青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない|シナリオスキル|ファンタジーとリアリティの融合の妙
今回のお題は
「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」から読み解くファンタジーとリアリティの融合の妙、です。
この作品がとても面白いのです。
個人的に、久しぶりに良く出来ていると感じた作品です。
シリーズ累計がミリオンセラーになったそうで、そりゃ面白いはずです。
鴨志田一さんのラノベ原作モノです。
鴨志田一さんといえば「さくら荘のペットな彼女」を思い出します。
さくら荘では原作者推し、と言うよりアニメ脚本が岡田麿里さんでしたので見ています。
楽しい会話劇と岡田さんのホンのマッチングが面白かったと記憶しています。
今回のいわゆる「青ブタシリーズ」は複数の個別のヒロインによるエピソードが集まっている構成になっています。
登場するメインヒロインで分かれていてそれぞれ個別のエピソードが組まれていて、ラノベではそれに準じてタイトルが違います。
「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」は桜島麻衣編
「青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない」は古賀朋絵編・・・など。
これを記すると全部で6人分にもなるので省略します。
アニメ版では総じてラノベ第一巻のタイトルである「〜バニーガール先輩〜」をタイトルとしておよそ3話でひとりのヒロインが描かれています。
ただ、昔よくあったギャルゲーのルート選択みたいなヒロイン別オムニバスアニメとは違っていて、時系列的に一連のお話しの繋がり、流れがあります。
シリーズの形としては主人公ひとりに対して問題を抱えた複数名の各ヒロインとの関わりを描く物です。
私の気に入った過去の作品で若木民喜さん原作の「神のみぞ知るセカイ」があります。
この「神のみ」も主人公が複数のヒロインを“攻略”していくストーリーテラーでしたが、テイストや色は違えど今回の「青ブタシリーズ」も同じような構成になっています。
前に紹介した「化物語」でもそうですね、主人公の男の子ひとりに対して複数のヒロインを描いていくストーリーテラーです。
アニメ版は2018年に公開されました。
シリーズ構成は横谷昌宏さんです。
横谷さんというと「ケロロ軍曹」を思い出します。シナリオ作家協会主催のシナリオ講座出の方で同期にあの吉田玲子さんがいらっしゃいます。
20世紀終わりの頃の昔の話ですが、この時代に脚本家を志した人には才能を開花させた脚本家がたくさんおられたんだな、と思います。
監督は「棺姫のチャイカ」の増井壮一さんです。
この方の映像はとてもクオリティが高いと「チャイカ」でも感じました。
アニメ映像的にデザインが良くて、お話しにしても、ファンタジーでも無理がなく自然に納得出来て面白い、私的に好きな監督さんです。
細かいところですが「チャイカ」と同じくこの作品もアイキャッチがとても素敵です。
そしてアニメの命、キャラ原案は「さくら荘」と同じ溝口ケージさんです。
キャラデザは田村里美さんですが日本のアニメらしい繊細な画を実現されています。
今回のヒロイン、桜島麻衣にしても瞳のデザインがとても秀逸です。
この画を見ると、浦安のネズミが作るような“○書いてチョン”のようなアニメが見たくなくなる私であります・・・これは私的な偏見です。
さて、
このお話はファンタジーとリアリティの組合わせ方がとても面白いのです。
主人公の梓川咲太(あずさがわさくた)は神奈川県の藤沢に住む高校2年生です。
咲太はある日の図書館でバニーガールの格好をした同じ高校の先輩である桜島麻衣に出会います。
これですこれ。
導入部の特徴がありありと表されている実例になります。
「なんで図書館にバニーガールが歩いてるんだ?」
こんな非常識で非現実的な出来事、これが導入部に必要な要素なのですね。
有り得なくても有り得てもいいのですが、このようにインパクトがなければシナリオとしてキッカケになりません。
お話しを始めるにはこういったトリガーが必要なのです。
それがインパクト最優先のシーンです。
極端であればあるほど見ている人を引きつけ“この先どうなるのか”と思わせることが可能になります。
つまらないのはNGですが今後の展開で意味があるのであれば何でもアリです。
ただなんとなく電車の中で出会った、では導入として弱すぎます。
これでは話が始まりません。
こういう張り手型の導入は、意味なんて後付けでお話しに盛り込めばいいのであって、とにかくインパクトあるシーンやシチュエーションを与えるべきなのですね。
冒頭に見せた非常識なシーンの意味をこの先お話しとして説いていくのです。
「青ブタシリーズ」の共通したファンタジーとは“思春期症候群”にまつわるお話しです。
“思春期症候群”?なんのこっちゃ?
