シナリオとビジネスの融合
”シナリオ”とはこのサイトの主旨のようにドラマや映画、アニメなどの脚本的な意味合いと同時に、リアルで物事が進行する筋書きをシナリオと呼ぶ場合もある。
政治や戦争の戦略、実行前の当初の計画や皮算用をシナリオと呼ぶ。
エンターテイメントにおけるシナリオではおおよそフィクションだが、リアルの筋書きはそうはいかない。
ならばシナリオとはフィクションでなければ使えないのか。
脚本勉強家(分かっている人)はそれを否定できるのだ。
シナリオのキモだったでしょ、リアリティ
思い出して下さい。いくらシナリオの内容が架空でもリアリティがなければならないことを。
それは表現に説得力を持たせるための必然でもあるのです。
何気にフィクションと言っている割に、個性だったり展開だったりはリアルベースで推移します。
シナリオは実のところ、あまりウソがつけない世界でもあるのです、厳密にはウソとリアルのサジ加減を考えて組み立てます。
シナリオの技術はリアルの仕事や生活に応用できない訳がないのです。
そしてリアルビジネスでは必ず計画を立てます。あらゆる計画を立案して実行して利益を得ます。
そこにはシナリオの技術がふんだんに使われているのです。
まず、作者の目線とは第三者の客観視出来るものでなければ書けないと説きました。
これがビジネスシナリオで重要な視点になるのです。
ビジネスをやっている人、当事者ほど周りが見えなくて当然なのですが、客観視することも求められます。
そうしないと道を踏み外しかねません。
主観で行動している当事者と客観視している第三者目線は合わせ持つべきなのです。
けっこう器用さを必要とします。
およそ、ビジネスマンが失敗するケースって客観視出来ていないことに起因するものではありませんか。
シナリオを書く人は、作家の全体を見回せる第三者の目線とキャラクターの性格をキャラクターの主観で表現できるという相矛盾する要素をこなします。
まず、このあたりが応用できるのです。
総論はこれくらいにして、シナリオ技術を使う各論に進みましょう。
フィクションとリアルの取捨選択
当たり前ですが、架空のフィクションをリアルに当てはめられはしません。
大阪の得意先に飛行機も使わずに空を飛んではいけません。でも大阪の得意先に行かなければならないことはリアルとリンクします。
ここでもシナリオの要素、動機が垣間見えます。
あくまで現実的な要素だけで構成する必要はあるのものの、シナリオの構築要素の引用は的を得ています。
皆さん、シナリオを書くときに準備する事柄を覚えていますか?
テーマとか、タイトルとか、動機とか、アンチテーゼとか、いろいろあったと思います。
リアルシナリオだってこの要素を決めておかないと話が進まないのです。
例えばテーマ。
およその目的です。
ビジネス計画に目的の無いものは存在しません。利潤を得るために何らかの ”テーマ” があるのです。
例えば動機、モチーフ。
なぜ行動を起こすのか、起こさなければならないのか、が明確でなければ行動指針になり得ません。
例えば変化。
今の状態をどういう風にしたいのか、つまりはアンチテーゼとテーゼの関係です。
例えば葛藤。
成果を上げるために考え得る障害、問題。
ザックリ考えてみても明確化しておかなければならないのがこれだけあります。
エンターテイメントシナリオもビジネスシナリオも同じなのです。
どうでしょうか、リアルの社長さんはちゃんと出来ているでしょうか。
出来ていなければシナリオとして失格なのです。明確化しなければならないのです。
明確化出来なければ、役者が迷います。演技になりません。リアルでは営業マンが迷います。そして真昼間からパチンコ打ち始めるのです。
ビジネスシナリオの方程式
方程式なんてカッコいいものではありません。
プランはシンプルな方が上手くいくのです。
なので、ここは、単純に・・・
エンタメシナリオ−フィクション(架空要素)+リアルファクター(具体的な数値など)=ビジネスシナリオ
となります。
無論、ビジネスシナリオには原稿用紙はいりません。横書きのレポートに要点だけ書き出して確認します。
その時にもより具体的な作業工程を より具体的かつ現実的な期限を入れたト書きとして書き出します。
そして、なによりも成果を上げるための具体的な行動プラン=行動シナリオを構想しなければ上手くはいきませんし、いく訳がありません。
それが事業計画だったり、戦略だったりするのです。
特に小規模の商店主や小さい会社はこの点のツメが甘いのです。
感覚的に行っています。文字化なんてしていません。
エンタメシナリオで言えば、プロットだけ出して本文を書かないのと一緒です。
意味が無いのです。
どんな事業展開を構想して、その実現に向かって時系列で実行するのか・・・
その必要性に気付いた時にはもう傾いているのです。
現実ってそんなもんじゃないでしょうか。書いたシナリオといえば悲劇でしかありません。
シナリオの技術とは、お話し、物語を創造する事です。架空の要素だけ取り外して必要な事柄を入れれば、作り上げるものとは我々人の生きる姿に他なりません。
悲劇にするのもハッピーエンドにするのも作者次第、ビジネスでいえば経営者次第、社員次第なのです。
脚本勉強家はシナリオを書く行動を通して社会で生き抜くスキルも、実は養っているのです。
要は応用、拡張、臨機応変、気が利く事・・・つまりは感じなければ出来ない事なのです。
管理者の主観ですが、世の責任者は不感症な人が多すぎやしませんか。
感じる事が出来なければ何も想像できないのです。
人間は頭で思い付かなければ何も実現できない生き物でもあるのです。