かくしごと|シナリオスキル|普遍性、人との繋がり
今回のお題は
「かくしごと」から読み解く普遍性、人との繋がり、です。
この「かくしごと」、初めイントロダクションを見ただけでは単に、
新房昭之監督作、西尾維新原作物語シリーズの主人公、阿良々木暦が大人になって漫画家になったような話・・・
と思っていましたが、全く違いました。当然ですが。
主人公の漫画家「後藤可久士(ごとうかくし)」先生の声は神谷浩史さんなので、そんな印象が強かったのです。
ギャグを得意とする久米田康治さんの漫画原作です。私が知っている範囲では「じょしらく」ですかね。
アニメ版は2021年春期に放映されました。
監督は村野裕太さんです。亜細亜堂の監督さんで私は見ていませんが「ぼくらの7日間戦争」が有名です。
シリーズ構成はあおしまたかしさんで、この方の作品はけっこう見ています。
「夜明け前より瑠璃色な」「ゆるゆり」「みなみけ」「恋愛ラボ(らぶらぼ)」「うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」など、ギャグの得意な脚本家です。
総じてギャグの得意なスタッフによるギャグタッチの「かくしごと」ですが、本質は至ってマジメな題材になっています。
主人公の「後藤可久士」先生も原作者同様、ギャグ漫画家です。しかも「下ネタ専門」です。
後藤の愛娘であるヒロイン「後藤姫(ごとうひめ)」との父子愛を描いた作品です。
まず、「かくしごと」は画が素敵です。
最近見かけなくなったグラフィック調の絵と独特のデフォルメ感にて清潔感のある絵作りがなされています。
これってなんていう画風か、よくは知らないのですが、その昔わたせせいぞうさん原作の「ハートカクテル」という秀作がありました。
わたせせいぞうさんのキャラデザとはもちろん違いますが、そのラインの描き方がなされています。
ビビットな色調で区切られ組み合わされた背景に載せられたキャラクターの表情はデフォルメでありつつ悪ノリしてなくて清純なイメージがあります。
この画風の魅力はモノクロでは出せません。フルカラーで発色が命、みたいな画です。
主人公の可久士先生こそ阿良々木暦に似ていますが、他のキャラクターには必要なデフォルメしか与えられておらず至って整頓されたキャラデザに仕上がっています。
ヒロインの姫も、黒髪ロングの前髪ぱっつんキャラですが、描かれている中心年代が10歳ということもありとても可愛く描かれています。
姫の声は高橋李依さんでこの方は、おでこの可愛いキャラクターを演じるのが似合っています。
お話は可久士先生が自分の職業である下ネタギャグ漫画家に抱く世間体的なコンプレックスを気にして、それを姫に隠し通そうと奮闘するものです。
無論、ギャグ漫画家という職業はいくら下ネタでも立派な職業だし、漫画家で自分のプロダクションを持っていること自体憧れ性でもあります。
でも当の可久士先生はそう思っていません。恥ずかしいと思っています。
その辱めを姫に与えてはならないと、あれやこれや見当違いを繰り返します。
それでも貫こうとする動機は愛娘への愛です。
しかも可久士先生の妻、姫の母親は事故で行方不明になっていていません。
そんなシリアスな現実が与えられているのですが、暗くならずに済んでいるのはこのギャグです。
とにかく見ていて面白い、笑えるシーンがたくさん出てきます。
布石としてシリーズの冒頭、アンチテーゼとして姫が大人になる18歳から見せています。
その布石はシリーズ中ちょくちょく見せていますがそこには母親も可久士先生も出てきません。
オープニングでも姫の成長に伴い小学生、中学生、高校生と移り変わるシーンが描かれますが、高校生の姫には可久士先生が消えてしまいます。
見ていてこの布石って、可久士先生も姫の前から消えるのかと思い、それは姫が可愛そう過ぎるだろうと感じましたが、あっさり回収で解決されます。
可久士先生はそんなことでは姫への愛を諦めませんでした。ネタバレしたくないので後はご自分で確認してください。
他にも漫画家が漫画家を描いたことだけあって笑える業界筋のネタがたくさん出てきます。
それもほとんど全てのネーミングに掛け詞(かけことば)が多用されていてリアリスティックでありながら生臭くなっていません。
可久士先生もかくしごとがあるから可久士先生なのです。
ギャグテイストのベースでありながら、語っていることは普遍性です。
単なる父子愛ではありますが父子にならざるを得ない事情というのはシリアスです。
そのシリアスをギャグが浮き彫りにさせて、最後の方はけっこう泣ける作品です。
シナリオスキルとして、シナリオに描くこととは柱に書くことでもなければ、ト書きやセリフに書く事ではありません。
書くことと描くことは違います。
書くことはツールです。何を描くのか、といえばそれは・・・
人の普遍性です。
普遍性とは「理由のない感情」のことです。
