22/7|シナリオスキル|キャラクター別エピソード

今回のお題は

 

「22/7(ナナブンノニジュウニ)」から読み解くキャラクター別エピソード、です。

 

私の近しい知り合いに「日向坂46」のコアなファンがいます。

 

このようなアイドルの近代のトレンドとして、

 

複数人数グループ化したアイドルの形をシナリオの題材に出来ないか、考察したことがあります。

 

その知り合いと付き合って実際に日向坂46のサイン会とそれにまつわる写真交換会に参加したこともあります。

 

私的には日向坂のファンではないので「見に行った」程度ですが、正直驚きました。

 

集まるファンの熱量にホント、驚きました。

 

すごいんですよ。

 

人の集まり方が。

 

こんなムーブメントがあること自体知りませんでした。

 

写真交換会では知り合いの後ろで見ていただけですが、普通に知らない人から「めいめいの写真ありますか?」とか聞かれます。

 

聞いてくる人は一様に真剣で、しかも年齢も決して若い人ばかりではなく、老若男女、あらゆる世代の人が集まってきます。

 

知り合いは純粋なファンですが写真交換会を開いている人には商売でやっている人もいます。

 

そこはさながら写真が通貨みたいな価値で取引されています。

 

無論、交換会で現金のやりとりは禁止されていますからお金の値踏みとかはやっていませんが、写真がお金の代わりを果たしています。

 

オフィシャルの発行した元々安い写真、ブロマイドですね、それが交換されるだけですがそれぞれ写真には固有の価値があって・・・

 

例えばレアな写真と交換する場合、他の価値の低い写真数枚、時には数十枚とレアな写真一枚と交換、のような「取引」がなされます。

 

ほとんど証券取引と同じです。

 

ファンじゃない人には理解できないような現象に、見た目日向坂のイメージとかけ離れているオッサンが血眼になって参加しているのです。

 

昔、私の子供の頃のアイドルは違いました。

 

コアなファンが存在することは変わりありませんが、大概アイドルはピンか少人数でした。

 

だからわかりやすかったと思います。顔も有名になるにつれ常識として目に出来るようになりました。

 

今のアイドルのトレンドはグループ化して、とにかくいっぱいいます。

 

私も日向坂を考察したものの、今でも誰が誰だか分かりません。

 

そんな曖昧な存在でも食いつくファンは大勢います。

 

それも長年にわたって継続している人がほとんどです。

 

なんとなくこういったアイドルの形は知っていましたが、これはもはや社会現象です。知らなかったことを恥じました。

 

仕掛け人は言わずと知れた作詞家の秋元康さんです。

 

この人は単なる作詞家から垂直的な進歩を遂げられて成功した人物です。

 

今までのアイドルの概念を覆してひとつの形としての価値を発明しました。

 

「22/7」も総合プロデューサーとして秋元康さんの名前がクレジットされています。

 

メディアミックスとしてリアルの社会現象をアニメにも応用したモノとは想像に難しくありません。

 

秋元氏はアニメの専門家ではないのでアニメ版に関しては恐らくプロデュースにしても限定的でしかないと思いますが、

 

シナリオ的にも「22/7」は読み解けることが詰まっています。

 

アニメ版は2020年初頭に公開されました。

 

監督は阿保孝雄さん、コンテマンの監督です。

 

シリーズ構成は漫画家の宮島礼吏さん、脚本は複数方が参加されていますがメジャーな方はおられないみたいです。

 

漫画家さんが話を作っているようですが、確かにアニメのシナリオ的には特記するような仕上がりにはなっていません。

 

それでも作品的にバランスがいいのは、たぶんコンテと演出が頑張っているのだと感じました。

 

キャラ原案やキャラデザもそうそうたる当代きっての作家を揃えていて、そうった魅力がシナリオを凌駕していました。

 

登場人物の声も至って不足感があり、演技もあまりうまくありません。

 

