シナリオ技術の何を応用して落とし込めばいいのか
セミナーという媒体の概要はご理解頂けたと思う。
次に本来、エンターテイメント向けに書かれているフィクション前提のシナリオのどこを応用してリアルであるセミナーに落とし込めばいいのだろう。
フィクションを創作することがシナリオの本分であり面白いところでもあるのだが、あくまで現実に則した形にしなければならない。
これは必須事項である。
それでも考えるべきはやはり、「変化」 なのだ。
ここでも変化がカギを握る
シナリオを書いていると、当然ながら映像を設計しているので画面やスクリーンに写る絵面を想像して書く事となります。
その創作している映像とは ”止め絵” ではないハズです。
プロットなどは想像を膨らます為の叩き台なので止まっている写真みたいなものでも、いざシナリオに起こすとなれば動いていなければならないし、あえて演出としての意図でもない限り映像は止まりません。
そこに写るものとは絶えず動いて変化しています。
シナリオ的には動く前があって、動いた後があって、観客はその相違が見てとれるから変化を感じられて、面白いとか意味があるなしを判別できますね。
セミナーに応用する事の前提としてあくまでリアルチックでなければならない点はお分かりになると思います。セミナーはフィクションを語る場ではありません。
フィクションでなくともヒーローでもある講師主催者がいて、観客である受講者がいて、観客を楽しませる、セミナーで言えば受講者を納得させるという立ち位置はエンタメもリアルセミナーでも変わりありません。
小難しい理屈を抜きにすれば、単純に シナリオを書くときにフィクションを想像するのではなく、リアルに有り得る前提で表現しなければならない事、だけなんです。
リアルライクに想像しなければならない点はセミナーならばもう、全てです。
フィクションや観客の想像力に頼るようではセミナーコンテンツとして欠陥品です。それはニーズに含まれていません。
でもそれ以外は何気にリアルセミナーに応用が利くのです。
セミナーで応用出来る事とはタイトルにもある通り、シナリオ創作のオハコ、変化を設計することです。
その変化とはセミナーサマリーを含め多岐にわたりセミナーを演出するための必要で重要な要素の筆頭です。
まず、セミナーには台本やそれこそシナリオを準備しないといけません。
簡単なものでも必ず用意してその台本に従って時間配分を決めたり、休憩時間を設けたり、なにより受講者に伝える事を予めハッキリ決めておいて伝えなければ目的が達せられません。
シナリオや台本が無いセミナーは講師の武勇伝のような、受講者から求められていないセミナーの主旨とはかけ離れたところに着地してしまいがちです。
それはニーズに応えきれていない結果としてよろしくありません。いわゆる脱線です。
やはり、ちゃんとテーマに沿ったなかで受講者に対して確実に伝えるためには一定のシナリオや台本は必要不可欠なのです。
そのシナリオや台本に書くべき事は、セミナーサマリーもそうですが、観客である受講者に提供すべき ”変化” がなければなりません。
セミナーを受けていて変化に乏しいと、飽きられます。つまらない変化しか想定していないと受講者に伝わらないのです。
説明会や学校の講義などは一方通行の情報伝達でも構わないし、受け手の捉え方に依存出来るのですが、ビジネスセミナーはそうはいきません。
特にバックエンドのような商売が絡むようなセミナーは受講者に寝られるような内容にしてはいけないのです。
ちなみに受講者が寝ていたバックエンドセミナーに参加した事があるのですが、それはそれは不幸ですね、受講者も主催者も。
体裁もよくありません。真面目に聞いている他の受講者を白けさせます。
当時はシナリオ技術とビジネスセミナーの関係性なんて発想しておりませんでしたので、ただの傍観者でしかありませんでしたが、思い返せばかなり不幸なシチュエーションです。
実際のところお金を頂いていても主体的に話を聞いてくれる受講者ばかりではないのです。
管理者が開くセミナーでは絶対に避けなければならない状況です。
今になってシナリオ技術とビジネスセミナーの融合を考えるにあたり、当時を思い返せばなぜお金を払って聞いているはずの受講者が寝てしまうのでしょうか。
それは単にセミナーの内容に変化が乏しいからであります。
つまり聞いていてつまらないのです。
当時、管理者はセミナーに通い始めたばかりでしたので聞く側でもけっこう緊張していました。
さすがに眠くはならなかったのですが、セミナー会場が映画館だったとしたら観ていて聞いていてつまらないと感じたらやはり寝てしまうでしょう。
実際につまらないことばかり言う講師にも当たった事もありますし。
