「化物語(第一期)」から読み解くシナリオ脚本スキル

化物語(第一期)|シナリオスキル|シナリオの常識って何?

今回のお題は

 

「化物語」から読み解くシナリオの常識って何?、です。

 

今現在でも西尾維新氏の物語シリーズは続いていますが今回は化物語第一期から読み解いてみたいと思います。

 

もう古い作品ですね。

 

アニメ版第一期は2009年に発表されました。

 

監督は新房昭之さん、シリーズ構成は東冨耶子さんと新房監督で、脚本はよく新房監督が起用しているゼブンデイズウォーの木澤行人さんです。

 

この作品、発表当時衝撃でした。

 

ヒットもしましたが、なにせ今までのアニメでも見たことの無い表現手法によって形作られています。

 

そう、既存のシナリオの常識なんて全く通用しません。

 

でも、面白いのです。

 

革新的な映像を世に送った新房監督はさすが当代きってのアニメ監督さんです。

 

さて、いつも前置きが長いのでとっとと本題に参るとしましょう。

 

ことごとくシナリオの常識を覆した表現で構成されているのが「化物語」です。

 

全編にわたり全画面字幕を多用し演出としてのカット割りや、モノクロの実写画像などを使っています。

 

場面を流れで見せないで転換に意味を持たせてテンポで見せる展開をしています。

 

字幕は読むための物では無く単に映像上のデザインとして使われているので、一応意味のある言葉が書かれてはいますが、視聴者が一つ一つ読めるような表示時間も設けられていません。

 

展開自体が映像デザインであり演出となっています。

 

だからシナリオというよりも絵コンテですよね、大変だったのは。やたら凝った作業の繰り返しだったことでしょう。

 

肝心のシナリオといえば、今まで言われているような常識なんて関係ありません。全く新しい価値観で構成されています。

 

いろいろと型破りな点も多い「化物語」ですが今回は長いセリフについて考えてみようと思います。

 

この作品、論文のような長ゼリフ、それも地の文を朗読しているような長い文章での会話劇を延々とくり返します。

 

シナリオの常識では長ゼリフや説明ゼリフは御法度とされています。

 

理由は単純で、人の会話とは至って短絡的であり感情的だからです。

 

感情的とは、特に会話に関して人は最初から最後まで理路整然と全部話しません。極めて断片的に喋るのが人の会話というものです。

 

理路整然と喋る場合もありますが、それには適した状況があります。

 

普通の会話では「化物語」の登場人物のような会話はしないし、成立しません。

 

リアリティに適いません。

 

故にシナリオの常識として不自然な長いセリフや説明ゼリフは書くべきで無い、とされています。

 

もうひとつ長いセリフがいけない理由もあります。

 

それは長いセリフを聞かされている人、見ている人が“退屈”するからです。

 

仮に、喋っている人物の絵面だけで長いセリフを載せてしまうと見ている人は確実に飽きてきます。

 

それが許されるシチュとは講義や演説のような1対多の場合です。

 

喋る人が1人に対して聞いている人が大勢の場合なら一方的な長いセリフであってもおかしくありません。

 

でも1対1など個別の人物に対してはリアリティもないし、だいいち一方的に喋る事は少なくとも喋り合うやり取り、会話ではありません。

 

でもアニメの世界ではそんな長ゼリフでもおかしくならない、おかしく見えないように加工することが出来ます。

 

その手法がこの「化物語」には描かれています。

 

まるでモノローグのようなセリフでもカット割りや、例えば主人公阿良々木暦のキャラデザでもあるアホ毛に感情表現させてみる、などの演出により絵面を保っています。

 

どうやらこの作品のセリフは原作をそのまま踏襲したようです。

 

ですので映像表現というよりも文学表現そのままで描いています。

 

通常は文学的な表現は監督ないし脚本家や演出家が映像として成立するように焼き直します。

 

つまり、原作に長いセリフがあったとしたら、そのセリフの意味を抽出して動作と意味の通じる短いセリフに書き直します。

 

原作が読む媒体であるとしたら、そこに書かれている文章はやはり読んで伝わるように書かれています。当たり前ですね。

 

