「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」から読み解くシナリオ脚本スキル

痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。|シナリオスキル|お約束

今回のお題は

 

「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」から読み解くお約束、です。

 

なんか、長いタイトルが流行って久しくなります。

 

最近のアニメも原作のラノベも、タイトルが長けりゃいい的な風潮にいささか飽きてきました。

 

中には上手いと思えるような長タイトルもあるっちゃあるのですが、どの作品も長くすることが前提で略したタイトルがメインタイトルになるような手法はもう目新しくもないし、覚えきれません。

 

でもマーケティング的にはすこぶる戦略的、ではあります。

 

日本人は言葉遊びが大好きです。

 

略すのが好きですよね。

 

略されるということはそれだけ見た人に影響を与えている、ということなので正しい選択なのでしょう。

 

でもこう何でもかんでも長タイトルばっかりだとその効果もめんどくささに繋がるのではないでしょうか。

 

もう「あの花」のような時代と違います。

 

長いタイトルの発想が尽きていきなりその作品のテーマなんか提示しないか、ヒヤヒヤします。

 

そうなったらもう最悪です。

 

メインタイトルは本来その作品を短い一文で表すものです。

 

そこにフックが効いていたり、洒落が盛り込まれていたり、比喩や隠喩があって読んだ人が「このネーミング面白い」と感じてもらうのが王道であり目的です。

 

全く関係ないような言葉でも作品の中の重要な部分と、最低でも被っていなければなりません。

 

つまんない長タイトルも横行している昨今、作家さん、編集者におかれましては今一度原則に戻っていただきたい。

 

作家が面白いだろうと思って付けた長タイトルは、面白いと思っているのは作家だけ、的な結果を認めるべきです。

 

もっと頭を使ってネーミングしてほしいものです。

 

第一タイトルが長いと情緒がない。

 

いつもながら前置きが長くなりました。

 

今回はもう略して「防振り」とさせて頂きます。面倒くさいので戦略に乗ってあげます。

 

この「防振り」は正直このブログに載せるほどのシナリオスキルはあんまりありません。

 

ただ、安心して見ていられます。

 

なぜ安心して見ていられるのか、それは観客との約束がちゃんと守られているからです。

 

夕蜜柑(ゆうみかん)さんのラノベ原作ものです。

 

アニメ版は2020年冬期に放映されました。

 

制作はSILVER LINKで、SILVER LINKといえば大沼心監督です。連名で湊未來さんも挙がっています。

 

大沼心監督は新房昭之監督系の方です。

 

大沼心監督は私がかつて「アニメって凄い!」と感じた作品を手掛けことで記憶しています。

 

もう古くなりましたが、2008年に「ef」という作品を作りました。この作品、描写力、演出力がハンパない、のです。

 

私は「ef」を見てこの世界にのめり込みました。そのうちこのブログでも紹介します。

 

シリーズ構成脚本は志茂文彦さんです。

 

脚本家志茂文彦さんは、かつての京アニを単なるご当地アニメ制作会社からメジャーなアニメ会社に押し上げたことで有名です。

 

ゲーム屋さんであるKey/ビジュアルアーツが作ったゲーム企画のアニメ化を京アニに持ち込んだ脚本家として知られています。

 

「KANON」とか、「AIR」とか、「CLANAD」ですね。

 

それらがヒットして京アニは一躍全国に知れ渡ることになりました。

 

京都アニメーションはこれがきっかけで単なる下請け制作会社から脱却、成長した、とされています。

 

余計な能書きばっかりですが、本題です。

 

「防振り」は先ほども言いましたが、あまりシナリオスキルとしては特別なものはありません。

 

でもさすが、大沼監督と志茂さんのホンだけあって安定した高品質を獲得しています。

 

お話は、女子高生のヒロイン「本条楓(ほんじょうかえで)」プレイヤーネーム:メイプルが疑似体験型RPGゲーム(VRMMO)の世界に入って活躍する、というものです。

 

非常識なほど極端な防御力に偏ってステータスを持たせて、いわゆる極振りしてゲーム内の世界の常識をことごとく破って強くなっていきます。それもノーテンキにひたすら強くなります。

 

至って平和で微笑ましいお話です。

 

お題となるシナリオスキルとは観客との間にある暗黙の「お約束」についてです。

 

まさに「防振り」は「お約束」に従った作品です。

 

お約束通りの可愛い「キャラデザ」で、お約束通りの「環境」で、お約束通りの「ストーリーテリング」で、お約束通りの「成長」をして、最後にはお約束通りの「一番強い敵」を倒して、お約束通りの「大団円」で終わる、のです。