つまり思春期特有の内面的感情の具現化と言えるでしょう。
もっとなんのこっちゃ?と思われたかもしれません。
つまりつまり、青春時代の不安定であいまいな意思や悩み、コンプレックス、本音と建て前の“本音”の部分など、それが具体的な現象として現れてしまいます。
誰しも思春期における曖昧である種いい怪訝な妄想を描く物ですよね、でもそれが現実化したらそうとう困る事になります。
ちょっとしたワガママが具現化する、それが「思春期症候群」という病的な症状として設定されています。
ま、症状と言うよりは“現象”なのですが。
このようなシチュエーションでよくあるパターンは“中二病”です。
中二病は全くの架空設定ですが、この作品は一定の説得力のあるリアリティに基づいて理由付けがなされています。
桜島麻衣のワガママとは「周りから注目されない」でした。
麻衣の場合は高校生ではありますが子供の頃からの職業として芸能人という設定がなされています。
そんな有名人が周囲から認識されなくなる現象が起こります。
その摩訶不思議な現象は各ヒロインによって違います。
その総称が“思春期症候群”ということですが、それが起こる原因を外的要因ではなく本人による意思に起因させています。
その意思とは・・・
ここにリアリティを持たせてあって説得力があります。
劇中の咲太のセリフを一部抜粋すると、
「誰も変化なんて求めていない」
「空気」
などと言っています。
麻衣は高校生になるタイミングで芸能活動を休止しましたが仕事の都合で学校の雰囲気=空気に乗り遅れてしまいました。
麻衣が学校に通い出した時期にはすでに友達やグループなどのコミュニティが出来上がっていて完全に浮いた存在として、麻衣は異分子として扱われてしまいます。
学校の人たちは自分の作り上げた空気が変化するのを恐れて誰も麻衣に近づこうとしません。
これってすっごくリアリティがあります。
人って自分が変わりたい、とか成長したい、とかってカンタンに言いますよね。
それって本音ではありません。
あなたも、私もそうです。
実のところ変化なんて求めていません。望んでいるのは「安定」です。
今現在の「安定」と「変化のリスク」を日々絶えず考えて、天秤に乗せて我々は日常的な判断を下しています。これが現実です。
そしてなんとか落ち着く環境を見つけて委ねています。
人はようやく見つけた安定した環境を手放したくありません。
その判断基準とは「空気」であることが少なくありません。職場にしても学校にしても。
特に学校などの閉鎖空間では社会から切り離されている分、普通にまかり通ることでもあります。
社会人であればまだ選択肢や拡張性などが見つけられますが特殊な環境ではそれに気づけない、のです。
だから現実的に学生の自殺が絶えない、我々大人からすれば「なんでそんなことで死を選ぼうとするのか」と思えることでも学校のような閉鎖空間では起こり得るのです。
これはリアルです。それも深刻な側面もあります。
麻衣の意思とは周りから注目されない生き方をしてみたい、です。
子供の頃からの芸能活動で絶えず人目にさらされてきた人間ならそう感じることもあるでしょう。
しかしながら芸能活動を休止してまで普通の学生生活を送りたかったが完全に乗り遅れてしまった、そして麻衣は学校の空気を読んで鑑みて当たり障りなく「空気を演じる」しかありませんでした。
そして本当に空気みたいになってしまうのです。
誰からも存在を認識されなくなります。
咲太には形は違えど自分と妹にそのような摩訶不思議な現象の体験があります。
咲太はその辛い思いから同じような境遇に置かれた麻衣をなんとか救おうと奮闘します。
