終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?|シナリオスキル|バッドエンドのあり方
今回のお題は
「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」から読み解くバッドエンドのあり方、です。
あ〜、タイトルが長〜い!長すぎる〜!
30文字ですよ、これってどうなのよ、という感じがします。
ちなみにインターネットサイトのタイトルでは上限32文字とされています。
別に100文字だって書けるのですが、それでも32文字までとされている理由は・・・
検索結果のタイトル欄に全部入らないからです。
つまり長すぎるとタイトルの意味が欠けてしまう、ということですね。
だからタイトルについてあんまり長いといいことありません、というのが私見ですが、確かに特徴付けには一理あるのかもしれません。
もう面倒くさいので「すかすか」とします。
ゲームシナリオライター、ラノベ作家の枯野瑛さんの原作モノです。
アニメ版は2018年に公開されました。
監督は和田純一さん、シリーズ構成は原作者、枯野瑛さん本人です。
とても原作色の強い印象の作品で、なんか原作の原作は15年くらい前に書かれていたそうでタイトルも違ったそうです。
この作品、ラノベのその筋では有名らしいのですが、アニメを見てみて、確かに監督や脚本、演出コンテ色もそんなに突出したものは感じられませんでした。
それが悪いという意味ではありませんが、まあ、原作者がシリーズ構成やればそうなりますよね。
でもデザインはとても素敵な作品に仕上がっています。
私は個人的に好きですね、こういうファンタジーは、一度は書いてみたい形です。
物語冒頭で主人公ヴィレムがヒロイン、クトリに贈った帽子のデザインなんかツボりました。
小道具ひとつ、帽子ひとつのデザインにしてもその人物の印象が決まってしまいます。
クトリの大事な導入部の人物印象としてあの形は上手い!と感じられました。
あれがただのホッかぶりだったり、ハンチング帽だったりしたら何も伝わってきません。
魔法使いのかぶるようなつばの広いとんがり帽、しかもてっぺんがフニャっとしている・・・
未知の力を兼ね備えている妖精のヒロインとしてぴったりなデザインに見えました。
ただこの作品、スタンスがバッドエンド、なんですね。
本当にゲームシナリオを書く人ってバッドエンドが好きなんですね〜
とても悲しいお話です。
ハッピーエンドとバッドエンド、あとトゥルーエンドとかもありますがどんな終わり方をするのか、オリジナルシナリオを書く人にとっても大事な要素です。
とにかく終わり方でその作品の印象がガラッと変わってしまいます。
なんとなく物語進行中のアクションに神経を集めがちなのですが、実は人の印象に残る部分って、
頭と尻尾
なんですね。意外と。
ですので、冒頭の導入部では「いかに観客の興味をそそるものにするのか」が最大の課題となります。
引き込めれば成功で、引き込めなければ失敗です。もう二択しかありません。
そして終わり方の方をどうするのか、これでその作品の“味”が決まると私は思います。
でも終わり方にはいろんな思惑も反映されるので難しい側面もあります。
特にラノベ原作のような作品全体から部分的に切り取ったエピソードで構成される場合は、
この先もある終わり方か、
完全に完結とするのか、
ハッキリ見せるのか、
ぼかして見せるのか、余韻として答えを見せないのかどうか・・・
商業的な意味も含めてさじ加減が存在します。
私はシナリオ初心者ならばハッピーエンドで終わることを推奨しています。
なぜならば、その方が書いている方も見ている方も気持ちよく終われるし、なにより分かりやすいからです。
初心者がプロぶって見た人の想像に任せるような終わり方をすると確実に陳腐なシナリオにしかなりません。
「作者の自己満足」になりがちなのです。
そういうの、たくさんお目に掛かりましたがこの「すかすか」みたいにバッドエンドにしても主人公がその後どうなったのか、を見せない終わり方をしても許されるのは、
それはプロが書いたものだからです。
それなりに一貫性やテーマというものが確実に反映されているから格好が付きます。
この「すかすか」だってそもそも主人公ヴィレムの存在自体バッドエンドの続きから始まっています。
そしてキャラクターの愛くるしさとは裏腹に主人公と同じような末路をヒロインのクトリも辿ります。
だからこの「すかすか」は悲しいお話になります。
さて、
なんでゲームシナリオライターはバッドエンドが好きなのでしょうか。
まあゲームシナリオライターが好きかどうかはさておき、確かにバットエンドの方が人の心を動かしやすいのはあると思われます。
例えば寿命、限りがあるからこそ許された時間で頑張ります。
精一杯頑張って生きようとします。
“理由”が付けやすいのですね。
これってリアルの我々でも同じで、無限に感じられるものって心も動かないし行動もしません。
ビジネスの価値観では「いつかやる、はいつになってもやらない」という格言(?)があります。
それは人の本質で、いつかやる、その内やる、は「やらない」と同義なんです。
人って期限がないと行動しない生き物なのです。
だからなんにしても“期限”や“限度”、“限り”があります。
でも現実的には基本的に間に合いません、間に合わせなければならないのに間に合いません。
そこに葛藤やドラマ、変化する要因が生まれます。
この要素が、しかも上塗りもできてシナリオ的に、非常に便利なんです。
間に合わない↓
失敗する↓
変化しながらもう一度挑戦する↓
それでも間に合わなくて失敗↓
もっと変化しながら挑戦する↓
やっとの事で成功する
成功するまで描けばハッピーエンドとなります。
でもこの作品「すかすか」は成功に至りません。
これがバッドエンドです。
お話しとして面白い要素とは、「変化しながらもう一度挑戦する」と言うところです。
おいしいところはこの“過程”にあるのです。
ただ終わり方でどんな印象になるのかが決まってしまいます。
大多数の人はハッピーエンドを望みます。
でもあえてそのような終わり方をしないと確実に「この後」が気になります。
ハッピーエンドが待っている、と錯覚させることが出来るのですね。
作品に興味を持ち続けて貰える演出が出来るのです。
劇中、ナイグラートが
「クトリには幸せになってもらいたい」
とつぶやきます。
それは見ている人の視点と共通しています。
でも実際はそうなっていません。
クトリはクトリの印象として「世界一幸せな女の子だ」として消えていきますがその印象は我々の求めるべき結果とは異なります。
この違和感が見ている人の感情に深く刻まれます。
物語を永遠に語り続けることは出来ませんから何らかの終わりを見せなくてはなりません。
ハッピーエンドはカタルシスの解放に繋がる極単純な終わり方です。
でも見ている人の心に、より深く印象を付けられるのがバッドエンドというわけですね。
シナリオ初心者の方にはハッピーエンドを、と申しました。
私の提案にはある条件が付きます。
それは「どんな最悪な展開でも必ずハッピーエンドにする」というもの。
これはこれでかなりの高等技術です。
ですから例えば今回紹介した「すかすか」、バッドエンドの先の“ハッピーエンド”を考えてみて下さい。
想像してみてください。
あなたならどんな形でヴィレムとクトリを描くのでしょうか。