シナリオ参考書に頼るべからず|気持ちはわかるけど依存は危険
このサイトの存在意義も含めてたびたびリサーチをしている
情報発信においてニーズは無視できないからだ。
シナリオを理解したいと思っている人はどんな事を感じて、何を求めて参考書、指南本をお金を払って読んでいるのだろう。
シナリオに限らず情報発信する場合は“レビュー”が役に立つ。
読者レビューを見ていて思う事
本当はリサーチ目的でアマゾンの読者レビューを眺めていました。
このサイトが皆さんのニーズにマッチしていないと感じたからでもあり、またいつも考えているユーザーにとって有益な情報とはなにか、に応えるためなのです。
正直いって管理者はこのサイト「シナリオ教室の劣等生」作りを通して管理者自身も成長したいという思惑で始めました。
情報発信しようとするとどうしても自分の理解している情報や知識だけでは足らないと感じて然るべきなのです。
作っている中で感じて補って、そうしていくうちにプロの脚本家に近付ければよい、それが本旨でもあります。
リサーチやニーズを理解する事はビジネスカテゴリーでも書こうと思いますが、リサーチを通じ、巷の脚本勉強家の意見を読んでいてどうしても申したい事がいくつかあったので書いてみようと思います。
いやはや、たくさん本を読まれていますね、世間の脚本勉強家は。率直に尊敬します。
管理者は自分がある程度納得できればそれで気が済んでしまうせいか、何冊も何冊も参考書や指南本は読みたがりません。
もともと本を読むのも得意ではありません。
そんな稚拙さ前提の管理者でもレビューを書いている方々の意見に違和感を覚えます。
詳細は書きませんがいくつか問題になるであろう傾向を紹介します。
ひとつめ、それは 『あなたは何を書きたいの?』 という点です。
前述のエントリーページで 「シナリオ指南本はシナリオが書けるようになってから読んでも遅くない」 と説きました。
それは本当にそうで、その意味は日本のシナリオはある種特殊な書式になっていて、書いた事も無ければ普段目にする事もないから読む機会もない。それはシナリオという文章を読んでも理解が及ばないという意味がまずあると思います。
漢字も習っていない子供に読売新聞を読ませて理解させようとすることと同じです。
故にシナリオというものに手を付けた事の無い全くの素人さんにはシナリオ指南本は向いていない、という事です。
シナリオ参考書、指南本の特殊なジャンルの特徴でもあります。
この点、理解されていないと 「本を読めば何とかなるだろう」 と思っている人を蹴落としてしまいます。
その現実を分かっていない人は星1つ2つしか評価しません。でも当たり前です。超が付くほど初心者には合わせて書かれていないのですから。
だからシナリオを書こうと志を持っても、その入り口は参考書、指南本ではありません。ない事もないのですが、向いていません。
「よくわからない」 そういうものなのです。
うんと初心者向けに書かれている本もありますが、それは少しの訓練、シナリオを書いてみればおおよそ分かる事なので入門書を買う必要もありません。お金の無駄です。
とりあえず書いてみて下さい。
柱とト書きとセリフで作られているだけなので、自分で書いてみて下さい。分量なんて少なくてもいいのです。ペラ1枚で良いのです。よく分からなければ面白いと思った既存のドラマや映画のDVDを観て、一時停止しながらシーンを書き写してみて下さい。
そうすれば物凄く理解が深まります。そんなものです、シナリオって。小難しい事を書いてもしょうがないと思うから噛み砕きました。
何もシナリオを書いた事も無ければシド・フィールドやカールイグレシアスの書いたような専門書は、もっと後回しにしていい本です。
で、肝心のシナリオを書いた事もある、創作した事もある人のレビューを読んでいて、管理者が感じた事の一番は 『あなたは何を書きたいの?』 ということでした。
そう思う根拠はレビューを書いている人があくまで 『発信者に成り切れていない』 というものです。
どういうことでしょうか。
シナリオ、脚本を理解するにあたり発信者になれていない、今まで人生を生きていたとおり、当たり前のように受信者でしかないということなのです。
シナリオスクールに通っている同輩たちを見ていてもそう思った事があるのですが、発信者にならなければならないのに思考があくまで受信者側なのです。
つまり、受け手の発想でしかない、ということなんです。
この思考がシナリオを書き続けている人の志を邪魔しているのです。
受け手のままでは上達しない現実
これはシナリオ、脚本のジャンルに留まりません。こうしてサイトやブログで情報を発信している人にも、公演やセミナーなどで人に物事を教える人、教師や講師もみな同じです。
受け手、つまりユーザーや受講者、テレビの視聴者、映画の観客、それらは全て受信者であり受け手であります。誰かから何かを受け取る側なんですね。
それは人が人間という生を受けた時点からデフォルトである立ち位置です。
生まれた赤ん坊は親から愛情を受け取ることで成長が可能になります。これが本質です。
でもシナリオライターになりたい、脚本家を志したい、人を感動させたい、と思うならまずこの思考から転換していかなければ適う訳が無いのです。