これを映像化するにあたり媒体の変換という作業が必要になります。

 

原作に書かれている意味合いを変えないで具体的な動作と具体的で現実的なセリフに変換しないと演技そのものができないのです。

 

読む媒体から、見て聞かせる形に変えなければなりません。

 

この媒体の変換は脚本家の仕事でもあります。

 

そこへ持ってきて、「化物語」では映像のルールや媒体の変換に伴うシナリオの常識というものを度外視して作られています。

 

原作のセリフそのままでもおかしくならないように新房監督が見せ方と演出で構成された物であります。

 

それってかなり革新的なことなのですね。

 

ストーリーだけで言えば至って単純なものであります。

 

主人公阿良々木暦と巡り会う女の子がいわゆる物の怪、“怪異”に取り憑かれていて困っています。

 

取り憑かれているモチーフは何らかの動物系です。

 

それぞれヒロイン別に蟹、カタツムリ、猿、蛇、猫です。

 

問題を解決に導くメンターとして忍野メメの存在があります。

 

暦は忍野の指南を受けて解決に尽力します。暦のベースとは優しさだったり自己犠牲の精神です。

 

これだけです。たったこれだけ。

 

でもその代わりに強力なキャラクター造型がなされていて、全くタイプの違うヒロイン設定があります。

 

テーマ曲、キャラソンもヒロイン別に作られていますし、事の原因として総じてヒロインの、個別の負の側面から生じたこととしてお話の深度も感じられます。

 

このように強力な個性付けがなされていて、それを長いセリフを交えながらじっくり魅せているのがこの作品の特徴です。

 

他にも登場人物に主人公とヒロインしか出てこない、とか新房監督の十八番でもある平面に立体造形を載せる手法とか、いろいろ魅力があるのですが語るとキリがないので割愛します。

 

そしてなにより、シナリオの常識とはなんぞや、ということを感じさせてくれます。

 

シナリオ指南本に書いてある事やシナリオスクールで教わる事はあくまで前提なしの一般論です。

 

長いセリフだろうが、説明ゼリフだろうが整合が取れていれば使っちゃいけないということでは無い、これが本質なのですね。

 

本質さえ抑えていれば長かろうが理屈っぽかろうが、面白ければ関係ない、ということです。

 

劇中の長いセリフにこんなのがあります。

 

第12話「つばさキャット」より

 

暦と障り猫に変身した羽川翼との会話、厳格な表情の暦。

 

暦「猫、僕がこれから言う文章を復唱しろ」

 

   全画面字幕、暦のセリフ全文

 

暦「斜め七十七度の並びで泣く泣くいななくナナハンいなだい難なく並べてナナ眺め」

 

   翼、楽しそうに、

 

翼(猫)「にゃにゃめにゃにゃじゅうにゃにゃどのにゃらびで、にゃくにゃくいにゃにゃくにゃにゃはんいにゃだい、にゃんにゃくにゃらべてにゃがにゃがめ」

 

   日の丸に暦のデフォルメ

 

暦(N)「かわいい〜〜!!」

 

 

どうですか、これだけ長いセリフと演技を使って猫になった翼のかわいさを表しています。

 

女の子の喋る言葉に「にゃ」を付けると可愛くなる、という意味を伝えるだけでこれだけ長いセリフにしています。

 

このやり取りがとても面白い。

 

この会話が例えばシナリオの常識を守っていたとしたらここまで伝わるもののボリュームは出なかったことでしょう。

 

だからセリフは長くてもいいのですね。

 

ただし、面白くなければいけません。

 

何らか面白さの伝わる意味があってこそ長くても許されるのです。

 

セリフの長さが演出に繋がるのです。

 

意味の無い長いセリフはやっぱり意味がありません、ということです。

 

こういった手法が西尾維新アニメプロジェクトの物語シリーズの特徴としてこの後の作品にも反映されています。

 

化物語には独特の手法が使われていて、それはシナリオの範疇から外れているものもたくさんあるのですが、伝えられるべき意味や本質は変わりありません。

 

もしこういった個性が自分で発揮できるのならシナリオの常識なんてくそ食らえ、ってなもんです。

 

そういったことを教えてくれるのが「化物語」です。


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