「正解するカド」から読み解くシナリオ脚本スキル

正解するカド|シナリオスキル|正解する未知との遭遇モノ

今回のお題は

 

「正解するカド」から読み解く正解する未知との遭遇モノ、です。

 

本当のところ、シナリオに“正解”なんてありません。

 

明確な答えが存在しないのがシナリオをはじめとする創作物の本質です。

 

もし仮に正解があるとしたら送り手側=創作者自身がいいと感じて思った通りに表現できたもの、となるでしょう。

 

受け手側の判断は極めて多様であり、答えになりません。

 

つまり「何じゃこれ?」と思う人もいれば「素晴らしい」と思う人もいる・・・受け手の評価にも明確な基準はなく曖昧なものです。

 

だからアテになりません。

 

ただ、送り手側も仕事でアニメ映像を作っているわけで、それもたくさんのスタッフが日々頭を絞って面白いといわれるものを追求しています。

 

その結果、一定以上の品質が保たれています。

 

まあ、それでも視聴者全員に納得されるような作品というものは存在しません。

 

今回の「正解するカド」もなんとなく嗜好が分かれるような作品であります。

 

日本におけるリアルベースのSFですがかなりアーティスティックでかな〜り凝った映像表現を実現しています。

 

それはそれは見ていても理解出来ないほどに・・・。

 

それ故見ている人の嗜好が分かれるような作品に仕上がっています。

 

2017年に発表されました東映アニメーションのオリジナルです。

 

総監督として村田和也さん、脚本は小説家の野崎まどさんです。

 

さすが老舗の東アニです。オリジナルで作っただけあって見応えはありました。

 

ただ、東映アニメーションって現代ではちょっとトレンドに乗り損ねた感が強く感じられます。

 

大昔から、それこそアニメが子供向けだった創始期からずっと続いてきています。

 

現代のアニメとは似ても似つかない時代の姿勢をあんまり崩していない気がしてなりません。

 

最近では東アニといえば“プリキュア”しか思い浮かびません。

 

プリキュアだってけっこう大人でも楽しめますがやはり子供向けです。

 

そんな時代の流れを意識してかどうか、今回の「正解するカド」は東アニではじめてセルライクフルCGを導入した今時の作品です。

 

画的にもの凄く凝っていて、“カド”の立方体造型などは表面が絶えずフラクタルのように動き続けているといった、素人目にも作画的に膨大な処理を必要とされるような仕上がりになっています。

 

キャラデザもハッキリしていて良い画なのですが、そうですね・・・水島精二監督が好きそうなキャラデザですw

 

でも総じて画が固い印象がありました。

 

動画自体はCGですのでとてもなめらかですが線がハッキリしすぎていて私は固いと感じてしまいました。

 

他のCG屋さんが作る画の方がもう少し柔らかい印象があります。

 

さて、肝心のシナリオですが・・・。

 

ジャンルはSFのいわゆる未知との遭遇モノです。

 

このストーリーパターンには一定のテンプレが存在します。

 

まずいきなり現れる。

 

未知のものの目的が分からない。

 

我々人類側との接点や折衝がある。

 

たいがい未知のモノにはデフォルトで感情が無い。

 

人とのコミュニケーションを通じて相互理解し合えるようになる。

 

実は未知のモノはすでに我々の側についている、のような急展開がある。

 

未知のものの目的が我々側の不利益となる事実が判明して敵となる。

 

戦って我々が勝つのだが、その要因とは人の知恵である。

 

今回の作品になぞらえて例えてみましたがどんな“未知との遭遇モノ”でもこのような要素が見て取れます。

 

特に未知のモノ側の目的を最後まで明かさないのが鉄則で後半明らかになった時点で人類の危機が迫っていることが示されたりします。

 

ただ、「正解するカド」はとてもセールスチック(?)マーケティングチックなお話になっています。

 

未知のモノでも人間社会における“信頼”を得る方法を最初から理解しているようでした。それはそれでリアリティがあります。

 

私たち人は知らない他人に対してどのような行動を取れば信頼を得ることが出来るのか、ご存じでしょうか。

 

これはマーケティングの理論です。

 

答えは “はじめに与える” です。

 

それもたくさんいっぱい与えます。

 

見返りを求めずに与え続けます。物でも情報でも仕事でも有形無形に関わらず相手がメリットを感じる物を与え続けるのです。

 

そうやってようやく人は与えてくれた人を信頼するのです。

 

見返り前提で与えていても、それは信頼の構築になっていません。

 

商売する場合、お客さんの信頼が無いと売れません。買って貰えません。

 

にもかかわらず対価という報酬前提で提供を繰り返しています。

 

そんなことを繰り返しているから業績が伸びません。

 

これでは上手く行きようが無いのが事実です。

 

信頼があって物が売れるのです。

 

モノがいいから売れる時代はとうの昔に過ぎ去りました。

 

物の価値だけで商売をしようとするともの凄く分母が必要になります。つまり大勢の人に対して訴求しなければ結果が出ません。効率は良くありません。

 

テレビショッピングなどが典型ですが、あれは資本があって、広告費が潤沢に使えて、テレビという分母の大きい媒体に載せるだけの投資が出来るから物の価値だけで勝負できます。

 

個人商店で同じ事をやっても結果は出ません。

 

まずは顧客の信頼を得て、それからようやく物が売れます。

 

この順番を勘違いしている人がとても多いのも事実であります。

 

そんなリアリティを知っているかのごとく、未知のモノ側=カドに乗ってやってきた異方の存在である“ヤハクイザシュミナ”はギフトとして人類にもたらします。

 

最初に“与える”から入っています。

 

そして人類に利益をもたらしてから異方の存在の目的を明かして見返りを求めます。

 

信頼された後なのでそのオファーに人類は違和感無く受け入れてしまいます。

 

この作品に限らず未知との遭遇モノでは未知の側が侵略とか征服とか、力による支配目的で無く、ディールなどの下心がある場合必ずといっていいほどこのようなパターンでアクセスしてきます。

 

例えば「魔法少女まどかマギカ」では最初に、少女たちに魔法を授けます。

 

人は先に利益を受け取ると感謝と共に「何かお返ししなくちゃ」、「お礼しなければ」という心理状態に置かれます。

 

これを心理学で「返報性の法則」といいます。

 

特に日本人はその様な恩義を感じやすい人種なので、なぜ“ヤハクイザシュミナ”がカドの着地点を日本にしたのか、私は合点がいきました。

 

このようなリアリティも持ち合わせてあります。

 

ストーリーは至ってテンプレ的と感じましたが、もしこのシナリオをコンクールでも書ければかなりいい線行くのではないでしょうか。

 

そんな優良シナリオという印象があります。

 

あと、ヒロイン(?)の沙羅花(つかいさらか)の演出がとても可愛かったのが印象的でした。

 

さすが東アニ、変身する女の子の描写は天下一品・・・かもしれません。

 

他にも物理学の応用や日本の官僚機構、自衛隊の描写、世界観の広大さなど、さながら劇場版を見ているような作品でした。

 

シナリオは至って王道かもしれませんがこういったリアリティを加味して深度を深めると独創的なお話しが作れるという典型なのですね。

 

映像は、嗜好の分かれるところで、面白く出来ていましたが・・・う〜ん、ちょっとトレンドに追いついていないかな。東映アニメーション


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