それでも、たどたどしくとも、徹底的に徹すればそれはそれなんだなぁ、と感心もさせられました。

 

各話はそれぞれ人物別で物語が構成されていて、それぞれの担当声優がキャラソンを歌っていますが、それもあまり上手ではない・・・

 

でもなぜかみんなで歌うとまとまりがあって上手く聞こえます。

 

こういった点もリアルと被っていて、思わず笑ってしまいます。

 

さて、シナリオで読み解ける点は・・・

 

「22/7」の魅力とはリアルライクであること、だと思います。

 

シリーズものでたくさん女の子が出てくる話はいっぱいあります。

 

いっぱい出てくるから人物それぞれ、どのような個性が描かれるか、が焦点になります。

 

通常描かれる深度、深さは物語の序列に比例します。

 

主役が一番描かれて、それに準じて脇役、端役と続きます。

 

脇役は主役を上回る描かれ方をしません。

 

でもリアルのグループアイドルはどうでしょうか。

 

センターやリーダーがいるにしても、物語の主役ほど前に出ていません。それはグループとして、まとまってナンボだからです。

 

故にナナニジ(22/7の通称)では各話でメンバーのいきさつがそれぞれ描かれています。

 

グループでも人物単位でバラして紹介することにより感情移入を誘います。

 

これってナナニジに限った手法ではありませんが確かに感情移入が呼び込める有効な描き方です。

 

誰が誰だか分かんない、を解消してくれます。

 

物語として合理性があるのですね。

 

この描き方にコンテや演出が効いていて楽しくなります。

 

この点を疎かにすると人物が単なる記号になってしまいます。

 

グループは記号です。

 

あくまで物語とするなら人物が際立たなければならず、人物がいてグループが際立ちます。

 

まとまってシナジーが描けるようになるのです。

 

確かにアニメ的には不足感があります。声の演技にしてもストーリーテラーにしても。

 

それでもメンバーひとり一人を丁寧に描くことで完成度を上げているのが「22/7」です。

 

アニメとリアルとの違いは、人に伝わる情報量にあります。

 

アニメは所詮絵です。それはリアルを超えられません。

 

確かに絵画でもリアルでは伝わらない価値はあります。

 

それはそれでナナニジでは優秀な作家をわんさか集めて精度を上げています。これ以上ないというほどに。

 

それでも人の動きや物語としては、どうしてもリアルの存在感には適いません。それが現実です。

 

その現実を何を用いて補完するのか、間接的に表現するのか、

 

ナナニジは個々の人物の描き方に求めています。

 

リアルアイドルではそこまでする必要がありません。見た目とリアクションの一部で適います。

 

メインヒロインであろう「滝川みう」のような、グループに参加する直前にバイトをクビになる、といったいきさつは日向坂のメンバーに必要ありません。

 

リアルではせいぜいエピソードとして話すくらいで、実際に見せなくても日向坂の価値は変わりません。

 

でもデフォルメであるアニメでは見せることが出来るし、見せなくては伝わりません。

 

デフォルメであるから、観客に伝わる情報量が少ないから余計にたくさん描かなければ魅力が伝えきれないのです。

 

各話で人物単位のエピソードを描くことは、もうテンプレといってもいいほど定番です。

 

でもテンプレでも、そのテンプレには理由があってテンプレ化しているのですね。

 

それでもアニメ的に光るシーンや秀逸なエピソードも随所に散りばめられています。

 

それはコンテと演出の成せる技と解釈しますが、いずれにしても、

 

リアルとアニメの乖離、矛盾をどのように解消するのか、その具体例が「22/7」には存在し、至ってリアルライクであるのです。

 

無論、フィクションもあります、「壁ちゃん」の存在やメンバーが集められたいきさつにも言及されていません。

 

でも、たどたどしい存在感や上手くない歌や、なによりアニメ的にはテンプレを丁寧に描くという手法は「現実的」であるのです。


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