その奮闘を通じて咲太と麻衣は心を通わせるお話し、つまりはラブストーリー仕立てになっていますが、やがて限界が訪れます。
周りから認識されなくなる現象のトリガーが人の睡眠にあることをなんとか突き止めた咲太は麻衣を忘れまいと眠ることを我慢します。
でも人間は睡眠を取らなければ生きてはいけません。
それでも咲太は無理を承知で麻衣の存在が消えることを拒み続けます。
「眠ったら忘れる」
とっくに身体的な限界も超えてしまいます。
我慢している咲太を見た麻衣は薬で咲太を眠らせます。
咲太を眠らせる、ということは麻衣の存在を麻衣自身の手で咲太から消すということに繋がります。
この“別れのシーン”にはとても愛情を感じてしまいました。
そして本当に咲太は麻衣の存在を忘れ、麻衣が見えなくなりました。
さてさて、ラブストーリーにはハッピーエンドが合っています。
というわけでこの先咲太はどうやって麻衣の存在を思い出して、そして愛を告げるのでしょうか。
ちょっとだけネタバレですが「グラウンドの中心で愛を叫ぶ」展開に繋がります。
アニメ版では3話に渡って桜島麻衣編を描いています。
劇中の時系列にしても半月程度です。
この短い時間の中で出会いから別れ、そしてハッピーエンドに至る展開が描かれているのが桜島麻衣編ですが要所要所にリアリティを組み合わせてあり、他にも・・・
“シュレディンガーの猫”
あれですよ、量子力学の「存在は観測されて初めて確定する」といったものや
「総意が正しいとは限らない」などリアルからの引用が見られます。
「総意」つまり学校のみんながいいと思っていることが正しいことではない、とするくだりもリアリティがあってよろしい。
だって現実的に国民の総意で選ばれた政治家がとんでもないヤツだった、なんてこと、珍しくないじゃないですか。
みんながいいと思っていることは、たいがい間違っていることの方が多いのもリアリティなのです。
なにげに民主主義の欠陥を突いていたりするのですねw
ファンタジーにもいろんな形がありますが、こういったちょっとでもリアリティが加味されるとそれが架空の意味づけに大変有効な術になるのです。
特に理由や動機、訳といった意味合いについては、リアリティに基づかないと終始嘘話になってしまいます。
「青ブタシリーズ」はこういった本人の意識により発生する思春期特有の現象をヒロインの境遇別に描かれていますが、これが大きなキャラクターの個性付けにもなっているのです。
このようにファンタジーとリアリティの融合がこの作品の醍醐味ではありますが、咲太と各ヒロインとの会話などの関わり方でも“フックが効いていて”とても面白く描かれています。
そしてなぜ咲太が「青春ブタ野郎」と呼ばれているのかが随所に表されています。
各ヒロインにもちゃんと布石が打たれています。
咲太はこの後も各ヒロインの摩訶不思議な現象に付き合う羽目になります。
最後に、もうひとつ。
キャラ同士の掛け合いがとても洒落ていて面白いのです。
これは実際に見て貰わなければ説明出来ませんが、このような会話を女の子とした経験が私にはあります。
簡単に言うと、喋っている相手の意図を探ってデフォルメして相手の予想を上回る返答をする、です。
やってみるととても楽しいコミュニケーションになります。
そんなところもこの「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の魅力のひとつです。
もう一個だけスミマセン、このタイトルも洒落ています。
「〜バニーガール先輩の夢を“見る”」とするのが普通のタイトルの付け方です。
ですがあえて、「見ない」としています。
あなたはこの意味、どうお感じになるのでしょうか。