つまんない受講者や講師はほっといて、やはりセミナーを設計するにも変化を考えて加味しなければどうしたって充実した内容にはなりません。
ハラハラドキドキというほどで無くても受講者の感情を動かすような変化に富んだ内容が後々バックエンドの成約率にも関わってきます。
本来、変化の提供はセミナースキルの必須事項です。
逆に変化を提供できなければセミナーを開く価値がないという事です。それは、やっちゃいけないというのではなく、セミナーという形でなく商品説明会とか発表会になるという事です。
セミナーと位置付ける意味は、受講者に何らかの変化を求める、あるいは変化を期待して開きます。
特にセミナーに絡めるバックエンド商品はただ置いておけば売れるというものではありません。
たいがい受講者に問題提起して問題意識を持ってもらって商品の価値を感じてもらわなければ売れない類の商品です。
大衆に広く浅く提供するものではなく、かなりニッチなニーズに特化して深掘りしてある商品なのです、バックエンド商品って。
簡単に売れない反面、価値を認めてくれたとすればかなり高額でも成約に至ります。
爆発力のある商品で少ない成約でも大きな成果が望める設定をするのが定石です。
商品発表会程度では有名ブランドでもない限り安いものしか売れません。そこで数より質を高めて高額とし、その価値を裏付けるためにセミナーという手法をとるのです。
高額な商品を売るためにはセミナーで寝られても困りますし、なによりバックエンドの魅力を伝えられなければ目的に適いません。
そこでシナリオで培った技術が必要になるのです。
その技術とは 『変化を想像し提供する』 ことなのです。
ビジネスセミナーでは一口に変化といってもいくつか求められます。
ひとつはセミナーサマリーの変化。
セミナーの進行に応じた見せる変化ですね。ビジュアルです。これが乏しいと眠気を誘ってしまうので考えなくてはなりません。
もうひとつは受講者の心理的変化です。
講師主催者が受講者に訴えてどう感じさせるか、これがセミナー形式を取り行う一番の目的になります。
講義を聞いて、あるいは何かをやらせて受講者が感動してくれるのが一番望ましい結果といえるでしょう。
パッと聞くと難しいそうです。でもそうでしょうか。
シナリオを知らない方でも安心してください。後にちゃんと解説します。
シナリオ勉強家の方におかれましては、我々はシナリオを書いていていつもこういったことに心を砕いているではありませんか。
どうすれば人の心が動くような描写が出来るか、はいつもやっている事なのです。
思い出してみて下さい、感情移入はどうしたらそうなるのでしょうか。
キャラクターに共通性を持たせたら、どんな反応が期待できるのでしょうか。
シナリオ勉強家であればいつもやっている事なのです。
それはフィクションだから出来る技、というわけではありません。
描かれるものとは人であっても物であっても見る側が人間である以上、物語はフィクションでも描く事はあくまでリアル、現実の人間の感じる事が前提なハズなのです。
セミナーでもリアルでありさえすれば同じ構図なのです。”架空”がないだけです。
だからシナリオ技術とビジネスセミナーは融合可能なんですね。
と、いうか、変化の無いセミナーは本当につまらないのです。
管理者自身つまらないセミナーを受けた事が何度もあるので、「どうしてシナリオを考えないんだろう」と率直に思ったものです。
理屈はともかく、変化を見せなければ映画もドラマもアニメもセミナーも眠くなるのです。
人を寝かすのが目的でないならこういったことにも配慮が必要なのです。
セミナーにおける、求められる変化とは
シナリオを書いた事のある人からすればなんでシナリオとセミナーが結び付くのか疑問に思われるかもしれません。
管理者の経験から考察するとセミナー主催者や講師は有益な情報を受講者に与えれば成約に繋がると信じています。
それは間違いじゃないのですが、それにしてもただ伝達すればいいというものではない事をセミナー主催者は経験で知っています。
具体的な変化やテーゼをハッキリ提示できない場合、セミナー主催者はどんな手段に出るのかというと、説得に腐心します。
受講者に対してそれはもうバリバリの売り込みをかけるのですが、シナリオ勉強家として評価するならば、その筋書きは落第ですね。
それでも買う人がいるのでそういった手法を主催者は続けているのでしょう。
このように、意外にセミナーというイベントを数多くこなしているプロの主催者講師でも変化の提供については想像力が乏しいというか、貧しいというか、考えていないことが珍しくありません。
試しに安いセミナーに申し込んでみて受講してみて下さい、どれだけ変化を提供できているか、そういう観点で観察してみて下さい。
