理由はあるのか
人は理由がなければ行動出来ない。行動しない。
なんにつけても根拠や訳がある。人の世はそうやって出来ている。そして理由は理解できようが出来まいが関係なく必ず存在する。
フィクションのシナリオでは実際のところリアルより重要である。
シナリオでは、ぶっちゃけ理由が物語を動かしている。
理由、訳、根拠、動機、そこんところを考えてみる。
年収1億円欲しいですか?
唐突ですが、年収1億円欲しいですか?欲しいですよね。十中八九そんな答えになると思います。
では、その年収はなぜ1億円なのですか?1千万ではだめでしょうか。
これに明確に答えられる人はあまりいません。それは年収1億円が必要ないからなのです。1億あったらあれもできる、これも出来る的な希望的観測のことではありません。必要か否か、ということなのです。
額面に目を眩ませてはいけません・・・本当にそうなったらいいのですが。
必要か否か、必要ならそれなりの理由が存在するはずです。年収1億円に限らず必要な事には理由がないと、理由がなければ絵に描いた餅に過ぎません。
実際に年収1億円必要な人は1億円に相応な仕事、責任を伴われているはずです。
希望は希望として、夢は夢として片付けられますが、実現を目指して実際に行動する場合はそうはいきません。理由が要ります。それも強力な理由であるほど夢、希望が実現し易くなります。
ダイエットってありますよね。管理者も1度挑戦して体脂肪10%程度まで落とせたことがありますが それ以降成功していません。
なぜ1度成功しているにも関わらずそれをまた実現できないのでしょうか。
それは理由に原因があります。
ダイエット成功のカギは、その理由が切実であるほど、どうしても痩せなくてはならない事情があればあるほどうまくいきます。管理者のダイエット成功の理由は新しい仕事に取り組むために必要だったからです。それも期限がありました。
それ以降ダイエットしたくてもその理由は「健康的になりたい」とか「単純に格好を気にした」程度でしかありません。
そんな軟弱な動機では成し得るわけありませんし、そもそもやっていられません。最近は諦めました。
ともあれ理由が無ければなにも、誰も動けません。
それはフィクションにも言える事です。
お話し、物語は主人公を中心に何かしら行動しているさまを表す事なので行動にも理由がないと主人公含めキャラクターは動けないのです。
表に出ていない”理由”の部分
シナリオには理由欄とか身上説明欄はありません。柱とト書きとセリフでなんとか理由を示さなければなりません。
セリフで「あなたをひっ叩いたのは、あなたの事が好きだからよ!」な〜んて説明セリフは書けません。書けたとしても特定な状況を与えるかモノローグとかで工夫しないとクサくて書けないのです。
つまるところ理由は目に見えないのです。とことんイメージの中でしか構築できません。そしてイメージ内の理由を元にシナリオを構築していきます。
実際の話、終始表に出ない裏エピソードをわざわざ作る事もします。
お話しの流れでキャラクターの動作を考える場合にその行動に根拠や理由を設置しておかないと説得力が生じません。
なんらかの動機がどうしても必要になるのです。
理由は作者にも存在する
理由の根源として実際の映像では単純な訳だったりバックストーリーだったりキャラクター個別の境遇だったりします。
少し複雑なので脚本勉強家の我々が発想するときのひとつの方法としては「自分」に聞いてみます。
自身でシーンをイメージした時に何らかの意図があるはずです。そこでなぜそのようなシーンを思いついたのか、その作者自身の理由をしっかりチェックしておく事で物語に還元できます。
ネタ元はキャラクターの理由ではなく、作者の理由です。
作者の理由を元に物語の中の理由を考えます。さらに理由にも深度があります。深度とはどこまで理由や事情を重ねるかということなのですが、これは状況によると思います。いずれにしてもキモは作者のイメージした意図にあります。そこからヒントを貰うのです。
理由そのものは表に出ません。
しかし間接表現として大きな影響を与えます。この間接表現がシナリオの醍醐味なのですが、理由が曖昧のままですとシーンのバランスが悪かったり意味が伝わらなかったりしてしまいます。
