Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)|シナリオスキル|布石の構造と登場人物の価値

今回のお題は

 

「Steins;Gate」から読み解く布石の構造と登場人物の価値、です。

 

実は先ほどまでMAGES系のアニメ「この世の果てで恋を唄うYU-NO」を見ていました。そして5話で折れました。

 

ゲームに詳しい方はご存じかもしれませんが「志倉千代丸」という天才がいます。

 

MAGESは志倉千代丸さんの会社です。

 

ゲーム屋さん、音楽屋さんですが、アニメにもよく出てくるクレジットです。

 

私もMAGES系は要チェックなキーワードになっています。志倉千代丸とあれば見ておくようにしています。

 

内容的には外れたり、当たったり、外れたり、があるのですがアニメ的な品質で言えば他者に引けをとりません。

 

そんなんで「YU−NO」も見ていたわけですが、これは外れました、私的に。

 

ゲーム原作に多いのですが、ゲーム原作をアニメにすることって難しくて、漫画原作やラノベ原作のそれを凌ぎます。

 

それはMAGES系に限らず出来上がった作品を見ればどこでも同じような問題があります。

 

Key/ビジュアルアーツもしかり、スパイクチュンソフトもしかり、その他のゲーム原作諸々・・・です。

 

総じてゲーム原作におけるアニメの欠陥とは媒体の変更にあります。

 

それはゲームシナリオからアニメシナリオの違いを変えるのが上手くないから、なのですが、それはプロデューサー、監督、脚本家の資質に寄ってきます。

 

症状はこんな感じです。

 

話の展開が早すぎ、または遅すぎ、エピソードを詰め込みすぎ、または間延びしすぎ、プロットにまとまりがない、ディテールだけに比重を置かれていてストーリーが置き去り・・・

 

とまあ、ゲームのアニメ化は大概のゲームファンが思っているように「面白くない」結果になっています。

 

「YU−NO」の場合は展開の遅さでした。

 

名だたる脚本家が参加しているにもかかわらず、症状はやっぱりありました。多分シリーズ構成に難があったのでしょう。

 

5話まで見ましたが、ここまできてもメインストーリーに発展がありません。恐らく布石を置くことに偏ってるのだと思われますが、5話に至るまでそれに費やしています。

 

通常メインストーリーに関わる展開はせめて2話くらいまでに動きを見せないと観客は飽きてきます。

 

布石を置くにしてもメインの筋が動いていないと前置きか布石か状況説明か、はたまたそれが本筋か、が分からなくなります。

 

それはシナリオの批評家でなくとも見ていれば普通に感じるストレスです。

 

5話までの展開や今後示されるであろうエピソードの置き方に問題を感じました。

 

「YU−NO」は全クール分録ってありますが最後まで見るかどうかわかりません。

 

なんかつまんないので、いい作品を見たくなり「Steins;Gate」を久しぶりに見返しました。

 

そう、志倉千代丸って凄い、と感じた作品が「Steins;Gate」でした。

 

7,8年ぶりに見たのですが、やっぱりよく出来ている。

 

「Steins;Gate」の前作に「Chaos;Head」という作品がありました。

 

「Chaos;Head」も少しだけ見た記憶があります。でも外れでした。薄い印象ですが主要人物は学生設定だったと思います。

 

その学生の設定が物語りに「そぐわない」と感じた事を今でも覚えています。

 

シナリオ的に物語と設定は車輪の両輪です。

 

互いにふさわしいかどうか、検証しなければなりません。それを無視すると違和感しか感じません。

 

これもゲーム原作に多い症状のひとつですが、ゲームなら違和感がなくともアニメを使ってストーリーを見せる場合、おかしくなることが多分にあります。

 

「Chaos;Head」もそうだし、「YU−NO」もそんな感じです。

 

ゲーム的には成功しているみたいなのでやっぱり媒体の変更が上手くいってないのでしょう。

 

特に監督が絵描き出身だと上手くないようです。

 

話を戻します。

 

「Steins;Gate」のアニメ版は2011年に放映されました。もう古くなりましたね。

 

アニメというよりはゲームの展開に大きな幅があって、まあアニメ版はメディアミックスのオマケのような感じがします。

 

MAGESの前身である5bpとゲーム屋さんのニトロプラスが作りました。

 

監督は佐藤拓也さん、浜崎博嗣さん、スペシャルとして小林智樹さんです。

 

複数の監督が参加されていますが、演出系と絵描き系両方からの布陣です。

 

シリーズ構成は花田十輝さんで脚本は花田さんはじめ横谷昌宏さん、根元歳三さんとベテランが仕切ります。

 

一貫してMAGES系のタイトルは物理法則や平行世界、パラレルワールド、タイムマシンのような時間に関する題材が多く見受けられます。

 

「Steins;Gate」は非常に複雑なプロットで設計されていて、初見で見たときには正直意味が分かりませんでした。

 

ゲームに「萌え要素」しか感じていないユーザーが見てもそう思うことでしょう。

 

特に描かれる時間軸の変更がたくさんなされるので、見ていて前後関係がごちゃ混ぜに感じます。

 

アンチプロットという言葉があるのですが、簡単に言うと「収束しないエピソードの集まり」です。

 

通常、プロットには一貫性があります。それがないと見ている人は混乱するからです。いわゆる「つじつま」を合わせないといけません。

 

通常のプロットが構造的であるお話に対して、アンチプロットは反構造的です。

 

つまり順当な推移でお話を進めないで、あえて見せるだけしか描かない、結果やテーゼなんか提示しない描き方を指します。

 