いままで受けた事のある授業でも説明会でも思い返してみて、どれだけ受け手であるあなたに変化を感じさせてくれるアクションがあったでしょうか。
およそ感動なんて程遠いものしか出せていないはずです。
要するに感覚的につまんないのです。
そうなると受講者は伝えられたコンテンツの主旨が自分の役に立ったか、そうでないか、分かり易かったか、理解できなかったかの2極で判断するしかなくなります。
しかし、もしそこに付加価値として心を動かされるような仕掛けが存在していたとすればそれはテーマの主旨以上の効果や反響を呼び込める可能性があるのです。
その仕掛けとは 「変化」 なのです。
それもリアルのセミナーでは実物の人同士が対峙してこれ以上ないリアリティの中で推移します。
エンターテイメントではフィクションであるが故に変化は極端かつ振れ幅の大きいものじゃないと観客に伝わりません。
キャラクターのリアリティも撮影して画面やスクリーンに写るとその時点でフィルターがかかりどうしても説得力といったものはリアルに劣ってしまいます。
一面、そのフィルターのおかげでかなりのオーバーアクションでも映画の爆発シーンでも至って平常心で観て楽しめるようになっています。
フィルターの無いセミナーはリアルな分だけ極単純な変化でもフィルターがかかっていない分、如実に伝わってしまいます。
エンタメの描写の10分の1でも表現できれば十分効果があります。
逆にエンタメのような劇的変化を表しても驚かれて引かれてしまいます。それでは元も子もありません。
故にあくまでリアルライクに考えなければなりません。
インパクトを与えたいとするなら変化は劇的にすればいいのですがそれも使いようです。
セミナーの場合はこのような変化を設計するにもサジ加減が要となります。
具体的な変化とは何か
変化の種類としては先にも話した通り、見た目の変化と心理的変化の2通りがあります。
見た目の変化について補足があります。
見た目とは物理的変化を指します。受講者が見て動きや変化を感じてもらわなければなりません。
心理的変化はそのままです。セミナーを受講する前と受講した後で何らかの心情的な変化がなければ成約には繋がりません。
どんな変化でもあったほうがいいですし、なければ成約まで持ちません。
受講者自身の問題点を認識させた、でもいいですし将来の不安を自覚した、でも構いません。
何らかの心の変化を促すようなテーゼが必要なのです。
物理的変化と心理的変化はどちらか片方でいいという物でもなく、車輪の両輪です。
片方でも効果は上がりますが、セミナーという狭い環境が故に変化の効率化を求められます。
場所が狭いという意味もありますが、セミナーという場の上映時間はだいたい約2時間です。
映画と同じかもしれませんが映画のような映像コンテンツは時間の飛躍が簡単に描写できます。対してリアルなセミナーは1公演2時間が関の山です。
そこには教壇に立つ主催者講師とそれを聞いている受講者しか存在しません。構図が変化しないのでいつまでもそのシチュエーションは続けられません。
環境的にも時間的にも窮屈なのです。だから情報伝達効率を上げないと納まらなくなります。
主催者的にはとっとと出すべき情報は出しきってセールスに移行したいところでしょう。
その限られた時間で効率良く変化を見せるならあらゆる訴求を行わないと結果が付いてきません。のんびりしてられないのです。
情報伝達に効率を求めるなら物理的変化と心理的変化という2面設計しなければなりません。
物理的変化の訴求
シナリオの技術と同様に変化の属性の片っぽである物理的変化は見た目動いているさまの事を指します。
動きが見て取れるので観客や受講者に分かり易く理解しやすいのが特徴です。いわゆる動詞ですね。
見た目の動きや人の行動など、動きの変化には物凄く説得力、訴求力があります。もうこれ以上ないってくらいです。
人間社会はこの物理的変化に対して一番の評価を与えます。
コンクールで入賞した、芥川賞を獲った、全て行動の結果として評価されます。
喋る事も行動の一部ではありますが言う事よりやる事の方が優位なのはお分かりになる事でしょう。口ばっかりの人はあまり人から信じられません。
セミナーもこの物理的変化を用いて受講者にアピールした方が効率的かつ説得力が伴いますが、いかんせん、セミナーって貸し会議室などで開催されるのが王道なので身体を動かそうにもスペースの関係上自由にはなりません。
エクササイズのセミナーならどこかスタジオみたいな広い会場設定が必要になります。
では、この貸し会議場というカセを外してしまいましょう。
セミナーに参加する管理者はいつも不思議に思っていました。「いつもなんで貸し会議場なんだろう」と。
そんななか、画期的な会場設定をしているケースを見つけました。
