「ソードアート・オンライン(第一期)」から読み解くシナリオ脚本スキル

ソードアート・オンライン(第一期)|シナリオスキル|理由と解消

今回のお題は

 

「ソードアート・オンライン」から読み解く理由と解消、です。

 

物語の整合性、理由付けの話になります。

 

架空の物語であるファンタジーは、アニメでは常套手段のひとつです。

 

それはアニメーションというものが想像次第で何でも描けるという特性にマッチしているから、なのです。

 

実写では突飛な演出は物理的に不可能です。

 

最近ではCG技術の発達によりかなり現実離れしたシーンも見せられると言えば見せられます。

 

それでも俳優に演じさせて実際に空なんか飛べるわけでもないし、CGであってもに制作費により品質だってピンキリです。

 

お金を掛けられなければ戦隊モノや子供向けヒーローモノのようなちゃちい画しか作れません。

 

ハリウッドのような精巧なCGは相当お金が掛かっています。それを賄うことはテレビ局にはできません。

 

コストと作品は無関係ではないのです。

 

その点アニメでは、確かにコスト差による品質の違いはありますが実写ほど乖離していません。

 

故に架空の世界観を描くことに向いているのがアニメーションです。

 

実写とアニメの表現による最大の違いは説得力にあります。

 

観客に伝わるリアリティです。

 

アニメでは実写のようなダイレクトなリアリティはなかなか出せません。

 

リアルライクなCG技術も発達しましたがやはり生の人間の姿には敵わない。

 

そのかわりアニメは手で何でも描くことが出来るので実写では不可能な描写も可能です。それも特別なシーンだからといってコストに違いが生まれません。

 

しかもアニメなら徹頭徹尾絵で表現するので実写のようなCGと実写の切り替えや描写の違いに違和感か生じません。

 

安い実写のCG表現では画の切り替えにそうとう嘘くささが感じられます。

 

ハリウッド映画のような高品質なCG描写ではこの違和感が徹底的に排除されています。

 

そんなところも見て取れる部分です。

 

さて、シナリオ的には実際の所あまり違いがありません。

 

実写であろうがアニメだろうが、特徴の違いや向き不向きの考慮は必要ですが、シナリオのコスト的なことを言えば媒体が違おうと変化するものではありません。

 

アニメがファンタジーや架空の世界観を描くことに長けているといっても、そこに描かれている物語に実写と同等以上の説得力がなければ、やはり面白いとは思って貰えないでしょう。

 

媒体に違いはあれど結局シナリオでは人が見る以上一定のリアリティがなければ観客には伝わりません。

 

アニメだろうと実写であろうと、演劇であろうとこのあたりに違いはありません。

 

特にアニメのファンタジーをたくさん見てみて、このリアリティにものの善し悪しがある気がします。

 

その善し悪しとはズバリ、理由です。

 

ちょっと矛盾していますよね、架空とリアルの両方をお話ししています。

 

フィクションでもリアリティを追求しなけれなればなりません。そうしないと終始嘘話になってしまいます。

 

それには例え架空がお話しに含まれていても、リアリティがないと理解されないのです。

 

どんな世界観でもいいのですが、その世界観に至る経緯や理由に説得力のない作品が多いと思います。

 

それでも商業コンテンツとして売られているのですから、世の中及第点でもいいのかもしれません。及第点でも面白いと感じる人がお金を払っているのですから、その事実を否定はしません。

 

シナリオだけが映像の価値ではありませんし。

 

今回紹介する「ソードアートオンライン」、SAOと呼ばれていますがこういった整合性に長けている作品です。

 

ちゃんとつじつまがあっています。

 

川原礫さんのラノベ原作モノで、ウィキのジャンル分けによるとVRMMORPG、サイバーパンク、バトル、ファンタジー・・・だそうです。

 

つまりゲームの仮想空間において戦う話、なんですが単なる娯楽としてゲームをプレイする、という範疇ではありません。

 

もっと切実な理由付けがなされています。

 

アニメ版はこの記事を執筆している段階で3期目のアリシゼーションが放映中です。

 

その他にもスピンオフのガンゲイルオンライン、劇場版のオーディナルスケールがすでに発表されています。

 

かなりヒットしたアニメなのでオタで知らない人はいないでしょう。

 

三期を除いて伊藤智彦監督、キャラデザは足立慎吾さん、脚本はセブンデイズウォーのメンバーが書いています。

 

第一期は2012年に放映されました。もう古くなってきましたね。

 

それでも未だに続いているのもそういった理由付けがしっかりなされているからだと分析します。

 

つまり「戦う理由」です。

 

SAOの世界に取り込まれた主人公のキリトは生き延びるために戦います。

 

命のやりとりを強いられる世界がデフォルトとしての架空があります。

 

通常我々は物理的な戦いをしません、する必要なのない時代に生きています。

 

これが我々のリアリティです。

 

それを覆すには何らかの理由が絶対に必要になります。

 

その理由とはただの名誉だったり、自己満足だったり、ゲームならば対戦相手に勝つなどの深度の浅い理由付けであればお話しはすぐに終わってしまいます。

 

人の心を動かすような描写を必要としない程度であれば理由の深度が浅くても成立します。

 

もし感動を呼び込みたければ、もっと深刻で切実さのある別の理由や事情を付加しなければなりません。

 

スポーツモノやゲームだって退場やログアウトすれば簡単に解消出来ます。

 