それは例えばシナリオを書くにあたって、どうやったら書けるようになるのか、どうやったら面白い物語が発想出来るようになるのか、という悩みに対して”発信者”として本に書いてある事を理解しようとしなければ意味が無いのです。
この点を大多数のレビューを読んでいて感じます。
シナリオを書いている、たくさん参考書、指南本も読んでいる、それは分かります。
実際に行動しているし、勉強もしている、それは痛いほど伝わってきます。
でも上手くいかないんでしょう?そのジレンマがレビューに滲み出ています。
とても長文で書かれている人もおられます。
何でたかだか一冊の本のレビューを書くのにそんな長い文章で訴えているのか、それはこのジレンマなのではないでしょうか。
そしてこのジレンマは意識が 「受け手」 である以上絶対に解消しません。享け合います。
当然、著者が送り手であり、読者が受け手であるので受け手の発想に成らざるを得ないというのも分かります。
しかし受け手のままであってもそのシナリオ本を読み解くにあたり、著者の思考や本に書いてあることを理解する視点は、送り手、発信者として評価しなければ購入した読者の動機に適いません。
「受け手」では理解できないのです。
何を求めて大枚はたいてアマゾンで買ったのでしょう。「送り手」であるあなたが世の中に発信するシナリオを書くために買ったんでしょう。
実際のところ、それがいつの間にか欠けているのです。
それは慣れ親しんだあなたの思考がそうさせているのです。
そんなわけで書かれているレビューの大半は「読んでみてどうだった」止まりでしかありません。
まあ、レビューってそういうものなんですが、一般の人気小説とか、話題のコミックならばそれでもいいかもしれません。
ちょっと待って下さい、我々はシナリオを書きたくてその本を読んでいる訳ですよね。
ですから本当は本を読んでみて自分が書けなければ、購入した意味も読んだ意味もないのです、本来は。
本の解説なんていりません。それは読者が自分で買って自分で読めばいい事です。評論は我々の意志とはかけ離れています。
評論は受け手のまとめWikiです。我々の目指す所は発信者、送り手です。シナリオ評論家になりたければそれでいいでしょう。
シナリオ参考書、指南本は読者が自らその本を読んでみて、自分で発信出来て、その本が有益か、そうではなかったか、を判断するべきです。
これが本の使い方であり、シナリオ指南本の利用方法なのです。
残念ながら経験を積まれていそうな脚本勉強家さんが書かれていると思われるレビューを読んでいてもそこまで感じません。あくまで受け手で終わっています。
この思考の転換は遅かれ早かれ必ず求められます。
例え運よくコンクールで入賞できたとして、プロの現場に入ったら必ずハナをへし折られる部分でしょう。これはプロの脚本家の意見です。
シナリオ指南本を読む時でも普通の思考で対峙してしまっては本当の本の価値を引き出せません。
それは本に書いてある記事の思考を読み解こうとしないと理解できません。
書いてある文章の意味ではありません。著者と同じ目線に立って著者の書いた事ではなく、著者の思考を読まなくてはお金を払った読者の意図する効果を得ることが出来ないのです。
難しいでしょうか、ならば噛み砕いて・・・・・・
とりあえず著者の言うとおりに短いシナリオでも簡単に書いてみて下さい。そうすれば何かしら感じるはずです。
それが、こりゃいい方法だ、と思うか こりゃだめだ、と思うか だけなのです。
これが発信者の目線です。
レビューにはそこまでやらず、考えず、ただ読んだだけの意見を並べてる人がほとんどでした。
それはレビューを読んでいる人に対して書かれているのでしょうか。同じ脚本勉強家に向けた前提で書かれているのでしょうか。
そうではありませんね、結局ツイッターのつぶやきと何ら変わらない意見でしかありません。
それはレビューを書く人が受け手から脱却していないからそうなります。
これだけは間違いのない事を書きます。
例えペラ1枚でも、内容がつまらなくとも、あなたがシナリオを書こうと決めたならそれはもう 『発信者』 なのです。
このすこぶる単純な意識、作家になるなら絶対に必要な『自覚』を置き去りにしている人が大多数なのです。だから大多数がプロになれずに時間が経過して諦めることになるのです。
そのうち諦めたければ受け手のままでいいでしょう、その方が断然楽です。今まで同様純粋に楽しめます。
でも志したならそれではダメです。そしてそれは志を持った人が単に意識を変えれば解決する思考でもあるのです。
プロじゃないから、そうですね。経験が無いから、そうですね。実績が無いから、そうなんですけれどもでは、いつになったら自覚して主体的なシナリオを書こうという気になるのでしょうか。
そんな謙遜は邪魔なだけです。
何かを発信したいと思った瞬間にあなたはもう発信者なのです。
自覚の問題です。
それをクリアできればシナリオ指南本は必ず味方になってくれます。役に立たないなんて事はありません。必ずヒントが書かれています。役に立たなかったなんてレビューに書く人はその人の問題であって本の問題ではありません。
本の価格以上の価値を吸収してやろうと思えば役立たないなんてことはないのです。