その会議場とは・・・・・・貸し切りバスです。
不動産投資セミナーで投資物件を貸し切りバスで周り、添乗員でもある不動産投資コンサルタントが一件ずつ評価と根拠をセミナー参加者と共有します。
これは物凄く分かり易い、管理者も参加したくなりました。
つまり、これが物理的変化の訴求なのです。
単純にテーマに沿ってさえいれば貸し会議場でなければならないってことはありません。
狭い会議室で講師と受講者が対峙している構図は狭いが故に物理的変化を促しにくいのです。
物理的変化を訴求出来ないと残るは精神的変化を促すしかありません。そのような経緯でバックエンドタイムでセールスという説得が始まるのです。
でも貸し切りバスツアーのように受講者を実際に行動させられればこれ以上ない効果を与えられて、なおかつ精神的変化も自動的に促せてしまうのです。
このように手っ取り早く簡単に相手に訴求することが出来るのが物理的変化です。
精神的変化の訴求
物理的変化は精神的変化に直結する至って簡単な訴求法です。肝心なのはこの精神的変化がなければ人は行動に移さないという事実です。
つまり納得ですね。
人は他人からいくら価値のあるものだ言われても納得しなければ買わないし、買おうとしません。
精神的に必要性や心で価値を感じなければ評価しないのです。
シナリオ勉強家の皆さまも自分が作ったストーリーを評価してもらえないのは往々にして観ている人に対して精神的変化を起こすに至っていないからそうなります。
それはシナリオを書いている当事者だって他人の作品を読んだり観たりして感じ取っています。
変化に富んでいれば「面白い」、変化を感じられなければ「つまらない」と判断しているはずです。
ではどうすれば観客、受講者、受け手を納得させられるのでしょうか。
いくつか方法はあるのですがひとつ、「共通性」 についてセミナーで応用してみましょう。
ご存知の通り、共通性とはいわば 「弱み」 です。
人の弱点、誰でも必ずある共通した弱みを見せることによって受け手を巻き込む事が出来ます。
セミナーで教壇に立つ人はある程度そのセミナーのテーマに則した成功者の場合が多いのです。
お金を貰ってセミナーを開きバックエンドまで買ってもらうにはそれなりに実績のある成功した人の方が説得力があります。
しかしただ成功した、儲けられた、だけでは人は感動しません。あくまで他人事の一部を紹介しているに過ぎません。
成功した主催者講師は、成功したいと思って来ているセミナー受講者をどこかで「自分でも出来る」と感じて納得してもらわなければなりません。
成功者は天の国の人です。でも天国にいたままでは受講者は納得しません。どこかで降りてきてもらわないと話にすら乗る事が出来なくなります。
そこで利用できるのがこの 「共通性」 なのです。
成功した人も生まれた時期から成功している訳ではありません。かつて受講者だった時代や苦労して食べていけなかった時代なんかがあったはずです。
初めは受講者と同じ立場から始めているはずです。順風満帆であったはずがないのです。
受講者が感じている事、考えている事、コンプレックス、問題、悩み、課題、弱みといったことにフォーカスした話を交えます。
実は病気を患っていました、昔は問題児でした、人前で話すことなんてできませんでした、などおよそネガティブな感情や状態であった事を経験として話します。
共通性とは同情です。
情を同じにする相手は天国にいる成功者講師ではなく、あがいている受講者に合わせるのです。
受講者との共通したネガティブな感情を探しだし経験に重ね合わせて話すのです。
人は自分と似た境遇や似た感情や似た経験などに基づいた話を自分に照らし合わせて聞こうとする心理的な特徴があります。
シナリオではこの共通性を明確にすることで感情移入を誘います。
感情移入の条件とは、強くて大きい成功者への憧れ性と対極の弱点、共通性です。
どちらか欠けたら感情移入は起こせません。変化同様、車の両輪です。
強いヒーローが完璧に強いだけでは観ても聞いても結局つまらないのです。
そこに誰もが感じた経験のある弱点を見せることにより感動を覚えて自分でも出来ると感じられるのです。
精神的変化は受け手の感情にどこまで寄り添えるかが勝負なのです。
実際のところ極端に成功した人の話なんか受け手からすれば手の届かない他人事でしかありません。関係ないのです。
でも関係ないで終わらせてはバックエンドも売れませんし、次回のセミナーにも参加してくれません。
重要度からいったら成功事例なんかよりも受け手に近づく方が何倍も価値のあることなのです。
そして受け手はその降臨を待っています。それがニーズなのです。
精神的変化を促したいのなら送り手から積極的に弱みを見せて下さい。そして話に巻き込んで下さい。