なにより役者が困ります。アニメ的には絵コンテや演出が困ります。なぜこのような演技なのか、なぜこのセリフなのか、それが読み取れないシナリオは不完全なのです。
そこでシナリオスクールでも言っていましたが ”理由付け” という作業をします。
ただ結論から言いますと、これは順番が違います。
理由を付けるのではなく、理由があって行動を描写するのが正しい順序です。
順序がある理由付け
管理者も理由付けをやってみたことがありますが、先に行動やアクションを決めてから理由を探すとなると整合性に苦しみます。後付けの理由がどうしても陳腐になりがちなのです。よほどいいアイディアでも浮かばない限り後付け理由は使えません、というかお話しがややこしくなってしまいます。
シーンというものは頭の中で空想、イメージしなくては出てこないのですが、イメージしたシーンの理由から更に具体的なシーンを導きます。
2度手間のようですがシーンの理由が間違っていないか、空想が妄想でないか確認の必要があるんです。
イメージしたシーンはなんでそのような行動だったり描写だったりするのかの理由をメモでもいいので抽出しておいて、その理由に沿った描写をやり直します。
理由付けではなく、行動付けでシーンを作っていきます。
ただし、このような考え方に至ると理由やら動機やら根拠を作る作業だけでもけっこう大変です。そのかわり、確固たる理由のあるシーンは差し替えたとしても楽に出来て、なによりブレません。
この手間は惜しむべからずと理解しても管理者的には正直面倒くさいものでもあります。
訓練していけば1発で理由の伴ったシーンがイメージ出来るようになると思います、たぶん。
そして理由にも段階が存在します。
”理由”は変動する
すこし分析的になってしまいますが、理由にも段階や変動があるのです。
段階とは、理由の理由もある、ということです。ラノベを書く作家さんはかなりこのような仕組みでお話しの深度を図っているように思えます。
かなり凝った設定が好きな人ほど理由を重ねていきます。
あるひとつの描写が複数の理由によるもの・・・と言えば分かるでしょうか。
理由の重なりで深度が深まることを検証する前に、先に理由というものの大元だけ確認しておきましょう。
理由の大元とは人の本能に近い所から生じます。人間の営みにおいて本能に近い部分、つまり「お腹が減ったらご飯を食べる」とするとご飯を食べる行動に理由はありません。あえて言えばお腹が減ったから、でしょう。でもお腹が減ることに理由はありません。厳密に言えばカロリー消費に伴う栄養補給なのでしょうがその生理現象に物語的理由は存在しません。
行動に理由が存在しない原則的な営み、普遍的とでもいいますか、変わらない原則に理由はないのです。恋愛感情だって好きな人の”好き”に理屈はないのです。そう感じてしまう事が原則的に約束されているのでそこから理由を派生させて物語の出発点になるのです。
原則的な行動は妨げることで基本的かつ単純な理由が生じます。描写してみると観客に伝わり易く構造が単純で書き易いのです。
テーマの設定でも「ぼや〜」っとしたことから拡張させますが使われる文言は原則的な段階での表現になることが多いのです。それはドラマの出発点だからなのです。
お腹が減ってご飯を食べようとしたら「お預け」された・・・ここでなんでお預けされたのかの理由が生じます。食べたいのに食べられないという葛藤が生じます。なんとかして解消を図ろうとします。どうしたらご飯が食べられるか考えて行動します。そこに上手くいかない理由や事情が作れるのです。
この単純なお話しのキモはナゼの部分です。ご飯どうこうはディテールなので関心に値しません。観客はなぜそんな状況、境遇になったのかの理由に関心が寄せられます。
理由が重要視される意味は観客が関心を寄せやすい要素だからです。作者の満足ではなく、観客の満足が優先されます。
そして段階があると申しましたが基本的な、原則的な部分からドンドン理由を重ねてあるシーン、描写に繋げていきます。
理由を重ねてお話しに深みを与える訳ですが、段階的に増えるにあたって名前が変わっていきます。それが理由とか訳とか、状況とか事情とか、もっと言えば設定そのものも訳ありだったりします。キャラクターそれぞれの事情が重なってドラマをよりドラマティックにしていきます。
それは理由の重なりに他なりません。
殺人事件の人殺しでもその理由と訳と事情が存在します。
