フルーツバスケット第一期T|シナリオスキル|最強の魅力設定
今回から3回にわたり、「フルーツバスケット第一期(2001年)」にまつわるシナリオスキルを考えてみたいと思います。
今回のお題は
「フルーツバスケット」から読み解く最強の魅力設定、です。
人物設定において曖昧でいい加減で、それでいて必ず決めないといけない要素が魅力付けです。
つまりどんな性格の人にするのか、
これが難しいということなのですが理屈ではなかなか伝わりにくいし、“このようにする”という各論で決められるものでもないところが理解を妨げます。
「こんな感じ」とは、この程度しか解説できません。
- イメージキャラクターを置いてその人の言いそうなことをセリフに、考えそうなことをト書きとして行動に反映する
- 共通性を持たせる、つまり「弱み」「弱点」を含ませると同時に「憧れ性」を持たせる
- ひとつかふたつ、その人の言うこと、やることを決めてそれをキーワードとしそこから性格イメージを拡張させる
このようにぜんぜん具体的ではありません。
でも人に「人物の性格設定ってどうするの?」と訪ねられたらこんな曖昧な答えしかできません。
なぜ曖昧な着地点しかないのか、それは尋ねている質問者の思考やイメージまで理解出来ないからです。
「こんな感じ」以上の答えは質問者、作者が考えて結論を出すしかありません。
それじゃ終始分かりにくいままで終わってしまいます。
だから私は、アニメでも何でもいいのですが、既存コンテンツから真似る方法を推奨しています。
今回の「フルーツバスケット」も見てみるとそういった人の性格についてプロの思考が思う存分反映されています。
とても良く出来た秀作アニメであります。
そしてお題の「最強」とはなんだと思われますか?
性格設定においてどのような要素が「最強」たり得るのでしょうか。
最初に答えを申しましょう。
それは「いとおしさ」です。
“愛しさ”、これが人の設定に含まれていないと魅力になりません。
特に主人公やヒロインには必ずなければならないマストな設定です。
そしてそれを考える責任者は作者しかいません。
作者が担う要素です。だから手を抜いてはいけません。
この作品「フルバ」も古いです。
高屋奈月さんの漫画原作です。
花とゆめに長年連載されていました。いわゆる少女マンガですね。
いろんな賞も取られていますが2007年に「もっとも売れた少女マンガ」ということでギネス認定も受けている作品です。
アニメ版は2001年に発表されました。
二昔前ですね。だから制作スタッフも今とはまったく世代が違います。
監督は大御所の大地丙太郎(だいちあきたろう)さんです。
助監督はこのあと「D.C〜ダ・カーポ〜」第一期を監督する宮アなぎささん、シリーズ構成は中瀬里香さんです。
脚本家陣は中瀬さんの他に池田眞美子さん、伊丹あきさんが書いています。懐かしい。
コンテ、演出陣も大地監督、宮ア助監督の他に後藤圭二さん、平松貞史さん、西村純二さん、大塚雅彦さん、長濱博史さんの名前があります。
今では制作会社の取締役になったり、プロデューサーなられていたり、それぞれご出世されています。
20世紀から21世紀に至るアニメがデジタル化した時代、現代のアニメスタイルを模索していた時代、黎明期を支えてきたクリエイターたちです。
現代の脚本家も含めた現場で活躍しているクリエイターはこのような先駆者に師事して成長されています。
大変人気を博した「フルーツバスケット」ですが大地監督は当時、フルーツバスケット続編の制作について「全力を出し切った」として否定しています。
それくらい力のこもった作品に仕上がっています。
原作モノなので原作のイメージもあるかと思いますが実際に動くキャラクターとしての人物像にその配慮が見て取れます。
ヒロインは「本田透」、女子高生です。女の子ですが通称「とおるくん」です。
ただ単にこんな感じで紹介してもとおるくんがどんな性格の持ち主か分かりません。
パブリックイメージに頼っていませんので物語の中でとおるくんの魅力を見せなければなりません。
とおるくんは両親を亡くしています。特に母親は直近に亡くなっていて、とおるくんが「これからどうして暮らしていこうか」というタイミングでお話しが始まります。
そんなときにひょんな事から同級生である草摩由希(そうまゆき)の家に居候することになります。
ところがこの草摩の一族には十二支の物の怪に憑かれているという秘密があります。
草摩由希は十二支の子ですが、草摩夾(そうまきょう)は十二支ではない猫です。
猫はネズミに騙されて十二支になれませんでした。(諸説あるそうですが一般的に「猫がなぜ十二支にいないのか」の解になっています)
そんな経緯を反映して猫憑きである夾は由希と敵対するライバル的なキーキャストとして置かれています。
このお話は本田透、草摩由希、草摩夾の3人が引っ張ります。
さて、
ヒロインのとおるくんの性格はすこぶる「いい子」です。
容姿も声優の堀江由衣さんのイメージに合っている可愛い子ですが、彼女の魅力はその性格です。
いい子なので真面目で実直で物事を悪く考えない、行儀がよくて礼儀正しい、清廉潔白・・・
これだけだと憧れ性のリストみたいです。
とおるくんにはこれに「バカみたいに」が付きます。
そしてその姿勢にブレがありません。
これが彼女の魅力となり周囲を癒やします。
この「バカみたい」が彼女の愛しさを演出しています。
ようやく本題ですが、あなた様は「愛しさ」という形容をどのように表しますか?