こうした貪欲さだって受け手思考のままでは見えないで見過ごします。頭の上をス〜っと通り過ぎてしまいます。
発信者思考なら確実に見えて吸収できるのです。
『あなたは何を書きたいの』 これは発信者に対しての問いかけです。
「あなたは何を読みたいの」 ではありません。
ノウハウコレクターがいっぱい
ノウハウコレクターって言葉、ご存知でしょうか。
ま、そのまんまの意味です。知識ばかり貯め込んで行動に活かせない人の事を指します。
レビューを読んでみてこの点も目立ちました。ノウハウコレクターが多いのです。
そこで管理者なりにシナリオ参考書、指南本の使い方を考案してみました。
まず、シナリオ指南本は技術書とは違います。術という言葉を使っていたり、管理者もシナリオ技術なんて提唱していますが本来当てはまりません。
それはシナリオには明確な答えが存在しないからであります。
理屈は説明できますよ、でもそれはインターネットのサイトで出てくるHTMLやCSSやJavascriptなんかと違います。これらは明確な記述のルールが決まっていて沿っていなければマシンが動きません。
シナリオや小説、マンガ、絵画や音楽もそうでしょう。なんとなくルールっぽいものがあるのは分かるのですが絶対にこれしかない、という物でもありません。
答えがあると仮定してもそれは いくつも存在します。
これが創作物の大きな特徴です。
何通りも答えがあって、人によって評価が分かれて、結局何がいいんだか不明瞭・・・・・・
価値にかなり広い多様性というものがこういったコンテンツの価値でもあるのです。
さて、シナリオ本に限って言えば知識を蓄える事ってちょっと危険な気がするのです。
管理者はこのノウハウコレクターを言う言葉をビジネス論を通じて知りました。その意味は知識ばかり詰め込んで一向に行動に移さない人の事を揶揄しています。
ビジネスセミナーに行ってばかりで実行しない人、有益な情報をコンサルタントから提案されても動こうとしない人、知っていても活かさない人です。
このような人は知った事だけで満足して行動して結果を出そうとしません。結果を求めるために知識を得るにも関わらず行動に移しません。
「へ〜」 とか 「なるほどね〜」 で終わります。親切に説明している発信者としては イラッっときます。
無意味なのです。そして”知識だけ”ってとても簡単でお手軽で楽なところで止まることが出来てしまいます。
率直な管理者の意見ですが、シナリオ本においてはあまりたくさん読まれない方がいいと感じます。
どういう事かというと、あなたが迷う可能性があるから、なのです。
創作物を習う時にどうしても越えなければならない難題が浮上してきます。
それは 『合うか、合わないか』 という問題です。
シナリオライターを志したとして、どこかの実績のあるプロに習いたいと誰しも思います。でもプロに習えば理解が深まるのかというと、そうではありません。
必ずそのプロと習う人との相性みたいなものが結果に作用します。
それは人間同士、感性で創作するものに関しては工業製品のように画一的な完成品として作れない現実があるためです。
同じ設定、同じキャスト、同じログラインが決まっていたとしても誰ひとり同じシナリオは書けないのです。それが創作物の面白いところでもあり、難しいところでもあります。
あなたの書いたシナリオをプロが面白いと思わなければ理解が深まらないし、逆にプロが書いたシナリオがあなたの評価に適うようにはなっていないのです。
これが自然です。
この相性はシナリオ本にもあると感じます。
ある読者は「よく分かる傑作」としてもその評価とあなたの評価はリンクしない場合が多いのです。
つまり、たくさん知識を仕入れないで、一人の相性のいい著者の本にこだわったほうが結果が早く付いてくるのです。
相性のいい著者を見つけるためには何冊か読みこまなければなりませんが、気に入った著者が見つかればその著者のスキームにとことんこだわって自分のシナリオにフィードバックしていきます。
なんだか理解に及ばない本に書いてある事をタダ真似てもそれは本当のマネでしかなく、受け手の発想です。
本を読んでみてちゃんと著者の言わんとする事を理解できて、自分が実行できそうな著者の考え方に準じてシナリオを書く、または書こうと思わせてくれる著者を見つけます。
これが送り手の発想です。
管理者はブレイクスナイダー氏の本が理解できましたのでこの方のスキルを学びます。こうして決めてしまえば執筆時に迷うことがありません。ないとは申しませんが確実に少なくなります。
管理者は決められましたが決められないとたぶん、執筆時にいろんな著者のノウハウが頭の中で錯綜して整理するだけでタイムアップとなる事でしょう。
これが知識ばかりあっても意味の無い現象、弊害です。
普通はたくさん勉強したもの勝ちです、世の中は。でも答えや相性という人間の普遍性を伴うシナリオの世界は知識を得る事より、使いこなす方がよっぽど重要になってきます。
評論家ならそれでいいのですがネイティブな脚本家になりたければ自分のスキームはなるべくシンプルに考えた方が、管理者はやり易く理解しやすいと感じます。
シナリオ参考書、指南本はプロになってから読んでも遅くない。