 

ここが肝心なのですが・・・

 

私たち送り手、作り手は事前に観客との暗黙の「約束」をしていることをご存じでしょうか。

 

送り手と観客は物理的には顔すら合わる機会がありません。作品が作られて、媒体に載っけて、視聴者が画面、あるいはスクリーンを通して作品を視聴します。

 

その映し出されるものとは、あらかじめ観客とのお約束に則った内容にしなければ、観客は納得しません。

 

メイプルの性格設定(人物像、誰が)、活躍する世界観(場所)、冒険(何をするのか)、敵と戦う(どのようにするのか)、最強の敵を倒す(テーゼ、どうなった)が暗黙の内に約束されています。

 

それは事前に示されるタイトルだったり、ティーザーだったり、併せて載せられる音楽だったり、でイメージが伝わる過程でなされます。

 

長タイトルについて長々と持論を展開しましたが、長いのがダメということではありません。

 

それにしても「防振り」はいかにもドストレートすぎるタイトルなので、そこからも内容がある程度予見できます。

 

その内容に期待してお約束が結ばれて、実際に見てみるとちゃんと「お約束通り」に話が進み、安心して「楽しめて」見られます。

 

書き手はこのあたりを無視して書いてはいけません。

 

痛いのが嫌、の「痛い」もイメージに反して、例えば抗がん剤の副作用で痛いとか、傷口に塩を塗り込められるような痛さとか、人物の内面的な痛さ、とかを盛り込むと、それは約束違反になります。

 

そんなことをした日にゃ、作り手が浴びるものとは批判しかありません。

 

実際に「防振り」を見てみて、私は安心して見続けられました。

 

テンポもいいし、描写も発想も面白い、順調に事が予想を超えずに進んで、やっぱりそうなるわな、と予想とおりの結末を迎えて、予想通りに「面白かった〜」で終われました。

 

終始ポジティブな話でまとまっていて、ダイナミックではないが安心して見ていられたのです。

 

で、これはこれでそういうお約束が結ばれていたから見る気にもなれるし、見続けられます。

 

このような事前の約束に満足しなければ見ないで他のタイトルを見ればいいことです。

 

問題なのは、こういったお約束に反してまったく関係ないようなシーンや悪い意味での約束破りをしてしまうことです。

 

不必要な、奇をてらったような描写や物語に似つかわしくない、ふさわしくないシーン、余計な深掘りなどを入れることは、この「お約束」の原則を理解していない輩がやらかします。

 

それでは意味がありません。

 

演出を知らない人が作るとこのようなシーンを箸休め的に入れたりします。それは駄作になって然るべきなのです。

 

あなたもそんな作品を見たことがないでしょうか。

 

見終わった後に、「あのシーン、もっとこうした方がいいんじゃね」とか、「あの描写いらね〜だろ」とか、「あれって何だったんだろう」と思ったことはありませんか?

 

こういった現象が起こるのは事前に観客との間に約束される暗黙のルールについて考えていないからです。

 

確かに奇をてらったもの、予想を超えるシーンは必要です。でもそれはあくまで観客の期待を超えるべきものであり、観客の期待を裏切るものではないのですね。

 

このあたりを履き違えている。それではいけません。

 

シナリオを書く場合、書いた先には観客がいることを忘れずに書いてみてください。

 

私は毎期、事前にチェックしてアニメ作品を選んで見ています。

 

皆さんもそうしているか、と思いますが、何を見て判断しているかといえば、

 

まとめサイトだったり、作品のサイトだったり、PVだったりします。

 

どこを見ているのかというと、絵の善し悪しだったり、カテゴリーだったり、制作会社だったり、監督、脚本家だったりを見て判断します。

 

さすがに1クールに発表される数十作もの作品全て見ようとも思いませんし、全てが自分の好きなものになるわけではないので厳選します。

 

その過程ですでに作品と観客との約束ごとが交わされています。

 

伝わってくるイメージで判断します。

 

私自身が観客受け手で感じることは当然作り手送り手であっても予想が付くはずです。元々受け手であったのですから。

 

でもいざ書こうとすると受け手だった時の心情を忘れてしまいます。

 

誰しも受け手であったはずです。誰しも作品との暗黙の約束をしたことがあるのです。

 

その事実を無視してはシナリオは書けないと思います。

 

約束は守らねばなりません。守らなければ約束なんてしない方がマシ、というものです。


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