亜人(デミ)ちゃんは語りたい|シナリオスキル|例えのデフォルメ
今回のお題は
「亜人(デミ)ちゃんは語りたい」から読み解く例えのデフォルメ、です。
デミちゃんはかたりたい、と読みます。
アニメなのでその表現手法そのものは、いわばデフォルメなんですね。
特徴をかいつまんで拡大して表現する手法です。それは見た目の表現のみに留まりません。
ペトスさんの漫画原作もので2017年に放映されました。
監督は安藤良さん、脚本は安藤たかをさんです。なんとなくサンライズ的ですがアニメ制作はA-1 Picturersです。
安藤監督は演出家出ですが特にCGパートが得意な人です。
スクールもの、ファンタジーコメディものです。
亜人という特殊な人がリアルと共生している架空の世界が設定されています。
亜人、つまり人間でも人とは極端に違う特徴のある人間を指しますが、この作品は普通の人の特徴に何らかの見た目だったり能力が加味されている、といったデフォルメ具合です。
この作品で登場する亜人は過去に描かれた物語や伝承などに登場する人物に由来します。
吸血鬼、デュラハン、雪女、サキュバスがモチーフとしてヒロインたちに与えられています。
高校教師の主人公、高橋鉄男は亜人の研究家でもあります。亜人の存在は希有でなかなか巡り会えません。そんな中ある春の入学シーズンに、一気に4人もの亜人に囲まれます。
高校に入学したメインヒロインの小鳥遊ひかりは亜人で種類はバンパイア、吸血鬼です。
他のヒロインも亜人で、ひかりと同窓の町京子はデュラハンで、日下部雪は雪女で、新人教師の佐藤早紀絵はサキュバスです。
鉄男の亜人に対する考察と亜人たちの亜人が故の葛藤や悩み、そして克服などがヒロインたちの年代と織り交ぜられてコメディタッチに語られている、そんな作品です。
亜人だからさげすまされていながらにして世界の危機を救う、とかではありません。
あくまで我々の日常において、もしこのような特殊な人がいたら、という平凡な中のちょっと変わったところといった特徴付けがなされています。
で、
この作品のテーマとは私の私見ではありますが、
「差別」、「コンプレックス」
だと思います。
でも根源は我々リアルでもよくあることです。
人の個性で同じものなんて誰1人ありません。
そこに持ってきて何らかのちょっとだけ目立つ特徴がある人って珍しくないと思います。
太っていたり、めがねを掛けていたり、そんな単純な理由で特別視されたりします、特に人間として成熟過程の学校などにおいては些細な特徴でも劣等感に繋がったりします。
その特徴が故にいじめられたり、差別されたりします。
この作品はその些細な人の特徴を「デフォルメ」して表しています。
お話自体はいじめなどのダークサイドにあまり近づきません。至ってコメディタッチで明るく描かれています。
デフォルメした結果が亜人という存在設定になっています。
このように人の特徴付けを考える場合、選択肢としてデフォルメしてみるという手法があります。
ただ何らかの特徴をかいつまんだだけでは面白くなりません。そこで何かの要素を足してみます。
この作品で言えば、それが伝承や物語に出てくるキャラクターとなっています。
その設定に「なんで?」は含まれていません。
なんで小鳥遊ひかりがバンパイアとして生まれてきたのか、なんて詳しく描かれていません。
そこに視点を置かずに「もし、同級生にバンパイアがいたら」程度に納めています。
それもバンパイアがしでかしそうな悪さや悪影響というネガティブな語り口になっていません。
あかりのキャラ像は至って明るくて楽天的、そしてリーダーの素質も持っています。
デフォルメにしても、こういった性格設定にしても程度と見せ方にポイントがあります。
それは普通の印象だけでは描けません。
人に危害を加えそうなバケモノ的なキャラクターがもし、楽天的だったらどうなるのか、
暗い印象のキャラクターがもし極端に明るかったら、
そういった「もし」のときにデフォルメは使えるのです。
そしてデフォルメはキャラ像に留まりません。
お話自体のテーマにも使えます。
もし、「差別」をテーマとするなら、人種差別とか社会格差とか、貧富の差なんかを思いつくかもしれません。
でもそれを真面目に描こうとするとどうしてもドキュメンタリーのようになってしまいます。
そんなリアルライクに描いてみてもフィクションの入る余地も無くなるし、理由が無いものはシナリオとして面白いものではありません。
どこかにフィクションを入れないと面白くしようがありません。
だから題材や世界観にデフォルメした要素を入れなければならない、のです。
この作品のメインヒロインたちは多かれ少なかれ悩みを抱えています。
それを鉄男が理解を示して解決に努めようとします。
でもそのシチュエーションって普通のリアルの高校生でもよくある悩みとか迷うことに対する対処ですよね。
悩みのテーマがフィクションとしてデフォルメされているか、リアルであるかの違いしかありません。
高校教師が生徒のために心を砕くことは、至って普遍的な事です。やらない教師もいるみたいですが。
その普遍性をデフォルメで誇張して伝えると誇張されているのでより多くの印象を見ている人に与えられます。
ただし、何でもかんでもデフォルメすればいいものではありません。
今回の「亜人ちゃんは語りたい」はアニメだからここまで深度の深いデフォルメが許されます。
許されるとは、描いてみておかしくならない範囲ということです。
これをリアルドラマ、実写でやる場合にはかなり調整しないといけません。
そうしないと作られた映像は陳腐そのものになってしまいます。
特にアニメ作品のリアルドラマ化などを見ていて思うのですが、アニメの表現はアニメ自体がデフォルメだから違和感がありません。
リアルはリアルに則しなければ、おかしく写って当たり前です。
アニメの演出をリアルでやってはいけないのです。
もう見ていて恥ずかしくなります。
ではどうするべきか。
デフォルメの深度を調整しなければなりません。
デフォルメにも加減があります。
それは絵を描く際のデフォルメの深度をみればわかります。
リアルの人物像、抽象画から始まって徐々にデフォルメ感を強めていきます。
最終的に人の特徴がへのへのもへじ、になります。
このようにデフォルメにも度合いというか、深度があります。
リアルライクならやはりリアルになるべく近づけなければおかしくなって然るべきなのです。
先日、「ニセコイ」の実写版のティーザーを見ましたが、もう最悪です。
あの衣装はアニメだから映えるのであってリアルで見たらおかしいでしょ!
そこはリアルのデフォルメを施さなければ違和感しかありません。
違和感を伝えたいならそれでもいいかも、ですが明らかにアニメとの印象が違います。
それを制作者は理解していない。
それでもプロでやっていけるのですね、いい加減なものです。
だからアニメは素晴らしい、表現手法として実写より優れていると私が感じるところでもあります。
それはともかく、この「亜人ちゃんは語りたい」はさすが演出家出身の監督だけあってアニメの演出が上手いと感じることが出来ます。
第一話、ひかりが鉄男に「デミ」という愛称について教えるシーン。
○学校の廊下
(中略)ひかりが鉄男に教えている。
ひかり「だから女子高生とか若い子の間ではね、『デミ』っていうの!」
こんな可愛い仕草をリアルの女優にやらせてみて、この絵より可愛く出来る人って、伝えられる人っているのでしょうか。
リアルでこのままやってしまっては上手く伝わらないことが容易に想像出来るはずです。
デフォルメというものを意識してアイディアをコーディネイトしてみて下さい。