可久士先生の姫への愛情は理由がありません。
それは人として与えられている基本要素だからです。
シナリオの根源とはこの普遍性に由来します。
普遍性を起源として、どのようにして表現するのか、それがシナリオの役割になります。
これが曖昧だとシナリオとしていくらカッコいいアクションを見せても、素敵そうなセリフをキャラクターに言わせても説得力がありません。
どうやら原作の久米田健康さんご自身の経験が「かくしごと」のネタ元になっているようですが、こうしたリアリティがあって物語に厚みが出ます。
誰にでもかくしごとはあります。
それは面白いものではないかもしれません。
ではそのシリアスをどうやったら面白く出来るのか、その答えとして「かくしごと」ではギャグを用いました。
シリアスとギャグ、この相反する要素を組み合わせて面白くない現実を面白くしています。
それは何も特別なことではなく、誰にでもあることです。これも普遍性です。
故に「かくしごと」は人の普遍性であって、だれにでもある普遍性ならば、あなたにも描けるシナリオスキルが詰まっているのですね。
このようなリアリティに富んだ「かくしごと」ですが、私的に特別感情移入出来た点があります。
この作品のロケーションは「旧山手通り」にあります。
東京都の渋谷区と目黒区の境に走る道路ですが、実際に存在します。
そして私が姫の年代に過ごしたプレイスでもあります。
私の年少時代から成人になってから結婚するまで居住していた地域がこの旧山手通り界隈でありました。
だから聖地巡業地図などなくとも懐かしい描写がいっぱい出てきました。
旧山手通りは駒沢通りの鎗ヶ崎交差点から国道246号線の神泉町交差点を過ぎて渋谷区松濤付近で山手通り(環状6号線)に合流するまでの短い幹線道路です。
いわゆる代官山です。
劇中可久士先生がスーツに着替えていた場所「マリオットランチマーケット」は古着販売の老舗、「ハリウッドランチマーケット」です。地元ではよく”お化けが出る”と有名でした。
可久士先生が休憩したり、姫の担任の一子先生が犬の散歩で歩いていた場所、エンディングで可久士先生と姫が向かい合っている公園は「西郷山公園」です。その昔公園のすぐ下に元祖ハワイ出身力士、ジェシーこと「高見山」が住んでいました。
姫の学校友達で結成した「めぐろ川たんていじむしょ」が捜査したスタバや本屋は「代官山S−SITE」です。元の電電公社社宅の跡地です。スタバやツタヤをディスっている描写は面白くて納得いきました。
エンディングで往年の名曲「君は天然色」に載せて姫が歩いている橋は西郷橋で、隣にはフレンチの「マダム・トキ」が描かれています。「マダム・トキ」は昔のヒットドラマ「王様のレストラン」で使われたお店です。
他にも姫のクラスメイト、東御ひな(とうみひな)が言うところの「コンシェルジュ」とは、確かに公立の小学校に通っている子供でもその親は社会的に地位の高い人、芸術家や芸能人、外交官が多かったのです。
私も小学校時代、友達の家に遊びに行くとフツーにお手伝いさんとかいました。
高級アパートメントも昔から多くてお手伝いさんやコンシェルジュが存在する地域です。そういった地域特性に由来しています。
G−PROがある場所は渋谷区猿楽町か代官山町、鉢山町だと思われるし、可久士先生の自宅は目黒区青葉台、東山界隈だと思われます。
地形的にも目黒川が一番谷になっていて、代官山へはきつい上り坂になっています。
このあたり、昔はそうでもなかったのですが今はすっかり高級住宅地ですね。
故に「おしゃP」がたくさんいます。
姫がオープンテラスの店の前を走っていますが、あのお店は「ASO」です。
都内におられる方はなんとなく代官山には行ったことがあるかも、ですがこの旧山手通りには題材にしやすいプレイスがたくさんあります。
ブティックや高級レストランが入っている「ヒルサイドテラス」、非常事態宣言でも自粛しないグローバルダイニングの「モンスーンカフェ」、あの美空ひばりさんの自宅もあります。
こんな感じで私の育った街がちゃんと描写されていて感情移入しやすい作品でした。
さらに私は鎌倉にも住んでいたこともあり、(舞台は江ノ電の七里ヶ浜ですが、私は海から離れた北鎌倉でした)なんとなく共通するものを感じて見ていました。
これって、ゆかりがあるかどうか、は別として、シナリオ的にロケーションは大切です。
場所指定はシナリオの要です。だから柱なのですが、何らか物語には場所が必須なのでこういったイメージを作りやすいプレイスには必ず足を運ぶべきですよね。
代官山も鎌倉も非常にロケーションに適しています。華がある。
人の普遍性を理解しているとして、それを具体的にデザインするのがシナリオです。
場所とは舞台です。故にデザインには欠かせません。
まずは行ってみて、それから創作しても一興であると「かくしごと」を見ていて感じました。