もっと詳しい理論があるのですが、極簡単に言えば「結末がない」ということでいいと思います。

 

でも何度か見るとなにげによく出来ています。

 

前作の「Chaos;Head」からは場面設定のみ引き継がれたそうで、登場人物はオリジナルです。

 

中二病の主人公「岡部倫太郎(おかべりんたろう)」は大学生で、アキバの雑居ビルの一室に「未来ガジェット研究所」を営んでいます。

 

倫太郎は、たまたまタイムリープマシン「電話レンジ(仮)」を作り上げてしまいました。

 

発端は倫太郎がラジ館で殺されたサブヒロインの「牧瀬紅莉栖(まきせくりす)」を発見するところから始まりますが、ケータイの操作をしたことで別の世界線に移動して生きている紅莉栖に出会います。

 

こんな感じで時間軸が違う世界、世界線の移動を繰り返して物語は深刻な状況に追い込まれていきます。

 

物語は複数の布石を置いて、最後に回収する、といった流れです。

 

シナリオスキルで秀逸な点は人物単位で布石が描かれている、というところです。

 

ヒロインの「椎名まゆり」をはじめ、「牧瀬紅莉栖」、「桐生萌郁」、「漆原るか」、「秋葉留未穂」、「阿万音鈴羽」はそれぞれ役割がある上に必ずそのキャラクターの「人生」が描かれています。

 

これらのキャラクターは何らかの事情やいきさつがあってそこに存在し、行動します。そこにはそのキャラクター特有の理由がちゃんと時間を掛けて描かれています。

 

「人生」が描かれるとサブキャラクターであっても一気に存在感が増します。

 

逆に人生レベルの描写がないと人物は記号化してしまい、感情移入は起こりません。

 

布石として人物の人生が描かれて、過去に行って(正確には過去にメールを送って)影響を与えたり、また戻ったりを繰り返します。

 

特に「まゆり」の件は倫太郎の感情があらわになるほど繰り返されます。

 

昔、私は「バタフライ・エフェクト」というアメリカ映画を劇場で見たことがあります。

 

もうほとんど覚えていませんが、確か過去改変によって誰かを救うお話だったと思います。

 

救えなかったのかな?でも人物の感情はなんとなく覚えています。

 

どうしても死んで欲しくない人物がいて、その大事な人が死んだとして、過去を変えられる事が出来るのならば、たぶん倫太郎みたいにさんざん同じ事を繰り返すでしょう。

 

どうやら時間というものは過去の改変を拒むようで、過去に戻っても結果は変えられないのが常識のようです。

 

この描写は割とよく使われる感情表現ですが、それでも惹かれます。

 

何度も繰り返すので当然、倫太郎はまゆりの死に際と絶望をその都度味わってしまいます。

 

このように時間軸の変更が幾重にも行われますので、見ている方は話の前後をしっかり記憶する必要があります。

 

世界線の移動とタイムリープとも違っていて、初見では整合性を疑いましたが、よく見れば整っています。

 

これは監督や脚本家が優秀だった事によるものと思います。

 

そして収束に至っては、まさにどんでん返しが置かれていました。

 

ちょっと設定の力業的な描写でしたが、それでも「過去の自分を騙せ」というアイディアには感心しました。

 

「こうやってアイディアを反映させるのか」とその手法に魅せられました。

 

アンチプロットに見えた物語はしっかり収束してハッピーエンドに落ち着くお話になっています。

 

いやはや、こんだけばらけた話をまとめる力はどこから来るのでしょうか。

 

人物に感情移入も出来るし、ときたま見せるアキバ的二次元ギャグも面白いし、まだスマホもないガラケーだし、ラジ館も新しくなっていません。(昔のラジ館は暗かったのです)

 

α世界線からβ世界線を目指して、ダイバージェンス1%の向こう側へ・・・

 

世界観で使われる言葉もクールで印象的です。ニキシー管を使ったダイバージェンスメーターも当時流行りました。

 

ゲームシナリオって私個人的には詳しくありませんが、たくさん分岐を置いて同じシチュでも複数のシナリオを作らなければなりません。つまりは複数の筋を考えなくてはなりません。

 

その分岐したシナリオはユーザーの選択に耐えるため複数の筋を用意しなければなりませんが、

 

映像との違いはアニメにしても実写映像にしても、そこに描かれるのは一本の筋でしかありません。

 

2本も3本も描けない縛りがあります。

 

その一本の筋に対して時間経過と共に複数のエピソードを連ねていきます。平行することは構造上出来ないのです。

 

故にゲームの映像化は複数ある筋の中から選んで、または再編して一本化することが求められます。

 

でも現実的に複数の筋があるので、なんとか盛り込もうとします。そしてその物語は詰め込んで、尺が決まっているので端折ってお話が進みます。

 

これでは面白さ以前の問題です。

 

ゲームにはゲームの流儀があるように、映像には映像の流儀が存在します。

 

ゲームでは面白くなければ別選択も出来るでしょうが、映像は出来ません。

 

そこんところを分かって作られていないからゲームユーザーからも「ゲームのアニメ化は面白くない」といわれてしまいます。

 

「Steins;Gate」の優れている部分は、媒体の変更は当然クリアしてなおストーリー面においても配慮がなされている点です。

 

布石を事象で表さないで、人物の人生で表しています。こうすることで人物の厚みを増すことと同時に伏線と回収をカッコよく見せています。

 

複雑なプロットでこれを想像するのは至難の業ですが、できればこういった技巧の凝ったアニメ作品を、もともとディテールに長けたゲーム原作にも求めたいものです。


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