シナリオ、脚本の座学|シナリオ教室の劣等生

シナリオ座学描写編U

シナリオは面白くなければならない。

 

その面白さとはどこから来るのか。

 

何を書けば面白いと感じてもらえるのか。

 

リアルにヒントはないのか。

 

面白さはどこから来るのか

虚実皮膜

「きょじつひまく」 という言葉があります。

 

嘘と本当の境目に面白さが潜んでいる、といった意味なのですが、確かにその通りなんです。

 

ただ、現実はそんな嘘や架空といったものが、うまい具合にリアルとくっついている事象なんてそうそう起こりえません。

 

しかもそれが面白いと感じることはまずまずあり得ませんね。

 

どっちかというとつまらない方向で落ち着きます。

 

虚実皮膜とは、リアルの話を揶揄しているのではなく、面白さの理屈について語ってくれています。

 

どういうことかというと・・・

 

リアルってデフォルトで面白いものではありません、それではシナリオを書くことが出来ませんので、

 

リアルにちょこっとだけ架空を加えます、嘘を付け足すんですね。

 

現実をただ現実として描いてもちいとも面白くないのであえて嘘を加えるのです。

 

そうするとシナリオは生き生きとして面白くなってきます。

 

私たちが日頃楽しんでいる映像を見てみてください。

 

そこには必ず何らかの架空、嘘が盛り込まれていて、その嘘とリアリティが混ざって描かれています。

 

現実だけ描くのでは、それはドキュメントです。

 

ドラマを描くなら、その要素には必ず嘘が含まれています。

 

そのようにして 『面白さ』 を演出しているのです。

 

映画を観れば面白さが見える

これが私的に一番だと思う方法をお伝えします。

 

それは映画を見ることです。

 

既存の映像作品をたくさんたくさん見ることです。

 

出来上がっている映画や映像作品を見て、そこからヒントをもらいます。

 

これが一番効果的だと私は思います。

 

シナリオを書こうとするならば何はともあれ映画を見ることです。

 

映画を見て何をするのかと言えば、それはあなたの「面白い」を感じるのです。

 

今、一言で映画の効能を示しましたが、すごく端的に、はしょってシナリオ学習の本質を語りました。

 

あなたにはこの意味が理解できますか?

 

映画をみて、感じることがシナリオの学習に繋がります。

 

プロの行動とは

脚本家というシナリオのプロがいます。

 

そのような人たちはアマチュア時代に何をしていたのか、を考察すると大量に映画を見ています。

 

シナリオスクールに通ってプロになるのではありません。

 

スクールからプロになられる方もいますが、ぐっと少数派です。

 

スクールにもいかずそのような人たちは何をして脚本家になれたのかというと、大量の映画を見倒してそのようになっています。

 

たくさん映画を見て自身でその描写を感じられて、その感じられたものを使ってシナリオを書いて、現場で実績を挙げて、

 

あるいはコンクールなどに入賞したりして脚本家としてプロになられています。

 

私のことを申しますが、過去にシナリオスクールに通いました。

 

当時授業料だけで10万近く払って行ったのですが、

 

もし同じ10万円使えるお金があるのならスクールなんかに使うよりそのお金で映画を見に行った方が確実にシナリオは上手くなります。

 

スクールなんか行ったってシナリオは上手くなりません。

 

映画を見に行った方がよっぽど効率よくシナリオが書けるようになります。

 

これ本当なんです。

 

私は当時、シナリオのことなんか全く分かりませんでしたのでスクールに行く選択をしましたが、

 

映像の表現って学校で学ぶものではないのです。

 

一番シナリオに近いのはスクールではないんですね、今できている映像を見た方がスクールで人から教わるよりも確実に書けるようになるんです。

 

ですからお金を使うならズバリ、映画を見に行ってください。

 

映画を見てたくさん感じてください。

 

そうすると描写力は自然と伸びてきます。

 

だって映画って答えそのものが映像として写っているんですから。

 

オリジナルに価値がある、オリジナルにしか価値はない

オリジナルって独自のものという意味合いがあります。

 

私たちが書こうとしているシナリオもオリジナルでなければなりません。

 

ご自身から発想されればそれは必然的にオリジナルになるのですが、ここで注意してもらいたいのです。

 

シナリオで言うオリジナルとは完全なオリジナルではありません。

 

映像史における表現手法のオリジナルとは創始期の頃にすべて出尽くされた、とされています。

 

現代の映像はそういった創始期に考え出されたものを焼き直したり作りを変えられたものがオリジナルと呼ばれています。

 

完全なオリジナルではないのですね。

 

私たちはその事実を受け入れなければなりません。なぜならば・・・

 

私たちはそのような時代に生きてるから。

 

ですからオリジナルには価値があるし、オリジナルにしか価値はないのですが、

 

それにしても自分ですべてオリジナルを発想してやる的な無駄な野望は持ってはいけません。

 

あなたはテレビや映画を通じていつも映像を見ておられると思います。

 

その映像の仕組みはそのままとして吸収して、それを元に視点を変えてみたり、切り口を変えてみたり、大きくしてみたり、小さくしてみたり反対にしてみたり、逆にしてみたり見せ方を変えてみて自分のオリジナルを考えます。

 

要するに構造だけは昔からあるやり方を真似て、その先にある物語のディテールは自分で考えたものを創造していく、ということです。

 

全部自分だけでオリジナルを考えようとしないでください。

 

どんな有名な脚本家でも自分の作品が何か誰かの焼き直しなんて絶対に認めません。

 

ですが実際にはそれが現代のシナリオの本質でもあるのです。

 

現代でも出てくる秀逸な作品とはそういった創始期の頃の仕組みを利用して、では現代ではどう表現すれば面白いのか、を叶えた作品が優れた作品になっています。

 

こういったことでもやっぱり出来上がっている映画を見てみないと構造だって分からないハズなのです。

 

だから映画は見に行かなければシナリオは書けないのですね。

 

自分で感じないとシナリオってやっぱり書けないのです。

 

シナリオ座学時間経過編T


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