「多田くんは恋をしない」から読み解くシナリオ脚本スキル

多田くんは恋をしない|シナリオスキル|ハッピーエンドの設計

今回のお題は

 

「多田くんは恋をしない」から読み解くハッピーエンドの設計、です。

 

オードリー・ヘップバーンの名作「ローマの休日」を彷彿とさせるようなラブストーリーです、この「ただこい」は。

 

「ローマの休日」とは全く違うお話しですが、国を治めるほどの特権階級の人が一般人と恋に落ちるくだりはイギリスの王室にしても、そして我が日本においてもリアリティのある現実です。

 

どんな階級や枠組みに属していても人としての感情はみな同じであり、それは恋愛感情でも例外じゃない、ということを教えてくれます。

 

それが人の普遍性というものです。

 

「ローマの休日」にしても「ただこい」にしても恋に落ちるプリンセスとは愛おしさをまとった美しい女性が似合います、

 

そんなわけで、とてもきれいな作品に仕上がっています。

 

2018年に公開された動画工房のオリジナルアニメです。

 

原作者はクレジットに羽矢浪好貴さんとありますがラノベ作家でも無く、お名前も意味のあるあて字のようですので制作サイドの人かと思われますが、どのような背景の人かは分かりません。

 

動画工房が主導したオリジナルなので主にシリーズ構成された中村能子(なかむらよしこ)さんが書かれたか、と思われます。

 

監督の山崎みつえさんは監督というより演出系のプロデューサーという印象があります。この方の関わる作品はとても演出力の優れたものが多いと感じます。

 

お話しは欧州の架空の国“ラルセンブルグ”王室の姫君であるヒロインの「テレサ・ワーグナー」がお忍びで日本の高校に短期留学し、留学先の高校で出会った主人公の「多田光良」(ただみつよし)と恋に落ちる、といったものです。

 

この手のお話にはこのような状況設定が見て取れます。

 

まず、プリンセスないしプリンスなどの特別な境遇にいる憧れ性を持った人物がメインキャストになる事。

 

その特別な人には自分の意思ではどうしようもない、自由に決められない運命のような“カセ”がある事。

 

ある意味“禁断の恋”であること。

 

特別な人は格差のある階級や役職の人であり普通では話すことも出来ないほどかけ離れている世界に属していること。

 

特別な世界か、平凡な世界か、どちらかの世界を舞台として展開するのでその世界と違う世界の相手役はその世界での常識からかけ離れた行動や思想をする。

 

この場合、視聴者は一般人になるのでたいがい高貴な世界の人が一般の世界に降りてきたりします。

 

そして恋に落ちても実らない“悲恋”になる。

 

運命のある特権階級側の人物が運命に従った先に待ち受ける予定された伴侶とは、たいがい残念な相手役なので望まない結婚とかになる。

 

こんなこと、「ローマの休日」を見たなら一発で分かりますw

 

ただ、こういう話は見ているとヒロインの魅力に取り憑かれてしまうものです。

 

魅力あるヒロインの問題をどうすれば乗り越えさせて恋を成就させるのか、が最大の課題となります。

 

また視聴者側のカタルシスとは「ヒロインが幸せになる姿」なのでハッピーエンドにすることが求められます。

 

求められるのですが現実問題として運命はなかなか変えられないから「運命」なのであってカセとしての価値があります。

 

カセがあるから葛藤が生まれます。

 

理屈では実らない恋と分かりつつ、本能という感情との乖離に苦しむわけです。

 

だからそうそういじれません。

 

プリンセスと多田くんは果たして結ばれるお話になるのでしょうか、これが「多田くんは恋をしない」の面白いところとなります。

 

昔のストーリーテラーだとすぐに「駆け落ち」してしまいます。

 

それは今の時代、受け入れられるものではありません。だからNG。

 

その点、「ただこい」ではおよその登場人物がハッピーエンドで結ばれています。

 

