「純潔のマリア」から読み解くシナリオ脚本スキル

純潔のマリア|シナリオスキル|後ろ盾との組み合わせ

今回のお題は

 

「純潔のマリア」から読み解く後ろ盾との組み合わせ、です。

 

石川雅之さんの漫画原作で谷口悟朗監督、シリーズ構成は大御所の倉田英之さんです。

 

2015年に放映されました。

 

中世のフランスが舞台です。ヒロインの魔女マリアはイングランドとの戦争のただ中で戦場に出向き魔法の強大な力を使って争いを止めさせようとするお話しです。

 

タイトルに“純潔”とか“マリア”とあるように、モチーフにキリスト信仰があります。

 

戦う地の人としてフランス軍とイングランド軍、その戦争に巻き込まれる住人、争いを止めようとするマリア、それを戒める天の人としてミカエルがいます。

 

魔女はこの世界では当たり前に存在していて、マリアの他にもサブヒロインのビブをはじめ数人登場します。

 

なんとなくエロい語り口が特徴なのですがヒロインのマリアは純潔です。つまり処女なのです。

 

この作品はけっこうそういった夜の営みを想起させるような台詞回しであったり、演出がなされています。

 

でもエロアニメではありませんのであくまで想起させるに留まります。

 

最近のイチャラブエロアニメとは違い、ちゃんと物語性があります。

 

そういったことも含めて人の本能ですね、営みにまつわるお話しでは“神”の存在が後ろ盾になることがあります。

 

マリアは直接的に戦場に出向き当事者たちを驚かして家に帰そうとしますが、

 

マリアの使い魔であるアルテミスはサキュバスなので夜な夜な軍の指揮官の下へ行き一晩を共にします。

 

そこで“骨抜き”にして間接的に戦意を喪失させる、ということを繰り返しています。

 

いずれもマリアの「争いごとがキライ」という意思によるものです。

 

でも戦争という行為は、やっている当事者も、それを見守る天の人(神)も容認していて長い期間争い続けています。

 

つまり戦争は人の営みであり、容認されてる必然なんですね。

 

それをマリアは「慈愛の精神」で嫌い妨げようとします。

 

話飛びますが、戦争ってなんでやるのかお分かりになるでしょうか。

 

なぜ人類は悲惨な殺し合いを合法的にいつも行っているのでしょうか。

 

思想の違いでしょうか。

 

それもあると思います。

 

答えは・・・

 

戦争とは、それが究極の『経済活動』だからです。

 

昔は領土の占領でした。占領した土地で新たな作物を作ったり、その土地で獲れるものがあったり、そこに住む住人からは新しい労働力の確保が出来ます。

 

我が日本だって、土地が狭いし石油も取れないので、ほんのちょっと前まで植民地を増やしていた時代がありました。

 

今の日本はそういった歴史の上に成り立っています。いくらきれい事を言ってもそういった人の本能に従った歴史があります。

 

アメリカが北朝鮮に攻め込まないのは、北朝鮮に経済的なメリットが少ないからです。

 

もし莫大に石油でも産出できる土地ならば問答無用で占領していたことでしょう。

 

要するに人間って奪ってでもメリットを求める生き物なのです。基本、野蛮な生物です。

 

さて、

 

そんな重要な経済行為をいちいち邪魔するマリアは、戦争当事者からは当然疎まれますが、戦争に行きたくない一般の住民からすれば慈悲深い存在に写ります。

 

ですが地上に生きる人間にとって本能という現実は無視できません。

 

子孫を残す行為、食物を食べて続ける行為はやらなくてはなりません。

 

それをマリアは理解していません。処女なので男を知りません。戦争の意味を分かっていません。

 

それは人の営みを否定していることと同じなります。そして魔女としての力が強大が故に天の人ミカエルに戒められてしまいます。

 

ですがそのような本能だけで生きるのが人間では無いじゃないですか。いろんな価値観が混在しているのが人というものです。

 

故に神とて一枚岩では無く天使もいれば悪魔もいます。

 

シナリオ的に、その価値観にリアリティを加えるために信仰を使います。

 

人の願う行為というものもまた、本能です。

 

その願う相手は信仰によって違いますが、やぱり人間が想像しただけあって人の本能に従い本能別で存在が定義されていたりします。

 

あんまり詳しくないので簡単にしか言えませんが、聖母マリア様と大天使ミカエルは同じ神でも担当分野が違います。

 

それぞれキャラ設定が違いますよね。

 

それを『引用』すると意味付けが出来ます。そしてかなり説得力のある厚いお話しになります。

 

この作品でもヒロインの名前を“マリア”とすれば当然聖母マリアを想起させます。

 

その人物像はイメージに準じたキャラクターになります。

 

これがパブリックイメージとの融合です。

 

イメージ通りなら誇張に繋がって印象深くなるし、イメージと異なるならパロディとして使えます。

 

どうしても個別で考えたキャラクターとかお話しは何かガイドストーリーがあるわけでもないので、単独でオリジナルを描いてみてもなんとなく説得力に欠けてしまいます。

 

だからアニメなどは世界観のしっかりしている原作ものが台頭してしまいますが、それにしても世間一般が承知しているイメージ造型が、無いよりはあったほうが描きやすいはずです。

 

誰もが知っている神とか信仰はユーザーに意味を伝えるにあたりとても便利な存在でもあります。

 

その昔、今も活躍されていますが 押井守 という有名なアニメクリエイターがいます。

 

うる星やつらとか、パトレイバーなど手掛けた監督です。

 

この人の作品はとにかく引用がメインです。

 

お話しのベースを北欧神話になぞらえてみたり、聖書の件を持ってきてみたり・・・

 

なんでそんなことをするのか、と言えば、それは引用したものが世の中ですでに認知されているものだからです。

 

すでに認識されているからいちいち個別にエピソードを立てなくてもイメージが構築できる、ユーザーに伝わるのですね。

 

価値観と言ってもいい。それくらい認知度の高いもので自分の作ったお話しの後ろ盾や動機付けに使っています。

 

これがまた、面白くなり易いんです。

 

宗教、信仰、伝承、昔話・・・そういった後ろ盾を使えば自分で考えたネタだけで構成しなくてもイメージが伝えられます。

 

すでにあるお話しや価値観から引用するという手法もシナリオを書く際に試してみてはどうでしょうか。

 

純潔のマリアの行き着く先は、実際に見て貰いたいのですが、至って平凡な生活です。

 

何もない、平和な普通の生活が訪れて、普通の幸せがマリアに恵まれてエンディングとなります。

 

このイメージ全てが聖母マリアのイメージと被らせてある、と聖母マリアに関して詳しくない私でも感じられました。

 

普通が一番なんですね。


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