「竜とそばかすの姫」から読み解くシナリオ脚本スキル

竜とそばかすの姫|シナリオスキル|アニメの嗜好

今回のお題は

 

「竜とそばかすの姫」から読み解くアニメの嗜好、です。

 

実は昨日、劇場で見て参りました。

 

この記事は2021/8/5に書いております。

 

いつもこのブログに載せる作品は作品通して何度かDVDで見返してから書いています。

 

例え、見るだけでも2クール8時間掛かっても必ず見返しています。

 

一度見た程度ではなかなか本質まで見極める事が出来ないためであります。

 

ですので、一般放映されても例え記事にするとしても半年以上のラグが生じています。

 

そこへ持ってきて昨日一回しか見ていないので的を得ない意見かもしれません。その点はご了承頂くとして・・・

 

全体的な作品としては優秀な作品だと評価出来ると思います。

 

特に映像は圧巻で、さぞかしレンダリングに時間が掛かったことでしょう。

 

CGワークは当代一番だと思います。

 

しかしながら、このブログはシナリオスキルをテーマとしています。

 

それにはいささか意見を禁じ得ませんでした。

 

大変、世間的に話題作でもありますから、ちゃんと見ておこうと出向いたわけですが、正直、

 

「これでいいのか?」というのが私の感想です。

 

細田守監督の作品は、実を言うと見ていません。

 

なぜか、見ていません。

 

細田守監督のセミナーには参加したことがあります。それでもDVDでも見ていません。

 

多分、東映系の監督さんだからでしょうか、さらになんとなくジブリチックなところもあえて見る必然を感じていませんでした。

 

東映系が悪いとか、ジブリが好きじゃない、ということではありません。

 

アニメコンテンツとして私が選んだ結果です。

 

東映は子供向けが得意です。

 

ジブリは、昔は違いましたが、今は劇場版を中心としたメガプロジェクトです。

 

どちらも対象者としては子供向け、なんですね。

 

無論、子供向けを馬鹿にしているわけではありません。

 

夏休みとかに集中するような劇場公開の子供向けアニメコンテンツって難しくって、

 

子供と、子供を引率する親御さんや大人にも響かなければならない、という命題が課せられています。

 

世代の違うユーザーにウケなければならない、シナリオ的に難しいんですね。

 

そしてその道に生きてきた監督が作って、夏休みシーズンに公開された「竜とそばかすの姫」を見て思うことは、

 

不完全さ、です。

 

あくまで私の私見です。作品自体はけっこう革命的な作品です。

 

特に映像表現は。

 

でもシナリオ的にはどうでしょうか。

 

あらすじは割愛します。進行中の企画でもあり、気になるなら「自分で劇場行って観ればいい」からです。

 

高知県の片田舎の女子高生「内藤すず」がネットの仮想世界「U」の歌姫として活躍し、Uで出会った「竜」との関わりを通じ、現実世界でも「竜」を救済するお話です。

 

超テキトーなプロットですがこの程度しか言いません。

 

少しアニメ評論みたいになりますが、

 

「すず」がUのアバター、「ベル」として有名人になるのは定石です。

 

でももう一人の主人公「竜」との出会いのきっかけが弱く感じました。

 

単純にジャスティンに追われてベルのライブに乱入した、程度です。

 

弱いというか、足らない。

 

「竜」はアバターなので当然オリジンがいます。

 

そのオリジンをすずが探し当てるのですが、

 

それはUの世界ではなく現実世界として締めくくられています。

 

それはそれとして成立はしますが、なんといいましょうか、

 

現実世界で完結するなら現実世界から話を始めるべき、と思うのです。

 

布石として初めから現実世界のすずとの繋がりが欲しかったと思います。

 

個人的に「竜」のオリジンがすずの幼なじみのしのぶくんだったらもっと話が拡張するのではなかったでしょうか。

 

Uでの出会いをきっかけとするなら、Uの中でもっと心を通わせるエピソードがあってもよかったのでは、とも感じました。

 

繋がりが足らない。

 

そして何より、「これはまずい」と思った部分が、

 

「虐待ネタ」と使ったこと、です。それも中途半端に、です。

 

これはあえて批評させて頂きます。

 

劇中、父親が子供を戒めるシーンがありますが、かなり迫力がありました。

 

特にIMAXで見ていたせいか、父親の叱責は生々しく描かれていて、前の席にいたお子さんは泣き出していました。

 