多田くんとテレサはもちろん、侍女のアレクも、テレサの婚約者のシャルルも落としどころを見いだして落ち着ける場所を手に入れます。

 

その設計が良く出来ていると感じました。

 

詳しくはネタバレになるので申せませんが“恋”の解釈に変化があります。

 

特に婚約者であるシャルルはテンプレ的な状況設定にあるような、いわゆる意地悪な婚約者とかではありません。

 

至って寛大な“恋”の解釈をします。

 

恋愛劇の魅力とは心情の変化にあります。

 

それも短期間であっという間に変化が訪れます。

 

そしてその変化は劇的が故に周りを巻き込み困惑させます。

 

それにアジャストという変化が加わると「みな幸せ」みたいなハッピーエンドが作れるわけです。極簡単な解決策が「アジャスト」です。

 

ただし、結果としてシーンを載せるのは一番最後です。絶対に前振りも含めてネタをばらしてはいけません。

 

最後までとことん引っ張ります。

 

登場人物はとことん運命を呪います。トコトン悲しみます。諦めようとします。忘れようとします。とことん自分の感情に抗い抵抗し続けます。

 

クライマックスではそれがことごとく崩されて自分の本心が露わになります。

 

そしてどうなるのか・・・

 

これが恋愛劇の醍醐味ですね。

 

「多田くんは恋をしない」ではそこのところ、ドロドロとかにならずに、上品にまとめられています。

 

さすが山崎監督は演出技術の秀才です。

 

このようなハッピーエンドは演出しないと単純にバットエンドになってしまいます。

 

ヒロイン1人の力ではどうしようも無いところから展開するので伏線、布石を含めた人物配置も欠かせません。設計が要になります。

 

例え脇役でもその人を配置する意味や理由が無ければなりません。

 

意味を成すからこの物語に参加できるのです。

 

全てはプリンセスの幸せのため、です。

 

テレサのために多田くんの人生が設計されています。

 

テレサのためにアレクが頑張る背景が設計されています。

 

こういったことも「多田くんは恋をしない」から読み取れるのです。

 

最後に、DVDを見ていたらとてもいい画に出会いました。

 

それはDVDのメニューに使われていたアイキャッチです。

 

 

多田くんとテレサが立ち姿の背中合わせで写っています。

 

多田くんはいつもの学生服ですがテレサはプリンセスのドレス姿です。ティアラも付けています。

 

親しい感じでくっついているのでは無く、ちょっと離れています。

 

多田くんは悲しげに上を見上げ、テレサは俯いています。

 

全体的に淡い色調ですが落ち着いたトーンの画で、明るいラブストーリーらしくない画です。

 

背中合わせでいるものの、2人は後ろ手で小指を繋いでいます。

 

この画を見て、「ああ〜、シナリオの本質と同じだ」と感じました。

 

手を繋ぐ、とは仲が良い、親密な関係という意味が伝わります。

 

対して背を向ける、とは仲が悪い、関係ない、嫌いとか無関心などの意味になります。

 

これって矛盾ですよね。

 

これです、これ。

 

このイメージがシナリオに求められる要素です。

 

しかもこの画、あえてトーンを落として、表情も悲しげにしています。

 

本編でハッピーエンドに終わった明るさとの「差」があるのです。

 

「差」があるからなおさら見た人の感覚にビシバシ伝わるような仕掛けがなされているのですね。

 

これが「演出」です。

 

本来はこの繋がれた指が簡単にほどけてしまいます。それが現実です。

 

でもなんとか繋がっている・・・そんな危うさも感じられます。

 

もうこの画から伝わってくるものに、私の感情にドカンと響いてしまいました。

 

それもパッと見ただけです。シナリオみたいに時間を掛けて伝えられた物ではありません。

 

この画を構想された人は凄い!と感じてしまいました。

 

画から伝わるバイト数ってもの凄く高い物なんだな〜、伝わるイメージって破壊力があるな〜と改めて感じました。


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