ssss.GRIDMAN|シナリオスキル|リメイクに物語性を付加する
今回のお題は
「ssss.GRIDMAN」から読み解くリメイクに物語性を付加する、です。
ウルトラマンでおなじみの円谷プロが作った「電工超人グリッドマン」は、多少記憶にあります。
調べてみたら1993年に放映されたとのこと。
極端に古くありません。
それでも当時、グリッドマンの戦う主戦場が電子世界だったことが今までのウルトラマンと違う点でした。
当時あんまり見てなかったので私的に印象が薄いのですが、今思えばこういった架空の世界観に電子回路を用いたことって当時としてかなり先進的だったのではないでしょうか。
90年代といえばまだMS-DOSの頃じゃないかな?
正確にはネットの世界ではなくパソコン単体などの電子回路の中で怪獣と戦うのですが、その着眼点には先見性を感じます。
それから四半世紀経過して、アニメとしてリメイクされた「ssss.GRIDMAN」ですが、当たり前ですが別物です。
2018年冬期に放映されました。
ちなみにタイトル冒頭の「ssss.」は発音しないそうです。
ssssの意味は、Special Signarure to Save a Soul だそうです。
輸出された際に付けられたそうで単なるアイデンティティみたいです。
製作はTRIGGERで監督は雨宮哲さんです。TRIGGERといえばガイナックスの天元突破グレンラガンを作ったスタッフの会社です、簡単に言うと。
ですからTRIGGER作品にはガイナックスに絡むスタッフや劇中描写が多かったりします。
アニメ製作は繋がりで作る場合が多く、「ssss.GRIDMAN」もご多分に漏れずそうなっています。
音楽はガイナックスの名作「エヴァンゲリオン」の鷲巣詩郎さんだし、うーさーも出てきたりします。最終話で出てくる怪獣のモノクロイメージはまさに庵野秀明の手法です。
脚本は長谷川圭一さんで、長谷川さんは円谷系のライターさんです。
アニメ脚本はあまり書いていないようですが、近代ウルトラマンのメインライターとしてのクレジットがあります。
で、シナリオ的には当たり前ですが旧作を踏襲していません。
実際に電工超人グリッドマンがどんなシナリオなのか分かっていないで書いていますが、アニメ版のグリッドマンはモチーフとして使われています。
アクションシーンや怪獣デザイン、お約束の合体シーンなどはアニメ版としてそうとう凝って作り込まれていて、さすがグレンラガンを作った人たちだけのことがあって楽しいです。
シナリオ的にはやっぱり人物、特にヒロインのデザインに目を惹かれます。
この物語のメインキャストは多分メインの配置のみ旧作を踏襲したものと解釈します。
グリッドマンが乗り移った響裕太(ひびきゆうた)、内海将(うつみしょう)、宝田立花(たからだりっか)の同級生3人組です。
でも総じて円谷作品のメインキャストはウルトラマン(今回で言えばグリッドマン)であります。
その主人公は架空の存在であり、それはあくまで子供向けでした。
先ほども言いましたが私は旧作を見ていません。考察が正確では無いかも知れません。
恐らくですが、旧作はssssGRIDMANほど登場人物に比重を置いてなかったのではないでしょうか。
確かに過去に見た円谷作品、私の幼少の頃に見たウルトラセブンやアクションが面白かったウルトラマンタロウなどは人間ドラマ的な要素も多くてなんとなくですが覚えています。
ただ現代のアニメとしては、アクションシーンや精密で拡張された怪獣デザインはアニメ的に当たり前であり、しかも実写特撮と違って違和感がありません。
現代のアニメでは、では何が進化しているのかと言えば人物の構造にある、と思うのですね。
ssss.GRIDMANでは敵対者として新城アカネ(しんじょうあかね)の存在があります。
その昔はラスボスがいて、その手下としての怪獣だったり構成員だったりしました。
それかゴジラみたいな怪獣単体であったり。
ssss.GRIDMANではラスボスがちゃんといます。アレクシス・ケリブという見た目からして悪役チックな親玉がいます。
アカネはアレクシスと怪獣の媒介になっています。
つまり敵対者を一段増やしているのですね。
このアカネは見た目敵にはみえません。一見味方のように見せています。
私的にヒロインのデザインに魅力がないと見る気が湧きません。しかしアカネや立花のデザインはさすがTRIGGERだな、と思ったところです。
もっと言うと、このアカネがいるから旧作を上回る現代のアニメとして完成度を上げています。
アカネは神の存在として描かれますが、その神様はいたって不完全極まりないヘッポコ神様です。
彼女の求めは単に「みんなから愛されたい」でいいと思います。
問題なのがやり方で、その求めを満たすために怪獣を作ってあれやこれやグリッドマンに挑みますが最終的にわがままであるが故、潰されてしまいます。
シナリオ的に後半のアカネの葛藤はこの作品のおいしいところです。
人型怪獣(?)のアンチくんはアカネが作った失敗作ですが、その失敗作に救済されます。
こういった悪役が味方に変化したり、敵味方の関係性が変わる語り口は見ていて本当に面白いのです。
勧善懲悪ってありますよね。
あれって敵ならば徹底的に潰されるか、逃げ延びて次に繋がるかしかありません。
でもその中間にアカネのようなヒューマンチックな人物を置くと話が一気に拡張します。
現代のアニメシナリオや昔からある童話なんかもそうですが、敵対者は一人ではありません。
必ず第二の敵が描かれます。
どちらかは徹底的に制圧されて、どちらかは制裁を受けるように出来ていたりします。
その罰は罪に見合ったものでなければなりません。
アカネはラスボスのアレクシスみたいに「ウギャ〜〜〜」とか言って消えません。
アレクシスは罪に見合った罰として「ウギャ〜」といって消えるのが見合うからそうなります。
アカネは自分の行いに対し報いを受けなければなりませんが、そのような描写でも親友の立花から諭される形で消えていきます。
ではこの世界を身勝手にひっくり返したアカネの罰とはどういったものでしょうか。
アカネと立花の別れのシーンはこうです。
立花は親友の証としてパスケースをアカネに手渡します。
そしてこう言って送り出します。
「私はアカネと一緒にいたい、どうかこの願いがずっと適いませんように・・・」
そしてアカネはいなくなります。
うま〜〜い!、このシナリオ、うま〜〜い!
これが丁寧な感情描写というものです。
敵を倒してよかったよかった、だけの話は面白くもなんともありません。
でもウルトラマンの時代のアニメはそんな感じでした。
それは子供向けだったと言うこともあるのでしょう。
私がまだ子供だったから理解できなかったのかもしれません。
今の時代のアニメはこうしたシナリオ次第でどうにでも面白くなる描き方を獲得しています。
それは脚本家の、監督の手腕でもあります。
面白さの要素として、案外味方側には付加する余地の少なさを感じます。
むしろ敵対者側に面白さ、物語性を加える事による可能性を感じてしまいます。
リメイクするならこんな感じで表すんだよ、という一つの具体例が「ssss.GRIDMAN」にはありました。