それは作品性、そしてリアリティを追求した形であることは理解できます。

 

理解できますが、この作品は「誰に向けて書かれたモノなのか」に疑問を感じます。

 

その虐待ネタも回収が甘いのです。問題提起にもなっていません。

 

少なくとも子供向けであるなら全員ハッピーエンドにするべきであり、そうしないのなら使うべきでないネタです。

 

使うにしても、例えばUの中のアバターとして使うとか、何らかオブラードに包む必要を感じます。

 

家族連れで観に来ているのに、その家族関係の闇をダイレクトに描いてしまうと、そのインパクトが強すぎて後に引きずります。

 

虐待した父親は逃げて終わっています。切り捨てています。これでは不完全ではないでしょうか。

 

あくまで子供向けである以上見ている子供を恫喝で泣かせるべきではありません。

 

感動で泣かせるべきとは、言うまでもありません。

 

シナリオスキルとして、いくら感情をえぐる、といっても結果を考えないでいい訳ではありません。

 

大人向けなら「ひぐらしのなく頃に」にしても構いません。

 

ましてや案外「美女と野獣」的な平和なお話になりそうなところに持ってきて「それはないだろ」と率直に感じました。

 

他にもアニメ的には総じて声の演技が足りません。

 

「打ち上げ花火下から見るか横から見るか」でもさんざん感じましたが・・・

 

ベルの歌としてのクオリティを求めたキャスティングであることは容易に想像出来るんですけど、

 

シンガーは声優ではありません。

 

すずのキャラクターイメージともズレを感じました。

 

確かにアニメコンテンツも商売ですから売れなければ始まりません。

 

特に劇場版は多額の予算が掛かっていますから外せない大人の事情も分かります。

 

でも、歌や音楽に傾倒させたいのなら音楽パートだけシンガーに任せる方がベターと解釈します。

 

現に「マクロスF」では歌姫シェリル・ノーム役は声優として遠藤綾さん、歌シェリルとしてMay`nさんと分けられていて、ちゃんと素敵な作品になっています。

 

俳優は声優ではありません。

 

シンガーも声優ではありません。このあたりをひとまとめにして欲しくなかった、と思いました。

 

映像クオリティがいいだけに、配役にもクオリティを追求してほしかった・・・

 

私がジブリ系をあまり見ないのも、こういったキャスティングに難を感じるからです。

 

感情移入できる品質の声のあて方をしてほしいと、いつも感じます。

 

それが本当に出来ないのか、といえばそんなことないはずです。

 

こういった裏技が出来るのもアニメコンテンツのいいところです。

 

きれいな作品だったので残念に思いました。

 

総じて、シナリオ的には他の専門家、脚本家に書かせても良かったのではないでしょうか。

 

新海誠さんならどう書くのか、花田十揮さんなら、岡田麿里さんなら、子供向けの得意な人でもいいですよね、

 

浅香守生さんなら、故人ではありますが首藤剛志さんなら、もっと新しい人なら兵藤一歩さんなら、ウシロシンジさんなら、

 

監督さんも人脈があるにせよ、少なくとも見ている子供を泣かせるような構成はしないのではないでしょうか。

 

シナリオ研究家は是非見て欲しい作品です。

 

そして、何が足りていて、何が足りてないのか、さらに、なぜそうなったのか、を感じてみて頂きたいのです。

 

なにより私の意見は私の嗜好からきています。

 

アニメのいいところは「食いつくところが多いこと」だといつも感じます。

 

画、色、動画や音楽、シナリオ、声優、制作、プロモーション、ありとあらゆる食いつきどころが存在するのが日本のアニメです。

 

それはユーザーそれぞれ違います。

 

故に同じ作品の話をしていても、片や監督が贔屓で見る人もいれば、コスチュームで見る人もいる、パチスロからファンになった人もたくさんいます。

 

それはそれぞれ専門分野の集大成でもあり、専門分野があるなら専門家がいます。

 

伊達に専門家が存在しているわけではない、と言いたい。

 

もちろん、監督業と脚本家も違います。

 

その専門性にユーザーの好き嫌いが根底にあるのですね。

 

すずはすずの母親が身をもって示した自己犠牲の意味を自ら体現して成長していきます。

 

物語の本質は至って普遍的なものでいい作品でした。

 

個人的にはシリーズものにして、もっと尺の取れる環境でそのあたりじっくり描いて欲しかったと感じながら豊島園を後にしました。

 

あの映像では予算的にムリか。

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