぶんそのお客さんは、悪意は無かったとは思いますが、これこそ物事を一面でしか見えていない人の典型的な発言です。
そのお客さんはオーナーさんに対して「このご時世だから値下げして潰れてください」と言っているのと同じです。
とても危険なのです。
物事を多方面から考えないと死を招きます。
特に困った時、テンパったときには焦らず落ち着いて問題に対して多方面からのアプローチをしてみてください。打開策はきっと存在します。