この問いかけに答えはありません。答えはあなた様が自分で結論を出して下さい。
ネットで「愛しさ」をググると・・・
- 大事にしてかわいたがりたくなるさま
- かわいそう、気の毒
- 困ったこと、つらい
などが出てきます。
これってまったく矛盾していますよね。
かわいたがる、は分かりますが“気の毒”と“つらい”は別の感情ですよね。
でも一緒なんです。「愛しさ」って。
つまり気持ちの距離を表す言葉と私は解釈してしまったのですが、この解釈は私の解釈なのであなた様とは違うでしょう。
言葉、特に形容詞なんてその人その人で感じることが違うので違って当たり前なんですが、なんかフルバを見てみて・・・
「あ〜、人に伝わる魅力って“いとおしさ”なんだ〜」と解釈しました。
切なさとも違います。どうしても自分の感情を相手に寄せたくなる、それが“いとおしさ”なのではないでしょうか。
でも普通の憧れ性だけでは絶対に伝わりません。伝えきれないはずです。
そこで必要になるのが拡張です。
つまりはデフォルメなんですが何もキャラクターデフォルメみたいにちっちゃく可愛くするというものではありません。
頻度や質量を拡張します。
情報量を増やします。
つまりつまり、「バカみたい」と言われるくらいにオーバーにします。
当事者は他人から「バカ」と言われようが「アホみたい」と言われようが関係なく自分の信念に従います。
その様が“愛しさ”に繋がります。
このことは草摩一族のひとりである草摩紅葉が劇中で紹介するエピソードでも説かれています。
紅葉は十二支の兎で幼いイメージの男の子ですが、言うことは大変大人チックで印象深い話をします。
そのエピソードとは自己犠牲を美徳とする人物について語ったものですが、その人物を考えて見た結果として紅葉は「いとおしい」と結論づけました。
この件には心が動きました。
その語りの主人公は可哀想な結末を迎えます。
普通に考えたら自己犠牲を喜びとしているなんて「バカみたい」です。
でもその馬鹿さにもみえる態度が愛しさに写るんですね。
いつも言っていますがこの感覚、こればっかりは実際に見て貰うしかありません。
感覚論は自分で見て聞いて学ぶものです。他人から教わるものではありません。
自分で感じなければ意味ありません。だから是非見て貰いたいのです。
そして紅葉の話を聞いてみて何を感じるでしょうか。
その感じたものがあなたのオリジナルになるはずです。
そして「いとおしさ」ってどうやって表すのか、考えてみて下さい。
フルーツバスケット、今回は第一期26話から紐解きましたが大地監督が「出し切った」と言うほど最後の3話は衝撃の展開を見せてくれます。
「出し切った」とは演出が優れている、これ以上の演出はない、という意味にも取れます。
それくらい高い完成度を誇ります。
確かにギャグパートもたくさんありますがシリアスパートはさすが大地丙太郎監督です。
ちなみにこの記事執筆時ではまだ発表前ですがフルーツバスケットの2019年版も企画が進んでいます。
監督は井端義秀さん、シリーズ構成は岸本卓さんです。
現代においてこの名作「フルバ」をどう描くのか、興味深いところではありますが、スタッフロールを見るとちょっと・・・どうなのかなって感じです。
私の紹介する作品が昔のコンテンツに偏っているのはぶっちゃけ品質差です。
映像そのものは現代の方がきれいで美しい、でもことシナリオや演出は昔の方が明らかに優れている場合が珍しくありません。
だからこの「フルバ」も現代のクリエイターがどこまで出来るのか、それは大変未知数であると思うのです。
現代のクリエイターが昔より優れているとはイチアニメファンとして思えませんので。
人間は一昔だろうが二昔だろうが、あまり変化していない、それが本質なのですね。
変わらない人というものを描く技術とはどこまで進化したのでしょうか。
そもそも進化しているのでしょうか。
「愛しさ」を正確に描けるクリエイターってどれくらいいるのでしょうか。