深刻な状況ほど理由が複数重なっていきます。
人の死とは理由がてんこ盛りで盛り込めるファクターなのです。
最近、やたらバッタバッタと人が死ぬアニメもありますが人の死に意味を持たせないとするとあまりに稚拙で説得力に欠けてしまいます。
つまり人を無駄に殺しているのです。殺すという状況のみの描写は理由が足りません。インパクトを求めた結果、死を用いなくても出来そうな描写をわざわざ後腐れのある事象”死”を持ってきてやっています。
これだけは言えると思うのですが、何も伴わないまま人は殺せないのです。
このように理由は複数存在しますし存在するべきですが、それらは表だって直に表現は出来ないのです。間接表現としてシナリオに落とし込まれるのです。
状況に左右される”理由”
同じキャラクターの理由でも時間が経過したり状況が変わると理由が変化してしまいます。キャラクターが独裁的ならば なおさらこの変化は起きます。
つまり御都合主義です。
意外と理由と言うのは か細く儚い側面もあるのです。そこにドラマ性があるのです。
よくあるお話しの筋で そもそも何らかの理由があって行動していたら予期せぬ状況になり理由を変更せざるを得なくなります。当初の思惑と違った結果が出てしまいますが、それも理由の事情に理由が重なったことが導いた事象としてドラマになります。
このような複雑な描写はターニングポイントやクライマックスでよく使われます。
ちょっと複雑ではありますがシナリオを書くときに一つの方法として結果から導くやり方があります。
最初のアンチテーゼで憧れていた男の子を射止めたい女の子がいたとします。その女の子はテーゼで当初とは違う男の子と付き合いました。なぜ女の子が鞍替えしたかの状況を考えます。結果から女の子の事情を推察するのです。
積極的にアプローチしていた女の子に同じ想いのライバルが現れます。男の子への感情がいつの間にやらライバルを蹴落とすことにスリ変わります。スリ変わるエピソードを考えます。これは俗に言う理由付けではありません。理由があるエピソードを作るのです。
このように結果をある程度決めてそこから理由をさかのぼります。イメージは逆説でもシナリオには順序立てて描写します。
理由を覆す事情や事件は作者が与えないと物語は動きません。その動きを能動的に描写するためには最初より強烈な理由が必要なのです。
強力な理由が優先される
理由は強力なほど優先されます。最後まで貫徹できるのです。しかしながらその理由は成就させる必要もありません。映像的に結果はあまり意識されません、ドキュメンタリーではありませんので。観客の関心ごととは、いかに強力な理由が描けるか、与えられるか、がシナリオの勝負どころなのです。
理由の上塗りとでもいいましょうか。それは物語を盛り上げる大切な要素なのです。
このページ、長くなりましたので 以下、理由の特徴をまとめてみました。参考にしてみてください。
理由の属性
理由にも精神的理由と物理的理由があります。さらに自分から生じるものと、他から影響を受けて生じるモノとがあります。ネガティブな理由とポジティブな理由が存在します。ドラマになり易いのはネガティブな理由です。もっと突っ込めばストーリーの中のキャラクターたちの理由と、我々作者の理由があります。作者の書きたい理由とキャラクターサイドの理由はリンクしません。
理由が必ず存在する事
それは ”ウソ” です。
理由の作り方
それは「普通はこうする」の否定形です。普通は飲食店でご飯を食べたらお金を払います。お金を払って店を出たならばそれは普通の行動に過ぎません。もしお金を払わなかったら、そこに事情、理由が存在します。このように理由が生じる状況を考えます。
シーンの選別
シーンのいる、いらないはそのシーンの理由に寄ります。シーンの絵面ではではありません。”一筋の涙を流す”、”夕日の中に佇む”・・・それって必要なシーンなのでしょうか。そのシーンの理由はちゃんとあるのでしょうか。なければいらないシーンです。
これはリアル世の中でも同じことなのですが あらゆる事象は必ず理由があります。よって必然なのです。例え偶発的な事故にしても必ずそこに至る事情、状況、理由があるはずなのです。
これは偶然だ・・・で処理している人は考え直した方がいいと思います。作家目線を気にした方がいいと思います。