昔はそれでも、“情熱”といったものでもお話しが作れましたし感動も呼べました。

 

今は違います。

 

いかに整合性のとれた理由付けが出来るのか、

 

ここが肝心なんですが、特に導入部での理由付けが明確かつ切実でないとその後の話が引っ張れません。拡張しないのです。

 

キリトが囚われたSAOの世界こそフィクションではありますが、描かれているのは我々のリアルと同じ人の営みです。

 

故にヒロインのアスナの存在が際立ちます。

 

ソードアートオンラインの話属性は“命の危機”です。

 

第一期、話の発端は自分の意識をVRゲームに預けてゲームプレイを楽しむという近未来的なストーリーボードにおいて、ログインしたゲーム内に囚われてしまう、というものです。

 

プレイヤーは自分の意思でログアウトできません。

 

そしてゲーム内での“死”は現実の“死”と直結してしまいます。

 

ログアウトするにはゲームコンプリートするしか選択肢がありません。

 

助かるには勝たなくてはならないのです。

 

このような切実な理由があって人々は葛藤を始めます。始めることが出来るのですね。

 

このような囚われて戦うお話し自体は昔から踏襲されています。

 

ダイハードではビルそのものが囚われの場となっています。

 

エアフォースワンでは大統領専用機がジャックされます。

 

スピードではバスジャックです。

 

何らかの環境や他人の意思により自由が制限されるお話しは葛藤を呼び込める格好の理由付けになりやすい、しかも仕掛けた側に超法規的な理由が根底にあったりします。

 

ソードアートオンラインの場合はバスではなく、大統領専用機でなく、バーチャルゲームになっています。

 

共通点は自他共の“命”です。

 

これが人間にとって最大の行動理由になります。

 

これが人間にとっての最大のリアリティになるのです。

 

第一期はそんな環境から脱するため、SAOから生還するまでの物語になっています。

 

当然全員生還できません。それは生き残った人々の傷になります。

 

フィクションでもこの切実な理由と解消についてはとことんリアリティを反映させないと面白くなりません。

 

いきなり救世主が現れてまるっと解消してはいけません。

 

なぜならそんなことはリアルに反するから、有り得ないからです。

 

このように有り得ない架空でも想像の領域でも、それを追求していいシーンとそうじゃなくてリアルにこだわる部分と分けなければ話が崩壊してしまいます。

 

つじつまが合わなくなります。

 

特に導入部での理由と過程(ストーリー)を経た解消についてはリアルとして整合性を持たせないと「何だったんだ」という“うやむや感”が出てしまいます。

 

そのあたりがちゃんと出来ていればソードアートオンラインのような「しっかりした作品」に仕上がります。

 

命が掛かっているお話しでは命の重さをどこまで表す事が出来るかが勝負です。

 

稚拙なお話しではカンタンに人が死にます。

 

それじゃダメです。

 

どこまで命の尊厳を表現出来るか、世界観、モチーフとはその過程での舞台に過ぎません。

 

例えSAOのような架空の世界でもそこにいるのは我々と同じ人間なのです。

 

だからリアリティが必要なのですね。

 

今回は第一期の話にしようと思っていましたが、第二期、ファントム・バレット編の展開がとてもいい形のエンディングを迎えるお話しですので紹介します。

 

第二期のメインヒロインであるシノン(Sinon)こと朝田詩乃は女子高生です。

 

彼女は子供時代に人を殺した経験がありました。

 

それは郵便局に押し入った強盗の拳銃を奪って犯人を撃ち殺してしまう、という正当防衛であるものの、彼女の心に深い傷を負わせました。

 

高校生になってもPTSDに苦しむシノンは自分を強くするためにガンゲイルオンラインというゲームで一番を目指します。

 

一番になれば自分の弱さを克服できると信じて葛藤し奮闘します。

 

その過程を主人公であるキリトと行動を共にするのですが、実際に一位になっても本当の解消になりませんでした。

 

エンディングではシノンの心の傷を癒やす最大の演出がなされています。

 

何だと思われますか?

 

自分と母親を狂気から守るために犯人を撃ち殺したシノンにとって何が癒やしとなるのでしょうか。

 

キリトはシノンが「会うべき人に会っていない、聞くべき事を聞いていない」と諭してある人物を招きシノンに会わせます。

 

会わせた人とはシノンの行動によって守られた人です。

 

シノンは自分の行動に負い目しか感じていませんでした。

 

「人を殺した」事実だけに苦しんでいました。

 

でもその時のシノンの勇気によって助かった人がいたのです。

 

シノンは自分以外の人を助けた事実を知りませんでした。

 

それがキリトの橋渡しによって叶いました。

 

シノンが自分の弱さを感じて克服しようとする、これが理由でシノンの行動が正しかったと気付くこと、これが解消となります。

 

このシナリオには脱帽です。感動しました。

 

詳しくはネタバレになるので是非ソードアートオンラインを見て頂きたいのですが、切実な理由があって初めてエンディングで描かれる“解消”に心が動くのです。

 

切実な理由があってお話しがスタートして、ストーリーを経て、そしてどんなエンディングという解消を示せるのか。

 

それは“人の本質”になるのです。

 

そのいい例がソードアートオンラインの第二期にはハッキリと描かれているのです。

 

ちなみに間違ってもその過程を“起承転結”などに置き換えてはいけません。

 

本質を見失います。


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